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Art&Photo/Critic&Clinic
写真、美術に関するエッセーを掲載。
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2007-11-29 09:58:55
ご説明   [ Weblog ]
ブログ本文や投稿コメントを削除したことへのご批判、甘んじて受けます。
コメント管理の責任と権限が僕にあるとはいえ、せっかくいただいたコメントを削除したことには多少の説明が必要かと思い、再度、書かせていただきます。

この間、内原氏から僕宛のメールに、「私信の公開だ」、コメントはそれをもとにしての「個人攻撃だ」という趣旨のメールを何度かいただきました。僕自身は、そもそもがブログに書いた文章に端を発していることなので、ブログ上での議論をしたかったのですが、彼はあくまでも「私信」と称して、僕宛のメールに抗議をしてきますので、議論にならないと判断し削除しました(匿名の批評や感想、コメントは不当であり、不愉快だと思っている方がどうして、僕宛の特定のメールに抗議をしてくるのか、どうしてもその論理が理解できません)。

さらに、彼はブログのプロバイダーであるgooや裁判に訴えて、投稿欄にコメントした匿名者情報の開示(このコメントをしたのは誰か等々)を要求するそうです。念のため言っておけば、僕がそれらを削除したからといって、内原氏が訴えを取り下げると言っているわけではありません。自主的に削除すれば「情状」されるだろうという趣旨のことはおっしゃっていますが(笑)。

僕が削除しましたのは、これ以上、この議論を進めても意味がないと判断したからです。現在の興味・関心は、内原氏がgooなり、裁判に訴えて、こうしたケースが「私信の公開」にあたるのか、さらには「個人攻撃」にあたるのかどうか、gooなり、あるいは法的にどう判断されるのかにあります。また、実際のところ、gooはコメント者の情報を開示できるのかどうか。その推移を見守りたいと思います。もちろん、その結果が分かりましたら、お知らせします。

これを書いたことに対しても再度、内原氏は僕宛メールに抗議をしてくるかもしれませんが、僕自身、削除した投稿欄のコメントが「個人攻撃」であると思っていないのに、削除したことに説明が必要と思い、書きました。
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2007-11-28 19:46:53
お詫び   [ Weblog ]
内原氏の要望により、「文化への悪意」以後の記事及び投稿欄のコメントを削除します。この件について、このまま議論していても、建設的でないと判断し、削除することにしました。ただ、「文化への悪意」の記事は、その必要がないと考え、そのままとします。投稿をいただいた方々には、申し訳ございませんが、ご了解ください。

ただし、今後も、社会的に批評家、評論家として認められていないにしても、勝手なコメントはしていくつもりです。なぜなら、Webあるいはインターネットの世界は、既成のメディア、例えば、雑誌とか美術館とか、いわば編集者やキュレーターを介さずに、映像なり、作品、文章等々を発表できる場だと考えます。編集者やキュレーターを介した文章や作品は、確かにレベルが高いものでしょう。それは否定はしません。しかし、Webあるいはインターネットというメディアは、そうした既成の価値基準や価値判断から外れた、あるいはまったく違う視点からの見方ができる、その可能性のあるメディアだと思っています。編集者やキュレーターの眼を通さない文章や作品は、必然的にぼくのような低級なコメントの垂れ流しが多いのかもしれません。しかし、何度も繰り返しますが、そこが面白いメディアなのだと確信しています。どこの馬の骨だか分からない奴がコメントしたり、作品を発表できるからこそ、面白いのではないでしょうか。玄人、素人、高級、低級、著名人、無名のやから・・・・・。

