11月29日、東京の弁護士会館クレオで、東京環境行政訴訟原告団協議会の発足記念集会が開かれました。集まった原告団は次の6団体です。筆者は杉並区在住で浜田山・三井グランド環境裁判の傍聴を続けてきた者です。
・小田急高架と街づくりを見直す会
・まもれシモキタ!行政訴訟の会
・梅ヶ丘駅前けやきを守る会
・日赤・高層マンションから環境を守る会
・羽沢ガーデンの保全を願う会
・浜田山・三井グランド環境裁判原告団
原告団代表のみなさん
まず、東京環境行政訴訟原告団協議会代表の小山伸二さんのあいさつがありました。
――原告団協議会の結成の経過についてお話ししたいと思います。三井グランドの裁判は2005年12月の小田急高架訴訟最高裁大法廷で門戸を開かれた原告適格の、その実質的な意味を問う初めての裁判でした。しかし、本裁判に先行して、違法な車両通行の認定処分執行停止の申立てに対して、杉原裁判長は「原告適格なし」で却下しました。残念ながら改革に逆行するものであり、裁判長ら裁判官3名に対して忌避申立てを行いました。現在北海道から沖縄まで214名の弁護士が判決の撤回を求める意見書を提出しています。
この判決は他の原告団にも大きな影響を与える大問題であり、市民がつながる必要があると思います。国も建て前では緑を守るといっていますが、経済至上主義、利益追求はとどまるところを知らず、企業の質が問われています。行政はそれを押しとどめるのが役割であるはずなのに、全く逆に官民癒着し、嘆かわしい状況です。三井グランドでは官民談合によって84,000m
2の大地にコンクリートが流し込まれ、樹齢60年の古木が切り倒され、痛めつけられています。
20世紀は資本家と労働者の闘争が軸でしたが、21世紀は地球環境の維持が最大のテーマです。次世代のためにも心を一つにして立ち上がり、環境破壊行政に圧力をかけ、各地の環境破壊を食い止める貴重な一歩となりたいと思います。古い行政と癒着した司法の横暴と闘っていきましょう。――
次に6つの原告団から3分間ずつのスピーチがありました。それぞれの裁判についてわかりやすく紹介することは筆者の手に余るものです。まとめて言うと、これらはすべて行政と大企業とが癒着し、違法な手段で建築基準を緩和して街を高層化し、緑と住環境を破壊する都市の再開発であり、原告団はかけがえのない環境を保護・保全して人間が暮らしやすい街を子どもたち、孫たちのために残していこうという目的で裁判を行っています。
続いて、小田急高架訴訟で最高裁大法廷の「原告適格」を勝ち取った斉藤驍弁護士(以下、私)の「小田急大法廷判決はなんだったのか?!」のお話がありました。
――私は弁護士になって43年になります。昔は40年間弁護士をやりますと弁護士会は表彰状をくれたのですが、現在は50年やらないとくれません。しかし43年は長いようである意味、短いものでした。全く偶然ではありますが、私はずっと環境裁判をやってきました。学生の時は特にそういう気持はなかったのですがね。
私の学生時代は60年安保で、改定に反対していましたので、戦争と平和の問題に関心がありました。当時水俣病はすでに発生していて、厚生省は1950年代に掌握していたことを後になって知りました。大変な公害でしたが、私は深い関心を抱くことはできませんでした。弁護士になって、結果として環境裁判をやるようになったのも、田中角栄の日本列島改造論からです。3大改革と言われた中で特に大きかった日本一の開発は鹿島臨海工業地帯の開発で、これは高度成長を代表する開発でした。
中学生の時に遠足にいった水郷は水の豊かな美しいところでした。水が豊かだから工場にもってこいだと、鹿島が選択されたのです。そして巨大開発に公害はつきものです。高度成長路線にアンチテーゼを作らなくてはと思ってやりましたが、私が直面したのは鹿島水郷の自然破壊で、それを契機に目の前で展開していく社会の変貌はすさまじいものでした。
