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インド洋大津波から3年 アチェに「中国村」出現

12月26日22時5分配信 産経新聞


インド洋大津波から3年 アチェに「中国村」出現

バンダアチェ郊外に建設された「中国・インドネシア友誼村」。家を失った被災者のための住宅がモスクとともに山の斜面に広がる(藤本欣也撮影)

 【バンダアチェ(インドネシア西部)=藤本欣也】23万人以上が死亡・行方不明となったスマトラ沖地震とインド洋大津波から丸3年を迎えた26日、最大の被災地であるインドネシア・アチェ州南部のチャランなどで追悼式典が行われた。復興が進む州都バンダアチェ周辺では、“カネのばらまき外交”からの脱皮を目指して住民の自立支援などソフト面にも力を入れる日本に対し、“目立つ支援”を志向する中国が住宅を大量供給、「中国村」が生まれていた。
 バンダアチェ北方の山腹に、紅色の屋根と黄色い壁の住宅ばかり建ち並ぶ村がある。7月に入居が始まった「中国・インドネシア友誼村」だ。
 入り口には、中華慈善総会と中国赤十字会による記念碑が立ち、「中国人民の人道主義精神の体現」かつ「両国の友誼の象徴」として村が建設された旨が記されていた。
 2カ月前に入居したというカルットゥビさん(51)は「津波ですべての財産を失ったことを考えると(家を無料で支給されたことは)ありがたい。バンダアチェの市場まで遠い(バイクで約30分)のが難点だが…」と話す。村の住宅約600戸には被災した華人をはじめ、もともと土地をもたない被災者らの入居が進んでいるという。
 2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震とインド洋大津波で、震源に近いインドネシア・スマトラ島では約16万人が死亡・行方不明、約40万人が家を失ったとみられている。同国政府によると、目標である住宅建設12万戸のうち、各国機関や非政府組織(NGO)の援助などで約10万2000戸が支給された。
 バンダアチェ南方には“トルコ村”があった。トルコ赤新月社の援助により、約700戸の住宅が建ち並ぶラムプーク村だ。モスク(イスラム礼拝所)前の大通りはトルコの現首相の名前を取って、「エルドアン通り」と改名されていた。
 日本赤十字社も、離島のシムルー県などで住宅や診療所を建設しているが、中国やトルコのように“日本村”として喧伝(けんでん)されているわけではない。
 中国が本格的に被災地支援を行うのは、スマトラ沖地震とインド洋大津波が初めてのケースだった。被災後、バンダアチェの幹線通り沿いに中国の国名が表記されたテントを大量に配布するなど、最初から“目立つ支援”を展開してきた。エネルギー大国インドネシアとの関係強化の思惑もあったとみられている。
 これに対し日本は、学校建設や道路建設、護岸工事などのハード面に加え、被災者の自立支援の一環として、伝統菓子作りや養鶏に取り組む一部住民を援助。国営ラジオの津波に関する啓蒙(けいもう)番組も支援している。NGOのAMDA(本部・岡山市)も被災児童のケアに長期間取り組んでいる。
 こうした地道な活動は、幹線道路工事を手掛けている米国や、病院建設を支援するドイツとも異なる日本独自のものとなっている。背景には、金銭をばらまくだけだった日本の過去の援助外交に対する反省がある。
 アチェ州では今後、復興事業の進展に伴ってNGOの撤収が加速し、失業者が増える可能性がある。それだけに地元経済関係者の間でも、「住民の自立促進が急務で、日本の取り組みは重要だ」(飲食店経営者)と評価する声は少なくない。

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最終更新:12月26日22時5分

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