現在位置:asahi.com>社説 社説2007年11月30日(金曜日)付 政治資金公開―やっとここまで来た「政治とカネ」の問題にどうけじめをつけるか。政治資金規正法の改正をめぐって、与野党がやっと大筋で合意にこぎつけた。 政治団体の支出について、1円からすべての領収書を保管し、情報公開制度にもとづいて公開する。これは民主党など野党や公明党の要求が実った。 収支報告書に外部監査を義務づけ、そのための第三者機関を総務省に設ける。こちらは自民党の主張が通った。 いまは領収書の保存義務も情報公開制度の対象も、5万円以上に限られている。外部監査を義務づける仕組みもない。改正案が成立すれば、政治資金の支出の透明度が大きく増すのはまちがいない。この国会で、ぜひ改正案を成立させてもらいたい。 その際、さらに与野党に改善してほしい点がいくつかある。 まず求めたいのは、情報公開制度を使わないでも閲覧できる制度だ。 情報公開制度による請求では、かなりの時間と手数料などの負担がかかる。大事なことは、国民にとって使い勝手のいい制度をつくることである。いちいち公開請求をしなくても、自由に閲覧できるようにするのが本来の姿だ。 新制度では「1万円」を念頭に、一定額を超える領収書は総務省や都道府県選管が預かり、一定額以下の領収書は政治団体が保管するとしている。大量の領収書が1カ所に集中すれば、きちんと管理できない恐れがあるからだという。 疑問があるのは、一定額以下の領収書について、公開しない場合もあるとしていることだ。「敵対的な請求」や「いたずらに混乱させるための請求」を検討しているというが、だれがどんな基準でそう判断するのか。 遅きに失したとはいえ、これまで認められなかった収支報告書のコピーが新制度で解禁される。総務省のホームページからの印刷もできるようになる。領収書も、収支報告書と同じように閲覧やコピーを認めればいいのだ。 一方、自民党などからは、外部監査にかかる費用を税金でまかなってもらいたいという声が出ている。だが、これはおかしな話である。 領収書の使い回しなどの不正な経理処理はそもそも、政治家が自らの責任で防ぐべきものだ。しかも、年間300億円を超える税金が政党交付金として投入されている。外部監査の費用は、政党や政治家が負担するのが筋だろう。 この1年、閣僚らの「政治とカネ」の疑惑が相次いだ。それでも自民党は、政治資金の透明度を高めることに抵抗してきた。その自民党の背中を押したのは参院選の惨敗だった。 問題点は残っているにしても、今回の歩み寄りがすべての政党による話し合いで生まれたことは評価したい。「逆転国会」を前に進めていくための一つのモデルにもなるはずだ。 中国軍艦寄港―新たな歴史の第一歩に日中間の防衛交流で、中国海軍のミサイル駆逐艦「深セン」が東京港を訪れた。中国の軍艦が日本に来るのは中華人民共和国の建国以来、初めてのことだ。 この訪問が実現するまでには長い曲折があった。 両国が海上自衛隊と海軍の艦艇の相互訪問に合意したのは98年のことだった。橋本首相、江沢民主席の時代だ。いったん02年春に中国軍艦の訪問が計画されたものの、その直前に小泉首相が靖国神社に参拝し、キャンセルされた。 再び機運が盛り上がったのは昨秋、安倍首相の訪中で日中関係が改善に動き始めてからだ。4月の温家宝首相の訪日で相互訪問が再確認され、福田首相になってようやく実現にこぎつけた。合意以来、9年もの年月がかかったわけだ。 関係修復の流れの、いわば象徴のような形である。約350人の乗組員を含め、今回の訪問を歓迎する。来年は海上自衛隊の艦艇が訪中する番だ。これを弾みに防衛交流をさらに広げ、両国関係の安定化につなげてもらいたい。 とはいえ、軍事に関する両国間の不信は、一度や二度の往来でぬぐえるものではない。日本側は、中国軍の急速な増強や活動の活発化に不安を募らせている。中国側も、ミサイル防衛をめぐる日米協力や台湾への関与の可能性などに神経をとがらせる。 結局、交流と対話を重ね、相互の信頼を培っていくしか方法はないのだ。艦船の相互訪問はその一歩である。少しずつでも相手側の実情に触れることが、無用な緊張を解くことになる。 大筋で合意されている当局間のホットラインの設置も早く実現すべきだ。誤解による偶発的な事件を防げるし、日常的に意思疎通ができるようになればさらに相互理解は進むだろう。 軍事の面での信頼醸成は、両国関係だけでなく、アジア全体の安定にも好影響を及ぼす。中国は積極的に国連の平和維持活動(PKO)に参加しているが、要員の訓練などで日中が交流し、アジア諸国にも広げていくことを考えたい。 もう一つ望むのは、防衛交流を軍事関係者だけにとどめず、一般にも開いていくことだ。例えば、日本の研究者やメディアが中国軍を見学したり、取材したりする機会を増やす。国民レベルで少しでも理解が進めば、それだけ的はずれな推測は減ってくる。 歴史好きの人なら、中国の軍艦と聞けば「定遠」「鎮遠」といった名前を思い出すに違いない。清朝が誇る大戦艦だった。明治時代に日本の港を訪れ、その威容が日本人を驚かせた。 日本はこれに負けじと海軍力強化に突き進み、後年、日清戦争でぶつかることになる。 もちろん、いま求められるのは軍拡競争ではなくて、平和のための協力だ。「深セン」の名前がそのスタートとして歴史に刻まれるよう努力していきたい。 PR情報 |
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