最後にもう一つ、このブログに書いたことに関しては、僕のメールアドレスではなく、投稿欄に反論なり、批判なり、抗議なりを送っていただけるとありがたいです。
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2007-11-24 12:32:10
文化への悪意ー内原恭彦『Son of a BIT』   [ Weblog ]
内原恭彦の初の写真集『Son of a BIT』(“ビット世代”“ビット野郎”とでも訳すのだろうか)。早くからデジタルカメラを使い、その圧倒的な写真量の排出と、デジタルカメラの独自の使用法(いわゆるデジタルカメラによるイメージの軽薄さや動きの軽さとは反対に、ディテールに凝った粘り気のあるイメージ表現)によって、すでに内外から確かな評価を勝ち得ている写真家である。今回の写真集に収められた写真の多くも、すでに自らのWebサイトで発表されたものだ。これまでも何度か、内原の写真については、的外れ(?)のコメントをしてきたのだが、写真集刊行の機会に、改めて内原の写真について感想めいたものを書き記してみたい。

昨今、といってもすでに10年以上(?)になるのかもしれないが、グルスキーを筆頭としたデュッセルドルフ美術アカデミー一派の流れをくむ写真が、ある意味、日本の写真のメインストリームを賑わせているのは確かである。彼らの写真がミニマルアートやランドアート的な視点で現代の風景をとらえようとしたとすれば、内原の写真は明らかに、ポロックの抽象表現主義やラウシェンバーグのコンバイン・ペンティング的な視点で現実を再現しようとしている。アカデミックな美学への反発なのか、文化への悪意がもたらした必然的な結果なのか。

そう、文化への悪意。内原の確信犯的な視線の核となっているのは、文化への悪意にほかならない。実際、内原が切り撮る現実の断片は、東南アジアの無秩序な光景であり、スラム街であり、キッチュなオブジェの世界であり、打ち捨てられ見逃されたモノの集塊だ(ここで一言、付言しておけば、70年近くも前にグリーンバーグが「前衛とキッチュ」で明らかにしたように、サブカルチャーとは民衆の文化に根ざすものではない。ニーチェ流に言えば、支配者の美学を真似た“奴隷の美学”にすぎないのだ)。例えば、鈴木理策の『熊野・雪・桜』との雲と泥の差よ!(笑)。鈴木理策が“善き文化”への姿勢を隠さないとすれば、内原は徹底して“文化への悪意”を表明する。

小林のりおがイメージの軽さを逆手にとって写真の空虚さに焦点をあてたとすれば、内原が写真のデジタル化に見出すものは、いわば情報の過剰がもたらす“淀み”である。ケミカルからデジタルの移行は、物質的イメージから非物質的イメージへの変化という、暗黙の了解が多勢を占めている。もちろん、その言説が正当性を欠いているわけではない。しかし他方で、そうした暗黙の了解はデジタル写真がもつ別の側面を見逃すことになる。おそらく、内原はデジタル化がもたらす情報の過剰性にこそ注目する。その意味では、反・デジタル的な写真行為と言えなくもない。

写真というイメージがもつ過剰さを初めて指摘したのは、おそらくベンヤミンである。“通常のスペクトルの範囲外にあるもの”としてのディテール。全体や統一を脅かす部分の過剰さ。写真は決して客観的で正確な像を再現するものではない。むしろ裸眼を逸脱してしまう過剰さにこそ、写真の本性の一つがあった。その意味で、内原がデジタル写真に見出す情報の過剰さは、ある意味、写真の伝統に即している(かのシャカーフスキーがモダン写真の視点の一つに“ディテール”を挙げているように)と言えるかもしれない。実際、『Son of a BIT』の後半は、ディテール(モノの表面)への関心が強調されている。

ところで、晩年のフロイトは『文化への不満』という一文を書いて、快感原則と現実原則を仲介する機能としての“文化的なもの”の在り様を再考している。“善き文化”に連なろうとする鈴木理策、あくまでも“文化への悪意”を保持しようとする、遅れてきたロマンティスト、内原(内原の試みを評価しつつも、ある種、姿勢の古さ−無反省で紋切り型の二元論=ハイカルチャーVSサブカルチャーを感じてしまうのも事実なのだ)。果たして、第三の道はないのか。それが、写真集『Son of a BIT』への偽らず感想である。
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2007-11-17 17:42:40
未来老人   [ Weblog ]
生活の糧となる仕事にかまけて、書き込み滞っています。
ところで最近、写真家・小林のりお氏とのメールのやりとりのなかで、小林さんが「未来老人」という言葉を発せられました。いいな、この言葉。

