本放送:1月5日(土)22時50分〜24時20分
BSHV:1月7日(月)00時55分〜02時25分

■ 庵野秀明インタビュー@ライブハウス(吉祥寺)  
中谷日出「今、コンピュータグラフィックの世界は技術を競うよりストーリー性、個性、方向性などその中身の方が重要視されています。日本の映像作家の中でもとりわけ個性溢れる作品を発表し続ける庵野秀明さんにお話をうかがいました。


<庵野秀明プロフィール>

社会現象まで巻き起こしたテレビアニメ「エヴァンゲリオン」。自分の存在を問い続け葛藤する主人公の内面描写や、アニメの枠を越えた哲学的な世界観は、若者たちのあいだで熱狂的に支持された。
最新のデジタル技術をも柔軟に取り入れ、実験的な実写映像から芸術的ともいえる35ミリ映画、そしてミュージッククリップまで、常に新しい映像世界を拡張し続けている。
時代の空気をしなやかにとらえ、これまでにない斬新な映像で描き出す庵野秀明は、今の日本を代表する映像作家の一人だ。果たしてそんな彼の目に、デジタル全盛の時代における映像表現はどう映っているのか。
● ”自分で動くモノは食べない。”

中谷:今日はライブハウスでお話をうかがうんですが、学生の頃はこういう場所で飲んでましたね。庵野さんは?
庵野:ライブハウスは行ったことないですね。音楽には行かなかった。学生の頃は飲むと言えば、居酒屋ですね。もう安いところ。酒も、飲み会では結構飲みますが、独りでは飲まない。
中谷:監督されていると、いろんなつき合いがあるんじゃないでしょうか?
庵野:多いですね、芝居もそうだけれど、飲みながら、っていうのが日本のスタイルになってるところありますよね。
中谷:そういう場での逸話というのはないですか?
庵野:気がついたら家で寝れるというのはありますね。多分、ヘッドに記録されていない、録画ボタンが押されてない状態。
中谷:中央線というのは、ゆかりのある街なんですか?」
庵野:吉祥寺はアニメの会社とか多いですね。ガイナックスが吉祥寺に引っ越してきてからもうかれこれ15,6年になりますから、ずっとこの辺りにいます。でも、本屋とかDVD屋とか、偏ったとこしか知らない。オタクですから・・オタクは自分の興味あるとこしか行かないですよ。ルートが決まってますね。飲み屋もそうだし、定食屋も・・・、ここ6年くらいメニューも替えてないですね。卵焼きと奴とポテトサラダにごはん。好き嫌いが激しいんです。肉、魚、とりあえず自分で動くモノはダメです。エビもかにもダメ。海産物もダメ。寿司屋に行けば、卵とかっぱとかんぴょうのローテーションですね。
● 庵野秀明と映像の接点、『宇宙戦艦ヤマト』の存在

中谷:今度ご馳走しますよ。 映像の関わり合いはどこから始まったのでしょうか。
庵野:んー、子供の時のテレビですね。いわゆるテレビっ子ってやつだと思うんですが。普通のTVマンガ、特撮モノとか、いわゆる子供の見るモノひととおりは見てますね。まだモノクロで、テレビアニメが増え始めた頃に家にテレビが来た時代でしたから、テレビアニメが進化していくと同時に育っていったという・・・いい時期だったと思いますよ。パイオニアと自分がシンクロしてる感じで。
中谷:特に好きだったのは?
庵野:好きというか、影響受けたのは、『宇宙戦艦ヤマト』ですね。あれを見なかったら、多分こういう仕事には来なかったと思う。というより、アニメを見るのやめたんじゃないかな。今でこそ、アニメ見てても文句言われない雰囲気ですけど、ボクが子供の頃は、中学生にもなってまだマンガなんか見てるのか、という時代ですから・・・。それに中学くらいになると、マンガとかアニメが辛くなるんですよ、面白くなくなって。で、『宇宙戦艦ヤマト』がきて、時期がよかったんですね。ちょうど中学2年で直撃。これでアニメというものを見続けてもいいんだという・・。(『宇宙戦艦ヤマト』には)大人の雰囲気がありましたね。中学2年でテレビマンガを見てても、親にも、友だちにも、世間にもバカにされないという雰囲気。これは、アニメファンを作った最初の作品だと思いますね。それでも、熱狂的というよりは、他の人よりちょっと好きという程度が高かったくらい。アニメ好きでも、モテないですよね。マンガ描いてるより、こうギター弾いてバンドやってる方が、圧倒的に女の子にモテる。友だちはどんどんそういう音楽とかスポーツとかメジャーな路線に行って、いつまでもマンガやってるのは、やっぱりマイノリティ路線ですよね。

