2000年10月16日更新
1.日本ハンガープロジェクトとは
2.熊谷英憲の参加形態とそのいきさつ
3.そして西暦2000年 ! 2000年 5月18日up !
4.THPJからHFWへ: 5月21日ミーティング ! 2000年 6月 6日up !
5.律 彩子 チャリティーコンサート ! 2000年10月15日掲載 !
6.講演会報告 その1「農業開発と人間開発から始まる飢餓根絶への道」
//熊谷の私室へ
いわゆるNGO(non-governmental organization)。
世界の飢餓を終わらせる活動をおこない:飢餓と飢饉の区別については別記予定、
アメリカにあるグローバルオフィスをはじめ各国で組織されている。
経済的/物的援助だけでなく、「飢餓は終わる」という認識を広める
(=風潮を創る)ことに焦点を置き続けているという特色がある。
日本は支部として長らく飢餓の地域での活動を財政的に支援する活動を中心にしてきたが、
1990年代後半から現地でのプロジェクトにも重点を置くようになった。
日本での活動当初の方針は「西暦2000年までに世界の飢餓をおわらせる」ことにあった。
この際の具体的なゴールの設定は乳児死亡率(IMR= 生後1年以内の1000出生に対する死亡数)を50以下にすることであった。
活動内容はTHPJ改めHFWJPが開設しているWeb site、もしくは、
対談集「I WANT TO LIVE〜飢餓なき世界へ」(栗原弘美編著/現代書林:
2000年1月1日付発行扱)に詳しい。
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1993年より月2000円のグローバル・ファミリー(登録# 1032):ハンガープロジェクトを経済的に支援する会員。
折に触れて講演会に参加し(1年に1辺だけだねと言われた−苦笑)、
アフリカなどでリーダーシップを取っている方のお話を伺ったり、
現地の様子を知らせるスライドを拝見したり。
この体験は、日本に生まれ日本に暮らす幸運な私自身の身の振り方を考えずにはいられない。
当時は修士課程の1年次で塾講師のアルバイト収入で親の扶養家族にならずに生活していたので、
はじめ「理念は判るけど、寄付なんて(とんでもない。僕が)貰いたいくらいだなぁ」等と思っていた。
が、「熊谷君から(毎月)2000円を取ってしまって飢え死にする様だったら、飢え死にしないようにまず成ってください。そのときにまたお話するでしょう。
もし、今あなたの2000円がなくても(あなたが生きていくのに)困らなければ、その2000円を提供してください。」と言われて考え直した。
元来本は良く読む方で、それなりに飲みにも行くので、そのくらいはどうってこと無い。
2000円は新書なら3冊、1回分の飲み会代にもならない。
院生になって文献も学部時代とは比較にならないくらい読む必要があるし、
実験で忙しく、飲みに行く回数も減っていた。更に、塾の方でも時給は順調に上がり、
4畳半の下宿で暮らす分には困らないていどにはなっていたこともある。
さらに、独立した世帯主である私には当然地方税も社会保険料も掛かっていた。
明らかに破綻を繕う意図で値上がりし、強制加入を始めた国民年金の保険料が月1万円程度、
大して罹りもしない病気のための(国民)健康保険が月5000円:その後歯槽膿漏と発覚して少しは使っている(笑)。
お世辞にも上手に使われていない(あんな区役所/都庁のための)地方税も年に1〜2万は徴収されている。
それくらいなら、もっと確実に役立つはずのところにそのくらいは良いじゃないか、というわけでごく軽い気持ちで始めたのである。
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かくて迎えた2000年。正直なところ気が気ではなかった。1999年のIMR世界平均は57。
1年に2乃至3の低下というから、いずれ達成される目標としても2000年は相当に難しい。
ある意味私自身の中で惰性になっていた部分があることも否定できない。
気にはなるが30間近でやっとの就職の方も落ち着かない。
ある意味、行動に結びつかない程度に他人事化していたとも言える。
嬉しいことにオフィスのスタッフはもっと切実に受け止めていた。
3月半ばに前の下宿に話がある旨電話を貰ったとき「しめた!」と思った。
HFWへの移行案(後述)を聞く前に 「今年が2000年だがどうするのか。 今年の末が期限なのか、それとも既に期限が来たのか。
目標は世界平均なのか、すべての国/地域で50以下を目標とするのか。