当時は映画全盛期で黒澤明もいましたが、今井正の「米」を中学校の鑑賞会で見に行きました。「米」に描き出された水郷の豊かな自然がわずか10年で失われました。その頃から反対している人も今日、来ています。昭和30年代から環境と民主主義を守るためにがんばっている人たちがいます。保守と言われる茨城で、鹿島だけ異例なのです。鹿島市の労働組合は35年間無料法律相談を行っており、その相当部分を私が担当しました。崩されていく人間の営み、その中のさまざまな問題を解決するためにいささかお役に立つことができたと自負しています。
21世紀は「環境の世紀」と言われます。先ほど小山さんが20世紀は資本家と労働者の闘争が軸であったとおっしゃっていましたが、革命と戦争の繰り返しでありました。21世紀には別のものが立ちはだかっています。それは20世紀の資本主義経済が作りだした非常に大きな負の側面であり、簡単には回復できない状況にあります。
環境問題の根っこは20世紀の資本主義、ソ連などの社会主義が生み出したものです。それをはっきり見ておかなければなりません。それを自覚し、自己変革していくことは、口先では簡単ですが、本当は大変なことです。先ほど原告団の6人の方々が自分たちの問題を話されました。都市の環境問題、開発と公共事業の問題は、緑が失われるというだけでなく、人間的な街そのものが失われる状況にあります。
一昨年、大法廷判決が出るまでは、被害原因である、鉄道・道路・マンションなどを作ることに対して、その事業の地権者を除く周辺住民は、法律上裁判所でクレームをつけることはできないという判断が日本の裁判所を支配していました。ある意味、わかりやすい被害やテーマを裁判所が受け入れないままだった何十年だったわけです。
つまり裁判所は教科書で学んだような裁判所ではなく、裁判官も官のうち、司法官僚なのであって、そこに政治家や企業が集まり、その中で司法が作動している現実なのです。裁判員制度を創設したり、司法試験をやさしくして3,000人以上合格させたり、ロースクールを作るという、カギカッコつきの司法「改革」の流れの中で、行政訴訟をどうするのかは大問題になっていました。しかし、今までのように安直でよいと考えていることが、今回、三井の判決ではっきりしたので、忌避の申し立てをしたのです。
裁判所と我々の関係は今に始まったことではありません。皆さんは裁判所は救ってくれると思うかもしれませんが、実際にはどうでしょうか。
以前、高度成長の陰で泣いていた貧しい諸君が裁判所に問題を持ち込んでいました。その問題に胸を打たれる人間的な裁判官は相当数いました。1966年から70年当時は人間的な裁判官の主張が最高裁の中でも主流の状況にあったのです。家永教科書訴訟で、教科書検定が憲法の表現の自由に反する、違憲であるという判決も出されました。裁判の歴史を調べると、今では驚くべきことですが、わずか4年の間だが、裁判官の良心が発揮されたのです。私は弁護士になってたった2年生で違憲判決を取ることができました。
しかし、反動はすさまじかったのです。良心的な判決を出した裁判官は配転され、窓際に追いやられました。『犬になれなかった裁判官』という本をぜひお読みになってください。リベラルな裁判官に対して権力の反作用がものすごかったのです。
それが揺らいだのが小泉の時代でした。それまでのように杓子定規にやっていては国民から信用されなくなる、裁判所がそうなったら困るということで、多少格好をつけなければならなくなりました。一番悩んだのが行政訴訟をどうするかでした。まず、誰を裁判に参加させるかの問題で、原告適格の門戸は広げなきゃ話にならないということで大法廷判決が出されました。門を開けたらちゃんと座敷に上げて、応接しなくちゃということで、役人の裁量行為(専門家である役人が裁量で決めること)を裁判所がコントロールする「裁量統制」をすぐ始めるべきである、ということになりました。