中谷:「見る」から「やる」にかわる瞬間というのは何だったのでしょう。
庵野:マンガは、小学校の頃からコマ割りしたのをノートの角に描いたり、教科書にパラパラマンガを描いたりしてましたね。自分はマンガの才能ないなと思っていたので、えぇ、全然ダメですね。絵もそんなに上手くないし。高校の頃、8ミリ映画のちょっとした自主制作ブームがあって、小遣いはたいて、映写機とカメラを買って撮り始めたんです。最初は他愛もないトリックみたいなもの。当時は、アニメと言えばセルという固定観念しかなかったんで、画材屋でセルや色づけするものを買ってアニメをチョコチョコっと作ったんです。ドラマなんかなくって、ヤマトが奥から手前にくる、という作画。それを見た時、自分の描いたものが動くという、ものすごい感動だったんですよ。うれしくて楽しかったですね。学校では問題児だったと思うけれど、美術部の部長だったのをいいことに予算使って仲間とフィルム作ってましたね。高校の時は麻雀とそういうことばっかやってましたね。文化祭にかけて結構ウケましたし。
●『DAICONFILM4』オープニングムービー

そもそも、庵野さんがアニメーションの世界に本格的に乗り出したのは学生時代。当時、監督を務めたこの作品は、アマチュアの域を超えた圧倒的なクオリティの高さに、アニメファンの間で話題を呼んだ。

中谷:プロになるきっかけは?
庵野:成り行きですね。人に勧められて。大阪でSF大会というファンが中心になるイベントで、ボクの作ったものを見たスタジオぬえのスタッフの人が、新しい企画を考えているのでそれを手伝わないか、と。それがきっかけですね。その後(超時空要塞)マクロスの、板野一郎さんという人に出会ったんです。その人がすっごく面白い人だった。何かになりたいとかアニメを撮りたいと言うよりも、板野さんのそばで仕事をしたいというのが大きかったですね。自分の意志があるとすればそれですね。
だからそんなに(アニメ作家などを)目指していたわけじゃなくて、ただ漠然と成り行きにまかせて、楽しいことを見つけてそれをやってる、と・・・、まぁ、こうなったという感じですね。
● 庵野秀明の「感動曲線」とは

中谷:監督として、節目に作品の感性を見た時の感動というのはどんなものなんでしょう。
庵野:だんだん薄れていって淋しいですね。やればやるほど体制ができてきて・・・。何かいろんなものが混じってきちゃって、ピュアなものが減ってくる感じがするんですね。あまりうれしくないけど、まぁ致し方なしという。(感動するものは)んー、何だろう、これも嫌なんですけど、職業病みたいなもので、「感動曲線」というのが自分でもわかるんですよ。人の感動とか心理的なものを、こうこうこういう風にもってきえば、たいていの人は感動するとか泣いちゃうとか。笑わす方が難しいんですけど、感動するとか泣かせるのは、そのボタンを押してあげればある程度感動しちゃう、そういう装置になってしまうのが、自分でもわかっちゃうんですね。「プロジェクトX」を見ると、クーッとなるように作られているんですね。
中谷:音楽然り、話のポイント然り・・・?
庵野:えー、トモロヲさんのしゃべり方然り。そういうワザというか、ポイントが見えてくると、自分でどんどん嫌になってくる。ボタンを押すのは簡単だけれど、それを押さずに何か出来ないかなといろいろ考えるのも面白い。これはなかなか難しいけれど。人間が感動するというのは、一度感動したものをもう一度味わいたいという、リピート的なものがあると思う。自分にもあるのでそういうのは避けられないんだけれども、と言って、全く同じ事をすると、”何だ同じじゃないか”と言われますしね。それに、映画の印象というのは、お客さんの環境次第で全然変わりますからね。10年前見て面白くなかったものでも今見ると良かったり。失恋してる時にラブラブな映画を見せられたら堪えられないけれど、自分がラブラブな時に見えれば、自己を投影してる感じがして嬉しくなってしまう。その時の精神状態で映画は変わりますね。
● 映像世代の宿命