そういえば、ジル・ドゥルーズは、ガタリとの晩年の共著『哲学とは何か』の冒頭で、「老年が、永遠の若さをではなく、反対に或る至高の自由、或る純粋な必然性を与えてくれるようないくつかのケースがある」と語っていたっけ。その例として、ティツィアーノ、ターナー、モネ、そしてカントを挙げていた。「或る純粋な必然性」。ようするに、お金にも、名声にも、他者の評価にも、いわんや自己への固執からも離れた、純粋な動機ということだ(だからといって、若い人たちのぎらぎらした野心−不純な動機を否定するわけではない。念のため−笑)。小林さんが言わんとした「未来老人」とはそのような意味だろう。

例えば、鳥取在住の写真家に、御歳80歳になられる泉本氏という方がおられる(サイトアドレス−http://homepage3.nifty.com/mi-site/)一度、お会いしたことがあるのだが、かつて数学の先生をなされていたとお聞きした。彼の写真はいわゆる、花や山を撮っている、老人たちの趣味的な写真ではない。街や現代空間の在り様を彼なりの視点でとらえようとしている。その姿勢や視線の初々しさは素晴らしい。決まりきった、紋切り型の、類型化された過去の視点から現代をとらえるのではなく、2007年の現在において80歳であることの視点−“今、ここに”において、何かをとらえようとしている。ぜひ、一度、サイトを覗いてほしいと思います。もちろん、彼の写真を全面的に肯定するわけでも、評価しようとも思っているわけではない。しかし、泉本氏の写真から「純粋な必然性」「純粋な動機」を感じることは確かです。

さて、近々、最近、出版されたいくつかの写真集ー佐藤淳一、内原恭彦、坂口トモユキ、石川直樹たちの写真集について、感想なんぞをしたためたいと思っています。

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2007-10-28 12:51:46
大爆笑!   [ Weblog ]
久しぶりに笑いました! 坂口トモユキさんがブログ(http://tsaka.jp/)で紹介していたんだけど、Yoshiyuki Koheiの「覗き見する人-出歯亀」写真−野外セックスをするカップルを覗き見する人たちを撮らえた写真。覗き見をする人を覗く写真家、そしてその写真を覗くぼくら。一人称の連鎖。相変わらず写真は経験的次元がモノを言う。写真家はさらにギャラリーでそれらの写真を見る人たちを撮ってほしいな〜。そしてさらにそれらの写真を見るぼくら。写真の、無限に増殖する鏡像性(笑)。
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2007-10-24 19:28:33
写真と無意識・追記   [ Weblog ]
ここで私たちは、写真における観察の機能について考察することをうながされます。客観的イメージを生み出す観察の機能と、過剰なイメージを生み出す観察の機能です。写真における観察の機能とは何か。それは決して、客観的イメージを生み出すものではないということです。むしろ写真における観察の機能は、過剰なイメージを生み出す点にあるのではないか。では、現実の事物を過剰なイメージとして再生する写真における観察とは何か。それこそが物の状態にも、観察者の主観性にも還元できない、写真というイメージによって対象化されたものに違いありません。
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2007-10-21 14:28:10
写真と無意識   [ Weblog ]
ベンヤミンの視覚的無意識

写真と無意識を初めて結びつけて考えたのは、ベンヤミンです。ベンヤミンは写真に関する最初の論考「写真小史」の中で、以下のように書いています。

カメラに語りかける自然は、肉眼に語りかける自然とは当然異なる。異なるのはとりわけ次の点においてである。人間によって織りこまれた空間の代わりに、無意識が織りこまれた空間が立ち現れるのである。
(「写真小史」久保哲司訳 ちくま学芸文庫)