そう当時主張し、マスコミも支持しましたが、実際のその後の判決はどうであったのか? 地裁は前庭のようなところで、最高裁で訓練を受けた働き盛りのエリートが行政裁判の担当になります。三井グランド裁判の担当になった杉原は小田急の大法廷判決に下働きの調査官として関わっており、この判決について非常によく知っているのです。調査官というのは下働きと言っても大きな力を持っています。この人が三井グランド裁判に来たので、今の主流派の考えがよくわかると思って、プロセスを見ていました。強い期待を寄せていたのですが、最終的にとんでもない判断をしました。
小田急裁判は都市計画法による都市計画事業認可の是非を争うもので、この問題は道路・鉄道・公園などに関わる日本の法律の極端に言えば9割を占めるものです。大法廷判決はそれを争えるようにしたのではと思っていましたが、杉原の判断は「道路法は公益を守るもので、市民の利益を守るものではない」というものでした。この論理では、問題はみんな射程外になってしまいます。
私はこの40年間に忌避の申立ては2回しかしたことがありません。しかし大法廷判決に水を差す逆流は阻止しなければなりません。多くの友人弁護士たちに支えられ、忌避を申し立てました。今後も弁護団と原告団は車の両輪としてがんばっていきたいと思っています。――
会場の様子
次に福川裕一さん(千葉大学)による「都市計画の抜本的見直しと裁判について」というお話がありました。専門的なお話が少しむずかしかったので、わかる範囲で簡単にご報告します。
――21世紀に入れば、環境・都市問題は好転していくのではないかと思っていた。アメリカ、イギリスでは落ち着いた都市を作る運動が出てきているし、歴史的町並み保存の数が増えている。大気汚染訴訟にも和解勧告が出たし、景観法もできたので、もうちょっとなんとかなるかと思っていた。けれど、逆の方に向かっている
三井、羽沢、日赤はともに緑をつぶしてマンションを作る開発だが、こういうことはあちこちで起きている。都市の土地の使い方に構造的変化が現れている。企業の寮がマンション業者に売られたり、20年ほど前に公共施設を作ろうと考えていた土地が、次々と民間業者に売り渡され、巨大な高層マンションが建つ。みんな大規模開発でとにかく戸数が入ることしか考えておらず、しかもそれがよく売れるという恐ろしい時代になった。業者は「開発いたしますが50%は緑地にいたします」と言ってくる。しかし、こぎれいではあっても建物の上に緑を貼ったようなもので、勘違いが山のようにある。もともとあった緑に戻すべきだといっても受け入れられない。
下北沢も道路拡幅と高度利用を根拠にしてきたが、それはおかしい。まちづくりの先達と言われた世田谷でこんなことが起こったのでショックだ。地方分権を言い、国の関与をなくすべきだと言ってきたが、これが逆に働き愕然とした。正しいことを言うと逆になることがたくさんある。
伝統的な敵は、日本は狭いから高層化すべきだ、車が多いから道路を広げるという考えだ。それと、いったん決めたら青写真通りに作る、計画どおりに作らなければろくなものはできない、というのもおかしい。大規模化すれば緑地がとれる、公園をつぶしても高層化すればスペースができる、というのもまやかしだ。
これらのドグマの根本は1920〜30年にこれからの20世紀の都市は「オープンスペースがあって、真中に塔」だとされたことだが、その思想はいろいろなところで破綻している。しかし日本ではその古い思想のまま、大規模化・高層化を促進している。
ナオミ・クラインが『世界』で「理想の世界に近づけないのは理想がないからだ。エリートはやる気がない。正義を行えば利益を失うけれど、正義を行わなければもっとひどいことになると思った時、正義を行う」と言っている。このことを裁判で追及できたらと思う。――
それから斉藤弁護士が来賓の紹介を行い、最後にアピール宣言を採択して集会を終わりました。