中谷:幼い頃感性の豊かな頃に見られたウルトラマンやガンダムの雰囲気を感じますが、そこはかなり実体験あるんでしょうか?
庵野:映像世代というのは、見てしまうと影響を受けて、面白い部分は残るし、同時につまらない部分も影響を受けてしまう。そこでなぜつまらないかということを考えたり、消去法で、つまらない部分を真似しなければ面白くなるんじゃないか、ひとつの情報として、こういうものは面白くない、やっちゃいけないということを教えてくれることにもなりますね。何かの小説を読んで目が醒めることもあるし、映画を見てハッとなることもある。あくまできっかけでしかないかもしれないけれど、もし魚がいなかったら人間は泳ごうとおもわないだろうし、鳥がいなければ飛ぼうと思わなかっただろうし。影響を受けることは悪いことじゃないと思う。子供の頃からテレビがあったから映像どっぷりだけれど、映像を見ていると段々不満が出てくるんですね。自分だったらこうするという、それを見て自分なりに考えることですね。ボクの考えたガンダムやウルトラマンになっているかどうか。あくまで元があった上でのものなので、自分の作ったものは、「ごっこ」の延長上でしかなかったと思う。世代的にも子供の時に見たもののコピー&リサイクルしか出来ないんじゃないかと。
中谷:人間、モノを作るというのは、多分にしてそういうことがありますよね。
庵野:ありますけれど、特に多い感じがして、その辺はヤなんですけど、如何ともし難いですね。
中谷:我々の時代は高度成長で情報が増え、かなりそういう刺激があったかもしれませんね。
庵野:刺激があったのはいいけれど、刺激しかもらってない。ただ、僕らには国とかイデオロギーとか、個人や宗教でさえ、すがりつくものが何もないので、いいことなのか、悪いことなのか自分でも判断できませんね。自分とその周辺の小さな環境、テレビとかマンガ、音楽など、ものすごいインディヴィジュアルなものにしがみついてはいるけれど、結局そこから先には出られない閉塞感のなかで一生終わるんじゃないかという・・・、なんか嫌なんですよ。じゃぁ、外に出られるかとというと、それはまた難しい。
●『ラブ&ポップ』

アニメーションの世界で確固たる地位を築き上げた庵野さんが、この映画で新しい表現手段を手にします。村上龍の原作を映像化したこの作品は、全編、デジタルビデオカメラで撮影されました。

特異なカメラアングルと意表をつく斬新なカメラワークは彼ならではのもの。デジタルビデオカメラのフットワークの良さを生かし、同時代の世の中をクールにとらえた映像作品です。

中谷:かなり作品によって雰囲気が異なるように思えますが、本当に独りでやってるのかな、と。間口の広さをすごく感じますね。
庵野:本来飽きっぽいんです。映像というのは、刺激の連続で、その刺激を変えるには、河岸を変えるというのが一つの手かな。ボクの場合は、個人としての個性とかあまり出て欲しくないんです。極力表に出さず、できるだけ封印しておきたい。(作品から)滲みてきたりするのはしょうがないけれど。ボクが映画を作るというのではなく、面白い作品を作るために自分がやるという感じなんです。作品至上主義でいきたい。だから作品にとって良かれと思うことを判断してやるまでで、極端に言えば、自分が監督しない方がいいと思えば、する必要はない。監督をやるというこだわりはなく、面白い作品を見たいということ。企画によってこの作品は実写の方がいいとかアニメの方がいいとか決めるべきもの。メディアでも同様で、これはテレビ向けか映画向けか合わせるものだと思う。

中谷:庵野さんの作品をみているとすごく時代の空気感をとらえたものという印象があるのですが。」
庵野:自分に何もないからだと思う。ただのフィルターでしかない。なんかそういう雰囲気みたいなものを自分を通して外に出しているだけだと思うんですよ。最終的には、理屈では作らない。もっと感情的なもの、気分的なもの、雰囲気的なものとか。理屈というのは後からついてくるもの。「何でこういうものをつくったんだろう?」というのは後から考えればいい。そのときは「こういうのが作りたかった」でしかない。そこでテーマ性とか言われても、後で考えたり、後から人に「こうこう、こういう映画だよな」って言われて、「あ、そうだよな」みたいな。理由付けも人が考えてくれる。それで自分がはじめて気がつくとか。
中谷:本当に自分が作りたいから作っているというのが、返って世間を揺るがせるみたいなところがあるじゃないですか。
庵野:ブレてないんじゃないかと思う。自分にはワールドワイドなものは作れないと思う。もう日本語文化圏でしか分からないだろうというものしか作ってない。エヴァンゲリオンとかもそうだし。
中谷:でも、結果的にウケてる、世界的に。
庵野:それはあくまで結果。ほかの国の人達がどう受け止めているかは僕にはさっぱり分からない。その人たちの文化のなかでこういうものがキワモノとして面白いと思うのか、同調して面白いと思うのか、その辺は分からない。ただ、珍しいから見てるかもしれないし。
● 監督はシェフ