今回はベンヤミンの「視覚的無意識」をキーワードに、写真の潜在的可能性、とりわけ初期写真が有していただろう写真について考えてみたいと思います。

まずベンヤミンは「無意識」という言葉によって、何を言わんとしたのでしょうか。前述の引用に続いて、ベンヤミンは「写真はスローモーションや拡大といった補助手段を使って」、例えば人の歩き方を解明してくれると書いています。また「物質の表情」ともいうべき微細な形象を開示するとも言っています。つまり、カメラによって肉眼では見えなかったものを見えるようにしてくれるということです。肉眼では見えなかったもの、それが「視覚的無意識」というわけです。後に、「第三の眼」とか、「機械の眼」と言われるようになるもので、写真史では言い古された事実であり、いわば常識的な言説です。

では何が問題なのか。ベンヤミンは「視覚的無意識」という概念によって、何を問題にしようとしていたのでしょうか。ベンヤミンは「写真小史」の論考に続く、かの有名な論考「複製技術の時代における芸術作品」(以下、「複製芸術論」に)において、前述の引用を繰り返しながら、精神分析における「無意識」との関連を述べています。

ついでにいえば、この二種類の無意識のあいだには、密接きわまる関連がある。なぜなら、カメラによって現実から奪い取られることが可能となる多様な視点の大部分は、知 覚の<通常の>スペクトルの範囲外にあるものだからだ。
(「複製技術の時代における芸術作品」野村修訳 岩波文庫)

ベンヤミンは「通常のスペクトルの範囲外にあるもの」を「視覚的無意識」として発見しているわけです。さらにベンヤミンは、映画の視覚世界を例に「現実世界では、異常心理や幻覚や夢の形で現出する」とも付け加えています。つまり、写真は肉眼における知覚とはきわめて異質な知覚の論理、いわば夢の論理に近いものだと言っているわけです。

知覚の客観性と過剰

「通常のスペクトルの範囲外にあるもの」、肉眼とは異質な知覚の論理。写真の論理が知覚の異質性を指摘することで、ベンヤミンは何が言いたかったのでしょうか。ベンヤミンはこの異質性をとりわけ、「細部」という観点からとらえています。「写真小史」の中で、その例として挙げられているのが、ブロースフェルトの植物写真です。この細部−ディテールという観点は、後にシャーカフスキーも写真読解の一つとして挙げています。

「通常のスペクトルの範囲外にあるもの」としてのディテール。ベンヤミンにおける「細部」とは、全体を細分化した部分ではありません。むしろ、全体という概念を脅かす細部です。全体に統合不可能な過剰な部分としての細部。そもそも全体という概念はどう成立するのでしょうか。カントにおける「統覚」のように、そこにはつねに人間的主体が想定されているわけです。ベンヤミンにおける通常の知覚のスペクトルを免れた細部は、「全体性」や「主体性」を揺るがすものとして考えられています。蛇足ながら、全体と断片(部分)という問題は、ドゥルーズが指摘する、全体から始まる部分のとらえ方は「……である」に、ベンヤミンの細部は「…と…」に相当すると思われます。全体化されない部分の集積としての自然。

ところが一方で、写真はその自動的描写性−人間の意識や言語的・象徴的コードを介さずに書き込まれる自動性ゆえに、客観的なものとみなされてきました。実際、写真は発明の初期段階において、臨床医学や犯罪学の場において観察の手段として使われていきます。シャルコーのサルペトリエール精神病院におけるヒステリー写真やさまざまな奇形をとらえた医学写真、観相学的な犯罪者の肖像写真等々。写真がもつ自動的描写性ゆえに、科学的知覚というイデオロギーを被って使われたのでは明らかです。ここで「科学的知覚」として働いている機能とはどのようなものでしょうか。

周知のように、科学的姿勢の本質の一つは、実験における反復性です。個々の現象の中から、同じ事象を抽出し、統計学的な手法によって法則化することで一般性を獲得することにあります(蛇足ながら、科学的法則とはあくまでも閉じられた環境−選択されたファクターの下での実験にすぎず、つまりは真の反復を保証するものではない)。つまり、写真は同じ事象を同定する手段として、きわめて有効とされたわけです。症状の同定、犯罪者の同定……。写真は管理と制御のテクノロジーとして、その同定化の方法とされたわけです。

