サウジの話
 

★サウジアラビアと言えば?
サウジの話と聞いて、砂漠のペレことマジェド・アブドラーの話か?と期待していた方すいません、今回はタイとサウジの話です。でもちょっとだけおまけの話…マジェドはゴールキーパー処刑人とも呼ばれますが、タイのピヤポンは美顔の処刑人と呼ばれています。背番号はお互いに9番ながら、マジェドの9番はアル・ナスルの永久欠番となったが、ピヤポンの空軍ではすでに他の選手がつけています。

★では本題
実は今年(2000年)の9月両国において、タイとサウジのテストマッチが予定されています。これはもちろん共にアジアカップの準備試合という位置付けになります。しかしタイ、サウジ両国の関係を知る方々にとっては、えっ、本当?と言いたくなるくらいの出来事です。
もともとサウジにはタイ人出稼ぎ労働者などが多く、サッカー界でも親善試合が行われるなど関係良好でした。まずは、これらをすべてをぶち壊し、ハリウッドでの映画化が噂されるほど謎の多い、国際的な大事件の話からどうぞ。

★サウジ王室宝石盗難事件
1989年、サウジのファイサル王子の宮殿で働いていたタイ人守衛クリアンクライ・テチャモンが、なんと重さ30キロ、金額にして2千〜2千5百万ドルともいわれる大量の宝石類を同宮殿から盗難、さらにすべてをタイに持ち帰ることに成功した。当然サウジ側からの連絡でタイ側もすぐに特別捜査チームを編成、クリアンクライは御用となり、宝石の大部分はタイ警察が押収した。

そしてサウジ側に返還となったのだが、中には大量の偽物が含まれていため、怒ったサウジ側は自国民のタイへの旅行禁止、タイ人労働者の入国禁止を発表した。これにあわてたタイ政府は警察高官も関与しているこの事件の完全解決は難しいと判断、宝石を返却した者は一切罪に問わないとした。その後、道端の植木に隠したあと場所を通報する、などといった方法で返却者が続出したものの、現在までに家宝のブルー・ダイヤモンドを含む約3割が行方不明のままとなっている。

事件のあらましはこんなところだが、関連する出来事として多くの事件が起きていてる。宝石商で事件の鍵を握るとされたサンティ氏が警察に拘束中、彼の夫人と14才の息子が誘拐された後、殺害されて発見。そして事件の調査にあたっていたサウジ大使館員2人と、ビジネスマン1人の計3人のサウジ人も暗殺されている。またあるタイの有力者の奥方が例の宝石を身につけていた噂などもよく聞かれた。これらがまたミステリアスでマフィアの絡んだタイの暗黒世界との関係を想像することができる。

★プリンス・ファイサル
2国間の政治問題にまで発展したこれら一連の事件ですが、サッカーをはじめとしたスポーツは政治と無関係というスタンスの両国ながら、実はサウジの場合表向きはともかく、現実にスポーツと切り離しておけない事情がありました。それは事件の被害者で顔に泥を塗られたのがファイサル王子だったためです。なんでまた何百人もいる王子、王族の中で彼の家から..とPポンも嘆くしかないのですが、偶然とはこんなものなんでしょうか。

彼の父であるファハド国王はもともと王子時代から青少年福祉関連と同時に、スポーツ振興などに力を注いでいましたが、そういった意味でキング・ファハド・スタジアムをはじめファハドの名前を冠するスポーツ施設が多いのは納得できます。そして父の意思を継いだファイサル王子もサウジスポーツ界の発展に大きく尽力し、近代のサウジサッカー活躍の中心として、同国はもちろんアラブサッカー協会会長としても同地域のサッカーをリードしてきました。

さらにはサウジスポーツ協会、五輪協会、アラブスポーツ協会各会長、そしてIOC委員といったポストも兼任してきた、まさに同国近代スポーツの父といっていい存在です。現在は一線を退き国内のスポーツ関連ポストは弟のスルターンに譲っていますが、サッカー協会をはじめすべて副会長に息子のナワーフを据えているため、いずれは彼がサウジのサッカー、そしてスポーツ界を指導していくことになるでしょう。

★ドタキャン
先述した両国のスタンスから前回アジアカップ(1996年UAE)でもサウジのボイコットは無く直接対決は実現したし、1998年のアジアユースU19チェンマイ大会(タイ)にはサウジも代表チームをタイに送ってきました。ただしアジア大会(1998年12月タイ)ぐらいの規模となると話は別で、ファイサル王子の個人の判断でどうでもなるサッカーは夏の時点でエントリーを見合わせて不参加を決定しました。

ただし必ずしも王子が主導的では無い他の競技は100人を超える選手団をとりあえずエントリー、その後政府を通じて一連の事件の進展などを要求しました。しかし事件にたいした進展は無く、タイ側からはお決まりのコメントしか聞かれず、ついに大会直前(11月24日)ラマダン期間と国内行事(初代国王のリヤド到着100周年)という事前にわかりきっていた理由にならない理由で大会不参加を発表した。

やはりコンフェデレーションカップやガルフカップとの兼ね合いで不参加ということだったサッカーにも五輪、またはB代表でもと参加を促してきたタイ側は、サッカーどころか全競技不参加の報に早速政府が動き、スリン外相がサウジへ向かい説得にあたった。しかし調整はつかず、再抽選など大混乱の現場をはじめ一時は罰金以上の制裁をもとめる意見もでたが、結局タイ側は黙って了承するしかなかった。

★値千金の価値?
ファイサル王子に気をつかい結局はアジア大会不参加となったが、今後も事件解決の見通しが暗いためタイでまた大きなイベントがあってもまた問題が起こる。また判断と実行が容易なクラブレベルの大会などでは、やはり王子の手前タイ開催の場合不参加が続く可能性が高い。

こんな時に飛び込んできたのが両国を行き来する親善試合のニュースです。これまではすべて既存の大会等受身の態勢で実現または流れてきた両国の対戦ですが、今回は積極的、つまり本来無くてもよい対戦が実現するのです。これはこれまでのタイ、サウジサッカー界の関係にとって大きな進展であると同時に、政治レベルでも少しずつ上向いてきている両国の関係にいい影響をもたらす価値のある試合です。
 

2000年7月30日
 

おまけ★がんばれファイサル王子
ところで我らが(サッカーファンから見て)ファイサル王子、王子といってももう54才、現ファハド国王の長男とはいえ実は王位継承への道のりは遠い。サウジの王位は2代から現在の5代まですべて初代アブドゥルアジーズの息子が継いできた。その初代王様は60人以上の子供がいるが、もちろん全部男ではないし多くが亡くなっているものの、健在な皇太子も多い。また全員が亡くなる、または初代の孫の世代に継承権が移っても、2、3、4代国王の王子も大勢いる。キング・ファイサル・ビン・ファハド・ビン・アブドゥルアジーズ・アル・サウドの誕生は果たしていつの日か?