中谷:ジャパニメーションと呼ばれるものが世界にウケているという状況はどうでしょう。
庵野:「ボクはジャパニメーションと呼ばれるものが世界でウケてるのは、ただ日本が独占してるからだけだと思う。世界でこんなに多くのアニメを作っているのは日本だけだし・・・。日本の高度成長以降がデカダンスだっただけに、物理的・経済的余裕があったんだと思う。アニメを作って、見て、商売になるくらい豊かだった、そのおかげ。そういう現状を認識した上でしかモノは作れない。「ジャパニメーション世界一」というのは浮かれた雰囲気にしか見れないですね。さわりだけ見てメディアが「ウケてる」という言葉を取り上げている気がする。一番ウケてるのは「ポケモン」なわけで、そういった大くくりを広い意味ということで別にいいんだとする捉え方には、自分の感覚とのズレを感じますね。
中谷:メディアに向けてものを発するというか、メッセージというのは、庵野さんの場合にはそれは違うんだと。「あなた達の言ってることは歪んでる」という気持ちを持ちながら・・・。
庵野:基本的にはメディアは歪んでいるもの。編集が入るものはそういうものだと思ってるし。そこで幾重にもフィルターが入ってしまうので、メディアは盲信しちゃいかんと思う。新聞がウソを書くということも自分で経験してますし。取材される立場になると実感しますね。
中谷:作品は誰のために作るのでしょうか?見せたいと思う対象というのは。
庵野:一番最初が自分。次にスタッフ、その次がお客さん。自分が見たくないものは作らない。映画も料理も同じで、味見しないシェフはいない。自分が美味いと思わない料理は出さないわけで、それを客が食うか食わないかというのは、お客さんの判断ですよね。「これだけのお金をもらって料理を出してる。」という自負でしかないと思う。客に不味いと思われても仕方ないし、逆にものすごく食べたい、毎日食べたいと思われても同じ。映像も自分がこれを人前に出しても恥ずかしくない、それだけのお金を頂くモノであるというところで判断するわけで、その判断は自分の舌でしかないと思う。
中谷:産業として考えた場合、なかなかそういうふうに出来る人っていないと思うんですね。まずウケるという前提状況があることの方が多いし、その辺はどのように組み込んでいくのでしょうか。
庵野:商業的作品である限り、元は取らなきゃいけないと思う。当たるかどうかは時の運ですね。元を取るためにやるべきことというのは、より当たる確立が高くなるように、企画やバジェットの規模にあわせた上で考えて最初から組み込んである・・・、結局自分がやってる仕事はダメージコントロールでしかないので。
● 『式日』

実写映像による表現を模索し始めた庵野さんが満を持して挑んだ、本格的劇場映画『式日』。
ストーリーの主人公は孤独を抱えた男と女。創作のモチベーションを失い故郷の街に戻ってきた「カントク」。そして、自らの存在を世の中から祝福されることを拒絶するかのように、毎日奇妙な儀式を繰り返す「カノジョ」。これまで取り組んできた様々な映像のエッセンスが凝縮され、さらに新しい領域にまで高められた映像表現はまさに庵野美学の真骨頂ともいえる作品。主演のヒロインに原作者でもある藤谷文子、そして映画監督役に岩井俊二を起用するなど、役者のキャスティングにも庵野流のこだわりが見られる。

