スポーツ報知のメインコンテンツへジャンプ

◇…スポーツ報知の購読申し込みは、フリーダイヤル 0120-16-4341(イロ ヨミヨイ) まで…◇

◇…過去の記事は、ご使用のプロバイダのデータベース・サービスをご利用ください。…◇

スポーツ報知>社会

ここからスポーツ報知のメインコンテンツです

厚労相就任の日も真夜中に洗濯…妻が語る「舛添要一という男」

舛添厚労相を陰から支える雅美夫人。夫より先に床に就くことはないという

舛添厚労相を陰から支える雅美夫人。夫より先に床に就くことはないという [写真を拡大]

 ◆雅美夫人インタビュー がけっ縁の安倍内閣で、驚きの初入閣を果たした舛添要一厚労相(58)の妻・雅美夫人(43)が8日、スポーツ報知のインタビューに答えた。入閣前は安倍晋三首相(52)をメッタ切りを続け、大臣に就任した途端、週刊誌上で過去の女性問題が暴露されるなど、何かと注目を集める夫に妻は何を感じたか。「尻に敷いている」という説もあるが、今まで語られることのなかった「舛添要一」の素顔に迫った。

 【政治家として】 瀕死(ひんし)の安倍内閣の“少サプライズ”として登用された舛添氏。組閣当日の8月27日、雅美夫人は自宅兼事務所に落ち着かないまま控えていた。午後になって安倍首相から電話があり、大臣就任が決まった。
  「本人はポストが何になるのかを気にしていました。得意分野でないとお役に立てないし、『お友だち内閣』ではないというエクスキューズ(言い訳)での登用なら入閣は断りたいとも言ってました。厚労相は自分で納得できると判断したようです。主人に『安倍先生にあれだけ失礼なことを申し上げて本当に入閣なんてあるの?』と言ったりもしました」

 入閣前、舛添氏は「安倍批判」の急先鋒(せんぽう)。過激な言動で首相までたたく姿に雅美夫人も肝をつぶした。
  「舛添本人の主義主張だけは周囲はいかんともし難い部分はあります。あの性格ですし。私は聖心女子大出身ですが、(首相の)昭恵夫人は同じ聖心の先輩です(系列の聖心女子専門学校卒)。安倍先生を批判し始めた時から昭恵夫人に『合わせる顔がないんだけど…』と感じていたんです」

 内閣改造後の報道各社の内閣支持率は軒並みアップ。ちまたでは舛添氏のことを「支持率を10%上げた男」との声もある。
  「まずは支持率が上がってホッとしました。実は私も重圧がありました。主人は自分の事務所の取締役だったので大臣就任後は職を解きました。それに伴って年金や保険を書き換えたのですが、とにかく手続きが煩雑で。厚労省の管轄ですからミスも許されないと思うと緊張しました。おかげで先日、小学生の娘をバス停で見送ったのはいいけど、私が娘の荷物を持ったままなんて凡ミスまでしちゃいました」

 就任後も問題が噴出する厚労省。雅美夫人にとって激務に追われる夫を支える「内助の功」は。
  「私は選挙でもマイクを握りませんでした。家族を仕事に巻き込むのは嫌いみたい。主人は今、120%で取り組んでいるので体が心配。食事を含め、健康管理に気を付けたい。それと、一主婦としての意見を家庭での会話で伝えたい」

 雅美夫人は、毎日真夜中に就寝する舛添氏の姿を見届けてから床に就くという。

 【夫として】 89年春、知人の紹介で、当時東大助教授だった舛添氏の下で働くことになった雅美夫人。出会った当初の印象は…。
  「働き始めてすぐに学生たちから『舛添先生って離婚したみたいね』と聞きました。そしてその年の6月に大学を辞め、独立しました。最初私も年齢が離れていて(15歳)恋愛対象ではないと思ってましたし。むしろ、離婚して大学も辞めて『この人、人生に負けている。嫌だわ、こういうおじさん』って(笑い)」