ベンヤミンもまた、「写真小史」において、「元来カメラには情緒豊かな風景や魂のこもった肖像よりも、普通は工学や医学が相手にする構造上の性質とか細胞組織といったもののほうが縁が深い」と写真の科学との親近性を述べています。その一方で写真という技術における科学と呪術の境界線は不確定だとも指摘しています。例えば、心霊写真というものがありますが、そもそも心霊写真は神秘的なものとしてつくられたわけではありません。むしろ、きわめて科学的な姿勢からつくり出されたものなのです。霊魂の存在を実証するために、その証拠のために心霊写真は生み出されたのです。

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2007-10-06 12:14:27
写真と絵画   [ Weblog ]
最近、自分の思考方法、形式、カテゴリー、用語等々あまりにも紋切り型に陥っていると、しきりに反省しています。実際、つまらない言葉の連なりばかり。写真について、イメージについて、もっと別な考え方をすべきではないか。そんなことを思う日々です。とりあえず、講義の再録を続けますが、近いうちに、これまでとはまったく違う地平から、写真やイメージについてアプローチをしていきたいと思っています。閑話休題。

絵画の知覚−遠近法

西洋の近代的な視覚制度とはどういうものであったのか。まずはルネサンスに始まる西洋絵画において、支配的な視覚モデルであった“遠近法主義”について述べてみたいと思います。さらには、遠近法という近代的な視覚制度に対して、写真の視覚はどのような位置にあるのか。ジョナサン・クレーリーの説(『観察者の系譜』)を参照にしながら、絵画の知覚と写真の知覚の相違について考えてみたいと思います。

さて、ここで近代的な視覚制度と呼ぶのは、極めて広い範囲の近代です。15世紀のルネサンスに始まる時代から19世紀までを指します。この時代区分は、中世に対する近代であって、近世という場合もあり、大方の歴史家は19世紀もまた連続した近代ととらえ、20世紀を現代と呼称する場合もあります。ただし、ミシェル・フーコーなどは、17,18世紀を古典主義時代と呼ぶことで、19世紀に世界を認識するエピステーメーに切断があったと説き、19世紀以降を近代と呼んでいます。ジョナサン・クレーリーもフーコーにならって、遠近法主義的視覚モデルを古典的主義モデルと言っています。後述しますが、実は、この時代区分の違いには、重要な意味があります。

西洋における近代とは、視覚が支配的な時代と言われています。例えば、ウォルター・J・オング(『声の文化と文字の文化』)は、人類の文明を口承的、書記的、活字的、電子的という4つのモードに分類。オングによれば、人類は文字を持つことで、言葉を視覚的な記号として空間化し、言葉は語られる状況から遊離し、分析的な思考=内面性を獲得したと説いています。その後、望遠鏡や顕微鏡の発明(=科学革命)によって進行していた視覚的なものの特権化が、印刷術の発明によってさらに強化されていったとも述べています。いずれにしても、西洋の近代とは、まさに視覚的な感覚が支配的な時代と言えるでしょう。

それでは、西洋近代における視覚の制度とは、どのように成り立っていたのか。その中心となる視覚モデル−視覚芸術におけるルネサンスの遠近法と哲学におけるデカルトの主観的合理性とは何か。ルネサンス的遠近法の発明=発見者は、彫刻家のブルネレスキと言われ、それを最初に理論化したのがアルベルティと言われています。

遠近法は三次元空間を視覚のピラミッドないし円錐によって二次元空間に描き直す。この遠近法は現実の対象を最も自然な形で再現する方法として、長い間、西洋の視覚制度を支えてきました。アルベルティもまた、遠近法による絵画を「透明な窓(あるいは舞台)」と位置づけています。つまり、遠近法という透明な窓を通して、世界を眺めるということ。遠近法は美術史家にとっても、絵画を語る上で当たり前の前提となっていましたが、「遠近法は慣習的な象徴形式にすぎない」と初めて批判的な見方を提示したのが、美術史家のパノフスキー(『象徴形式としての遠近法』)です。実際、遠近法は決して自然な視覚経験を表現したものではありません。遠近法は通常の両眼視覚とは違い単眼によって見られた世界です。またその単眼は動かず、まばたかず、位置が固定されています。遠近法による視覚とは、自然などころか、見る者の位置に左右されないきわめて抽象化された幾何学的な空間なのです。