飢餓が終わるという見通しをどう持っているのか。
今年中にIMRが50以下にならない場合はどう対処するのか。」 一息に訊いた。
その1つの解答がHFWへの移行である。現在ニューヨークの本部は2000年を期限とすると明確に打ち出していない。
また、先進国での活動を資金確保に限りつつあり、方針の違いが出始めた。
無論、活動がやむことはないし、目標を投げ出しはしないが、
冷静な情勢判断としても何かよほどの手を打ち有効打にならない限り年末での達成はかなり難しい。
そこで、日本支部は2000年が始まる段階でIMRが57であった事実を結果として、公表し、
これを以てハンガープロジェクト日本支部の活動を終える。
新たにハンガーフリーワールド:HFWを結成、飢餓の根絶を目標に掲げての活動を展開する……。
私は、この正直な構想に賛同するものである。
これまでの活動は何を創出してきたか、何が残されているのか、希望的観測を斥け、客観的な把握を行うための
明瞭な区切りになると評価するからだ。
私は地球科学の研究を職業にしている。
これは直接にひとびとの生き様を左右するものではないが、大学院生としての修行期間を通じて、
尚一層強まってきた疑問とそれに対しての個人的な妄想がある。それは、
なぜ我々はここにいるのか?我々の存在意義は何か?ひょっとするとこの宇宙を識ることがそれではないか?
ということだ。この大きなしかし宇宙の中の砂粒より小さな惑星の上で更に更に小さな生き物が産まれ、
巨大な宇宙を識ろうとしていることの不可解さ。
そして確かに、宇宙の歴史にある解釈を与えた先達の名を冠した大気圏外の望遠鏡が捉えた宇宙の深淵に心躍らせることもできるという喜び。
それを想うと、60億を超える人々一人一人にたとえばそういった喜びがあり、大きな可能性を担っているならば、
少なくとも意識的に世界を把握する年齢になることを妨げられ、自分の意志で人生をつかみうる可能性が圧殺されることを
看過してはならないのではないか、と思う。
いや、そういった状況の存在こそは人間性に対する挑戦ないし嘲弄ではないかとさえ思える。
あるいは科学の役割こそは我々の存在意義を明らかにし、<私/人々>がよりよく生きることにあるのではないか、とも思うのである。
そのスタートは2000年 5月21日。カンダパンセ8階大会議室のミーティングである。
***問い合わせはoffice@hfwjp.org/詳細は機関誌:隔月刊\500に詳しい ***
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公式の議事録は来月任意団体HFWのスタートとともに発行される会誌に譲り、
熊谷英憲という個人のフィルターを通して記憶に残った話題に絞る。
来賓のNamiさん−−この方は日本にTHPを紹介されたメンバーでもある−−の話には記憶通りのキレがある:
この方がトレーナーをされていたセミナーに6年ほど前参加したことがあるのだ、それはさておき。
自由を支えるもの=豊かな経験であるはずという指摘は非常に示唆に富む。確かに、乏しい経験の中で自由にしろと言われても豊かな未来は見えてこないだろう。
昨今の「子ども達を自由に…」の流れは何かの困惑を表しているようにみえる。これは何らかの重大な過渡期のサインではないだろうか。と彼女は言う。
「<自分>のために生きる人生」の一般化への転換期にあたっているのではないだろうかという閃きが、今彼女をエキサイトさせているという。
この流れの中で日本のハンガープロジェクトが独立することは素晴らしい。そう彼女は締めくくった。
この中にはTHPJの転換への承認だけでなく、現今の日本社会への鋭い状況分析がある。
そして祢津、津田両理事からHFWとしてのヴィジョンがプレゼンテーションされた。
HFWのヴィジョン
モットー:「共創協働」
活動拠点:アジア・アフリカ・中南米の12ヶ国:現在協力関係を継続。
活動の目的:飢餓・貧困の根絶
ではその定義とは:人間らしい生活に必要な4つの要素に著しい欠乏がみられること
4要素: 心身の安全・健康/教育/所得/人としての尊厳
立脚点「我々は飢餓のある世界に生きている」
飢餓の影響下にある人々=8億人
貧困 〃 =12億人
この状況を「どこまでを私の世界として捉えるか」という視座からみれば、
なかなかにエキサイティングではないか。
更に付け加えるならば、
この状況を「変えねばならぬ(縛るもの) => 取り組む価値のある問題」と転換すれば私にはより心強い。
で…、