中谷:最新作の『式日』はご出身の土地で。
庵野:そうですね。生まれ育った町「山口県宇部市」で撮った。ひとつに、改めて宇部という町を見直した時に、凄く絵になる町なんですよ。まず、映像になるには絵になる町じゃないといけない。3年ぐらい前にようやく気がついて、「この町はいいや」と。あとは、好きなんですよね。あーいう風景が。自分の原体験は否定できない。
中谷:出演者に岩井俊二監督がでてるけど、そのわけは。
庵野:岩井さんがビジュアル的にイケてるってことと、あとは同じ監督やってるってこと。劇中の主人公の男を映画監督という職業にした時に、映画監督は映画監督にやって欲しいというのがあった。そこに映画監督がいるだけで本物ですから、ちょっとウソがなくなるという。あとは現場的にいちいち説明しなくて済んだ、楽できたところもある。凄くナチュラルな感じでよかったと思う。そこにいるだけで映画監督ですから。この映画はごく一部の人にものすごく共感できるように作ったんですが、そういう意味ではポピュラリティがある。藤谷文子さんが演じている女性の内面的な問題を少しでも感じてる人はすごく共感すると思いますね。名前が出てくるのはネコだけで、個人の話にしたくなかったから、それ以外名前というのは出てこない。
中谷:ワンカットごとの神経の使い方が半端じゃなかった気がするんですが。
庵野:そうですね、絵作りにはこだわっています。映像だけは美しくしようと、そのための35分のシネスコで、宇部市なんです。カメラやカメラ位置はものすごく作り込んでいて、反面、そこに映っている人はできるだけナチュラルであって欲しいと考えてました。
中谷:デジタル表現というのもかなり入っていたように思いますが。
庵野:心象風景とかイメージとしてのデジタルと、岩井さんが回しているのがデジタルカメラですね。心象風景とは基本的でイメージで構成されているもの。ボクはCGというものはイメージで作られていると思うのでそこにないものを描くにはCGが一番いいんじゃないかと。頭の中のイメージシーンというのはすべてCGをベースに作っています。
● デジタルの落とし穴を知る、ということ。

中谷:庵野さんとデジタルの関り合い、関係というのはどんな感じでしょうか?
庵野:デジタルは便利なツールだと思うけれど、基本的にはそれ以上のものじゃないと思っている。デジタル化にとって一番いいのは時間短縮、パーソナルな仕事ができること。35ミリのカメラを回そうと思うとある程度技術を持っている人間が3人は必要になる。ハンディカムだと役者でもボクでもプロデューサーでもまわせる。『ラブ&ポップ』をハンディカムで撮ったのはそこですね。一番少ない時でスタッフは自分一人ですから、「あそこの絵が足りない」というときに、電車に乗って撮って、編集に追加することが可能になる。
中谷:そこで、クォリティという部分については?
庵野:いや、クォリティ、技術的な水準というのはどんどん上がっていくものだと思う。今だったら『ラブポップ』もいろんな絵がもっと綺麗に撮れてると思いますよ。やっぱり4,5年前には、「くそー、これがあれば・・。」というのがあった。まぁ『ラブ&ポップ』は綺麗な画が必要じゃなかったし、それを売りにする映画じゃなかったけれど、逆に『式日』はビデオで撮る気にはならない。あれは岩井さんの主観的なところ以外はビデオは要らない。そういう使い分け、イメージ分けみたいなものがあるんだと思っています。あとは、編集がノンリニアで時間短縮できるし、ストレスが軽減されてすごく助かりますね。それからプロじゃなくてもデザインができる。ポスターとかが自分で作れるのはありがたい。でもデジタルの落とし穴はそこにあると思う。自分で全部出来てしまうというのが怖い。集団作業の映画はデジタル作業による時間短縮とか、段取りが減る分他にいろいろ回した方がいいんじゃないかと。アナログが持っている不便さを知っているだけにデジタル移行したときにデジタルが持っている特性が浮き彫りになる。だからそのためにデジタルを使う。それがなければデジタルに行く必要はない、アナログで充分。僕自身は、集団作業だからできる面白さがあるから映像をやっているわけで、少なくとも役者とボクがあることによって別のものが生まれる。自分はたいした人間じゃないので、人様の役に立つといったら、今のような仕事しかない。映像を使ってでしか社会とコミュニケーションできないので、そういう場所に居ざるを得ないけれど、それさえも独りでやったら、発表する場でしか世間が存在しなくなる。これは怖い。自分がどんどん外れていく気がする。そこは確かにすごく居心地がいい。でもそこ居心地のよさというのが、また怖い。そこから抜けきれなくなるんじゃないか、と。それにデジタルとアナログの両方を知っておくべきですね。例えばモノクロを知らずにカラーだけだとその使い分けが難しい。物事には必ず多面性があるということ。人間も裏表、恋も裏表、何かが在れば最低そこに二面性はある。そういう意味で、デジタルだけにとらわれないで、8ミリフィルムで何か撮った上でデジタルをやってみるとか、逆に8ミリだけの人はデジタルがどういうものなのかやってみるとか。あくまでツールなので、一つにこだわる必要はないと思う。デジタルやってる人はひたすらデジタルでやってしまう傾向が強いと思うんですけど、個人的にはいかがなものかと。
中谷:時代が便利になると立ち返るというのは…。
庵野:難しいけど不便を知った上で便利のありがたさが分かる。不便を知れって事です。今の人たちは情報もインターネットで検索すればすぐに出てくるものだと思ってるが、実は情報というものはものすごく苦労しないと手に入らないものだということを知った上で、インターネットのありがたさが分かる。あれが出発点にある人はこれからどうするんだろうと思うけど。
中谷:コンピュータのマウスだけいじってると、身体性というのがすごく少なくなる。そういうところが問題だと思う。庵野さんも実際に一枚一枚アニメーションを描くという、そういう苦労ってありますよね。
庵野:そうですね。それを知った上で、苦労しないためにはできるだけリスクを削っていくというのも、進歩の一つだと思う。分からないうちはリスクを背負った方がいい。ハイリスク・ハイリターンというか、でも最初はハイリスク・ローリターンからやるのがいいと思う。若いウチはそっちの方がいいですね。。
● 庵野秀明の向かう先