ここで重要なことを一つ指摘しておけば、ルネサンス絵画はしばしば「現実の再現的視覚」と呼ばれ、「よく見ること」を追究したと言われます。しかし、ルネサンス絵画は決して現実を再現するための絵画ではありません(このことから、写真を遠近法主義的視覚の延長とみなされてきたわけです)。彼らが再現しようとしていたのは、あくまでも聖書というテキストなのです。確かに、ルネサンスの画家たちは「見ること=観察」を重視しましたが、それはあくまでも抽象化された幾何学的な空間、理知的なまなざし=神の光によるまなざしに従属される限りにおいてなのです。

遠近法と近代の視覚

一方、デカルトの主観的合理性−網膜像として再現された実在物を知性=精神が表象するという認識論の基礎もまた、遠近法をモデルとしてつくられています。そこから、近代の視覚制度を「デカルト的遠近法主義」と呼ぶこともあります。そしてまた、このデカルト的遠近法主義が近代の客観的科学主義を形成していったとも言われています。ここでは詳述しませんが、デカルト的遠近法主義に代わる代替的な視覚−バロック(安定した遠近法的視覚をおびやかす錯乱的・幻惑的な視覚)やオランダ絵画(見る者の介入、表面の描写、地図的な視覚空間)のような視覚も、17世紀の美術史のなかに共存していることも付け加えておきたいと思います。

これまで、19世紀に登場する写真装置は、前述した遠近法がルーツとされてきました。写真史の冒頭では必ずカメラ・オブスキュラ(暗箱−絵画制作の補助道具として使用された。遠近法を基にした、17,18世紀における科学的な観察道具。)が紹介され、写真用のカメラはカメラ・オブスキュラが進化したものとされています。つまり、写真はルネサンス期の遠近法から始まる「自然な視覚」の再現につらなる装置と位置づけられているわけです。

こうした視覚における歴史的な連続性に異議を提示したのが、ジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』です。ジョナサン・クレーリーは、中世的な図像システムからルネサンスの遠近法への切断があったように、19世紀において視覚制度に大きな切断があったと説きます。そうした視覚制度の大きな変容のなかからこそ、写真装置が生まれてきたと主張しています。

ジョナサン・クレーリーは、19世紀において、デカルト的遠近法主義に代わる、どのような視覚システムが登場したと説いているのか。その話に移る前に、ジョナサン・クレーリーの基本的な考え方−方法論を抑えておきたいと思います。ジョナサン・クレーリーは、視覚制度を解明するにあたって、“観察者”という概念を提示しています。ジョナサン・クレーリーのいう“観察者”とは、世界や物を観察し、認識する主体という意味ではありません。そのようにとらえると、一方に対象物があり、他方にそれを観察する主体があり、それを介在する観察道具があるということになり、対象物(客観)と観察者(主観)を分離・独立した存在ととらえ、視覚制度の変遷は観察道具(技術)の単なる変化の歴史となってしまうでしょう。

ジョナサン・クレーリーの“観察者”という概念は、観察者の位置が観察道具と表象行為の社会的な配置=配列によって編成されるという考え方です。つまり、観察者はつねに同一な者として存在するわけではなく、技術や言説の社会的配置=配列のなかで決定されるということです。実はこうした方法論からこそ、“デカルト的遠近法主義”と19世紀の視覚システム(写真以後の)の断絶(不連続性)を見出すことが可能になるわけです。