第2部のパーティーでは創設から深く関わった方々とお話をさせていただく機会があった。
その中で整理しきれなかった想いを書いてみようと思う。
日本というくにの現在抱えている問題は精神の貧困であるという指摘は本日のミーティングに限らず再三再四なされていると言えよう。
これはある意味できわめて幸せなことで(生命の危険があるとき悠長にそんなことを考えていられるだろうか?私には出来そうもない)、
生存を物理的に脅かされなくなったためにやっと顕在化したとも、経済成長の間に置き去りにしてきたとも診ることができよう。
そういった問題点とみえるものの行き着くところはどこまでを<私>の人生として捉えるかに集約されないだろうか、と思った。
来賓のナミさんが提供された話題の中に、かつてTHPを日本に紹介した頃の反応は「自分の幸せかお金儲けしか人生の目的として言おうとしない」
ひとびとばかりであったというくだりがあった。このままではうまく根付かないだろうと懸念したという。
それが自己啓発セミナーの展開を決意させたというのだが、聴きながら思考は勝手に動き出していた。
おそらく「私独り」の幸せを追求している間は私独りさえ幸せになれない。
家族だけの幸せを願っている間は<私の>家族は幸せになれない。
世界が幸せになったとき<私>は幸せになるだろう。
ならば、もう一歩進もうではないか。
我々人類がこの地球上での責務を果たしたとき、この地球全体がうまくいったとき、
いきとし生けるものばかりでなく大地も海も…、あるいは一世を風靡したガイア:総合的生態システムとしての地球という見方でも良いが、
それが幸せになったときと言い換えても良かろうが、本当に一人一人が生き甲斐を感じ確かに存在出来る場になるのではないだろうか。
それは結局は我々の存在意義の実感へと繋がるはずだ…。
…かくて私の妄想へと思考は循環していく。
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2000年10月15日 東京
さて、HFWはNPO(特定非営利活動法人)の指定を受けましたが、
シャンソン歌手の律 彩子さんがお仲間と作っているNPO"東京芸能人フリー会"と協力して
チャリティーコンサート「地球人として」を開きました。
でまぁ、滅多にチャンスがないのでこの機会にと思って出掛けました。
あいにくの雨模様でしたが、新宿住友ビル地下の住友ホールを7分ほど埋める観客でした。
元来フランス語のものに邦訳の詩を付けると違和感があるところもありますが、
なかなかに楽しめました:原詩のフランス語はたまに単語が判るぐらいでしたが。
私としてはMCで垣間見える律さんの想い:出来ることをやっていこうよ、かな
に感銘を受けてましたけど。
確かに統計に引っかかるだけでも1日に3万5千人が飢餓で命を失い、
その8割が5歳未満というこの状況を思えば、なんとかしなければ…という焦りも感じます。
ピアノの土岐さんの仰るように人類がいなければうまく行くという考え方も一つの解ではありましょうが、
私としては自分の人生を選択する機会を得る前に亡くなる3万人の子ども達を思うと
やはり、”ヒト”が存在する意義: raison d'etreを思わずにはいられませんね。
この辺が地学屋のがんばりどころという気もします。
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農業開発と人間開発から始まる飢餓根絶への道
1999年12月12日 東京
講演はハンガープロジェクト・ブルキナファソ事務局長のイドリサ・オスマン・ディコー博士。
ブルキナファソは西アフリカ象牙海岸北の内陸国で、北側でマリ、ニジェール、南側でガーナ,ベニン他と接する。
講演ではブルキナファソの飢餓の実態とハンガープロジェクト・ブルキナファソ(以下THPブルキナ)の取り組みが紹介された。
まずブルキナファソの現状が紹介される。総人口1100万の60%を15歳までが占めるという若年層に広い人口構造になっている。
このうち12〜15歳の年齢層でのhigh schoolへの進学率は16%にとどまっている。乳児死亡率は115に達し、
このような状況は1930年代の日本と多くの共通点を持つともいえる。さらに飢餓の要因を客観/主観両側面に概括した。
○客観的要因:
・近代的農業技術の普及がなされていないこと
・気候風土的問題
・衛生状態/マラリヤなどの風土病
○主観的要因:
・提供されることに疑問を持たない意識構造
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