中谷:最近庵野さんは演劇に興味をお持ちだと。
庵野:演劇も面白いですよね。映像と演劇は全然違うものだと思う。演劇の一番好きな所は、ひとつの空間で出来ているところ、空間にいる人間の関係性で成り立っている。シンプルなところがすごくいいですね。役者と観客の関係性も含めてですけど。そこに空間はあっても、舞台はない。何もないとこでも、演劇は成立する。「こんな宇宙空間、どうしたんだろう?」といえば、お客さんは宇宙空間だと思ってくれるんですよね。そこにその人たちが存在とする歴然とした空気がある。それは「生」なんですよね。演劇の場合は、立会人、目撃者なんですよね。そこに起こっている事の。強固な関係性で成り立っている演劇というのは、希薄な映像に比べていいなあと。コピーできないとか、その場に行かないとできない、そういう不便さはあるけれど、それを押してまで観に行きたいと思わせる何かがあるというのが演劇のいいところですね。
中谷:シーンごとの違いはあるけれど、あるシーンの中でのカット割りは観客に委ねられますよね。どこを観ろというのがない。
庵野:それも関係性。そういうお客さんが観たいところを選べるというのも演劇の強いところ。あくまで空間の芸術、空間を描くというのは羨ましいし、やってみたいなと思いますね。アニメやってるときは、リアルなものに憧れた。アニメはリアルが全然存在しないので。無いものねだりなんですよね。アニメーションにリアルを感じさせようとやったけど。映像にはリアルなものは無いんじゃないかと。僕は最近はリアルなものじゃなくてナチュラルなものにいってますね。リアルは追求してもしょうがないと思いますよ。流れとか、雰囲気とか、気分とか、雑感的なものの中にある、ナチュラルな感じ。より自然な感じ、そういうものを描いていきたい、見つけていきたい、作っていきたいですね。
● 何かを成し遂げるための3つの条件

中谷:今後はどういうものを作って生きたいとお考えですか。
庵野:自分が作っているものは、極端なものから極端なものに飛んでいくという、リバウンドでしか作ってないと思う。何か、お気楽で、おバカな、ただ元気が出るアクション映画なんかいいと思いますね。映画館を出たあと喫茶店に行って語り合うようなものではなく、何も考えずに、「あーおもしろかった。」という、理屈じゃない快感があって、そこを他人に伝播するような、そういうものがやりたい。(ファーストアプローチは)ボクの場合はヴィジュアルですね。こういう画を見たい、撮りたいというところから。具体的に話が動けば、2003年公開になります。大分先の話ですが。
ボクが宮崎駿さんのところで仕事していた時、言われていたのは、毛沢東の言葉だと思うけど、「何かを成し遂げるには、3つの条件がある。若いこと、貧乏なこと、無名なこと。」と。その時宮崎さんは、オレはもうダメだって言ってたけど(笑)、でも世間の中の宮崎駿はまだまだ無名だったんですよ。ボクもあるカテゴリーの中では有名人扱いだけど、世間に出ればまだまだ無名。まだいけるかな、と。ただ若くはなくなりましたけど(笑)。
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