視覚体制の断絶−生理学的視覚

ジョナサン・クレーリーは、デカルト的遠近法主義における観察者の位置・地位と19世紀のそれには大きな切断があると説いています。まずデカルト的遠近法主義における観察者は、カメラ・オブスキュラという暗室の内部にいて、外部の世界を観察する者です。そこでの観察者は外部から切り離された非身体的な存在となっています。それはまた何物にも脅かされない客観的精神の内面を象徴しています。その内面こそがデカルトのいう“精神的表象”です。それに対し、19世紀における観察者の位置・地位は、カメラ・オブスキュラという暗室の外部にあり、もはや固定されても、不動なものでもありません。クレーリーは、こうした観察者の位置・地位の変容を、写真誕生前に普及したさまざまな視覚器具(とりわけステレオスコープ)の構造に目を向けることで考察しています。

ステレオスコープは、左右の眼の微妙な視覚差を利用して、立体的なイメージを産み出す視覚器具です。ステレオスコープを発明したのは、生理学者のチャールズ・ホィートストーンとディヴィット・ブルースターという二人の人物で、残像と主観的視覚の研究を行う過程で発明されました。ここで重要なことは、二人とも生理学者であることです。実際、19世紀の登場する多くの視覚器具は、生理学による視覚研究の過程で生まれています。なぜ、生理学が重要なのか。

生理学とは人間の知覚や心理を肉体的・解剖学的な構造と機能−つまり身体との関係のなかで知覚(視覚)を探ろうという学問です。フーコー流に言えば、「超越的なものが経験的なものの上に折り畳まれた存在として、“人間”なるものが出現」したのです。すでに1810年に出版されたゲーテの『色彩論』では、網膜残像や色彩変化が論じられ、視覚(見るという機能)の中心が身体にあることを述べられています。1820年代、30年代になると、網膜残像が研究され、視覚には生理学的なプロセスと外的刺激とがいかに混合、影響されるかが明らかにされていきます。「視覚の残存」を研究したジョゼフ・プラトー、近代計量心理学の創始者の一人グスタフ・フェヒナー、ヘルムホルツやヨハンネス・ミューラーの特殊神経エネルギー説など、19世紀はまさに生理学の時代でもありました。生理学は知覚を数値化し、刺激と感覚との関係を知覚の関数にしたのです。

幾何学的光学(デカルト的遠近法主義あるいは古典的視覚モデル)から視覚の生理学へ。19世紀に視覚体制に大きな断絶が起ったとクレーリーは説いています。写真や映画という近代的メディア(ここでの近代は古典主義に対しての近代)の登場は、こうした19世紀における生理学身体に基づくものだというのがクレーリーの主張です。生理学身体に基づく視覚モデルの重要なことは、視覚的な認識が客観的で透明なものではなく、人間の身体によって生み出されるという発見です。理性のまなざし(普遍・永遠・無限)から、身体のまなざし(個的・偶然・有限)へ。確かに、その後発明された写真は、単眼的な空間や幾何学的遠近法の諸コードとの曖昧な関係を保持してきました。であるがゆえに、写真史の冒頭には必ずカメラ・オブスキュラの図版が掲げられ、解説されてきたわけです。しかしクレーリーは、写真発明の背景にあるのは、幾何学的光学モデル(デカルト的遠近法主義)ではなく、生理学的身体に基づく視覚モデルだと説いています。

写真的視覚の二重性

それでは、クレーリーが説く、19世紀における視覚モデルの“断絶(不連続)”には、どのような意味があるのか。ここで私見を述べれば、写真という視覚を、幾何学的光学モデルと連続したものととらえることは、写真という視覚が持つ可能性を閉じることになるのではないかということです。写真の視覚をデカルト的遠近法主義の視覚モデルとして見てしまうと、どうして写真の可能性を閉じることになるのか。

もう一度、デカルト的遠近法主義(幾何学的光学モデル)を考察して見ましょう。まずデカルト的遠近法主義とは、どのような視覚(認識)形式なのか。一言で言えば、デカルト的遠近法主義による“表象”とは、人間と世界(事物や他者の存在)との関係を主体−対象(客体)という図式に還元することです。世界を対象物として、自己の前に打ち立て、固定することで、それによって今度は対象物に相対する主体が、あたかも対象物に先立ってあるかのように事後的に捏造されます。対象物として世界を目の前に打ち立てること、それこそがデカルト的な“表象”に他なりません。しかし、ここで事後的に捏造される「主体」は、あくまでも「神の光=中心化された普遍的な理性のまなざし」の元においてです。神学としての視覚。