 それでも舛添氏の“動物的”な押しの強さで約7年間の交際を経て、96年にゴールイン。当時福岡に住んでいた舛添氏の亡き母・ユキノさん(享年86歳)の介護がきっかけだが、初めてお見舞いに行った際、会食した舛添氏の友人らが「お母さんにもしものことがあったら…」と言い始め、その場で半ば強引に結婚式の日取りまで決まったという。

 今では「良きパパ」の舛添氏だが、かつては浮名を流した存在。大臣就任以降、数々の週刊誌で過去の女性問題が蒸し返されるが、奥方の目にはどう映っているのか。
  「主人は今回(の内閣で)目立った活動をしているので『絶対に(醜聞報道が)来る』と構えていました。報道のすべてが真実ではありません。これらの話は付き合っていた時からたまに雑誌に出ていましたし。新しいネタは絶対に出ない自信もありました。お金の問題も含め、手続きなどを丁寧にやってきたつもりです」

 職務に支障がないスキャンダル報道を笑いを交えて一蹴した雅美夫人。この強さはどこから来るのだろうか。
  「周囲はひそかに私のことを『前の奥様に比べて、おつむは弱いけど、気持ちはもっと強いかも』と言っているようです。実際はどうかって? 互角かな。ハハハ」

 前妻は舛添氏と同じ東大出身の片山さつき衆院議員。舛添氏が主催する会合で、あいさつする政治家が片山氏との過去に触れる“お約束ネタ”。それでもダンナの過去は気にならないのか。
  「本当にモテるんですかね? 結婚して初めてのバレンタインデーは気の毒なくらいチョコがきませんでしたよ。いろいろ取りざたされていますが、私としては(タレント)小島よしおの心境ですよ。『そんなの関係ねえ』って」

 【父として】 舛添家は家事分担制を取っている。舛添氏の担当は毎朝のゴミ出しや玄関先の牛乳取り、そして洗濯。大臣就任した当日も帰宅後、真夜中に洗濯機を回していた。
  「私が出産してから主人は率先して家事を手伝うようになり、今の形になりました。海外留学を経験したので自炊もします。肉を焼かせたら私より主人の方が上手。子供たちも『パパの方がおいしい』と言うくらいです」

 1男1女に恵まれた。子煩悩として知られる舛添氏だが、その様子は…。
  「もうバカですね。子供たちへのおやすみのキスは強制です(笑い)。風呂も一緒に入りたいので、いつも必死で帰ってきます。出張から帰る途中に電話で『今、東京駅着いたから待ってて』なんて言ってくるのはざら。大臣になってからは、子供たちと触れ合う時間は自然と減っています。ただ、最近は小学校に入った娘から少し煙たがられているのですが…」

 仕事では容赦ない舛添氏だが、子供たちをどなりつけることはほとんどなく、家庭では正反対の顔。しかし、甘い顔するばかりが優しさではない。今春小学校に入学した娘は「お受験」を経験したが、夫婦同席が“常識”の面接に来なかったという。
  「仕事の都合もあったのですが、実力で合格しても、自分が面接に出ることで『父親のおかげで』と勘ぐられる場合があると考えたのでしょう。こういうやり方はかえって子供たちを傷付けるのだと…」

 ◆舛添 雅美(ますぞえ・まさみ)1964年1月6日、神奈川県湯河原町生まれ。43歳。聖心女子大学文学部卒業。89年に美術館学芸員として働きながら、東大助教授だった舛添氏の私設秘書を務めた。その縁で96年に結婚。家族は要一氏、長女・果連ちゃん(6つ)と長男・龍之介ちゃん(4つ)。血液型O。趣味は乗馬、読書。

特集   直撃インタビュー

この記事をlivedoorクリップに登録

この記事をYahoo!ブックマークに登録

ソーシャルブックマークに登録

(2007年9月9日06時02分  スポーツ報知)

提供:BIGLOBE

スポーツ報知の出版物

マガジン報知