主体−対象(客体)という図式は、いまやわれわれにとっては当たり前、常識の視覚(認識)形式と思われるかもしれません。しかし実は決して自明なことでも、当たり前のことでもありません。きわめて近代的(ここでの近代は、フーコーやクレーリーが言う19世紀までの時代)、つまりは歴史的な形式なのです。果たして明治時代前の日本人は、このような形式で世界を見ていたか。古代のギリシア人たちは、このような形式で世界を見ていたか。否です。

例えば、現代思想に大きな影響を与えた20世紀哲学者の一人ハイデガーは、近代的な表象システムについて次のように言っています。「或るものが人間に呈示され、表象されてcogitatum(デカルトの有名なテーゼ“われ思うゆえにわれあり”のこと)となっているのは、人間が自分の裁量のきく範囲で、いつでも一義的に、懸念や疑惑なしに自分から支配しうるものとしてそのものが彼に確定され保障されているときにのみ起ることである」と。

世界(事物、他者の存在)を認識する上で、主体−対象(客体)という図式は、われわれの世界との多様な経験を封じ込め、あるいは見えなくし、世界を理解可能な対象物とだけしてしまう(あるいは神の下での、一義的な世界了解)ということです。ハイデガーは、近代的な表象システム(デカルト的遠近法)こそが、世界を“像”として見ることを可能にしたと言っています。さらに現代では、世界は役に立ち、調達される対象物=“用象”とされていると。少なくとも古代ギリシア人においては、世界を認識する場合、世界を対象物として見るのではなく、全的に受け入れる存在としていたというのが、ハイデガーの考えです。

写真的な視覚は、上記したような主体−対象(客体)という図式に亀裂をいれる視覚システムではないか。しかし、写真的な視覚をデカルト的遠近法主義に連なる視覚システムと見てしまうことは、写真的な視覚がもつ、近代的な表象システムを打ち破る可能性を隠蔽してしまうことになります。これがクレーリーの隠れた主張のように思えます。さらに付け加えて言えば、写真は「リアリティ=現実の再現性」と「倒錯性(対象と視覚の不一致=宙づり)」という矛盾を抱えてしまったと言えるかもしれません。クレーリーは、『観察者の系譜』の後、『知覚の宙吊り』という著作で、さらに近代的視覚における二重性を考察しています。

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2007-09-30 22:02:28
写真と記号   [ Weblog ]
記号とは何か?

「いかにイメージは作動しているのか」という問いを立てたとき、おそらく記号論が最も有効なアプローチとなるかもしれません。ということで、今回は記号の話を中心に進めます。

記号とは何か? ひとまずは何かを代替・代理したもの、印、表現と定義しておきましょう。身振り、動作、音声から、映像、言葉、サインまで、すべて記号と見なすことができます。記号の最小の構成要素は、《意味されるもの(シニフィエ)》と《意味するもの(シニフィオン)》です。《意味されるもの》は前述した「何か」にあたり、とりあえずは“現実の対象に関わること”(素材、内容)とみなすことができます。《意味するもの》は記号そのもの、表現するもの、印そのものとなります。

さて、私たち人類にとって、表現(記号)の基盤を成しているのが言葉です。身振りや動作、音楽、映像さえも言葉に還元されることによって、《意味されるもの》となります。したがって、一般に記号の役割とは、《意味されるもの(情報)》を伝えることとされています。情報の伝達手段としての言葉−記号。

しかし、人類にとってのコミュニケーション・ツールである言葉は、きわめて独特な機能をもっています。例えば、情報の伝達という意味ならば、人類に限らず、多くの生き物たちがその手段を有しています。言語学者のヴァンベニストは、ミツバチは自分の見たことを伝えることはできるが、自分に伝えられたことをさらに伝えることはできない、ゆえにミツバチは言葉を持っていることにはならないと言っています。つまり、言葉の最大の特徴は、自分が見ていないにもかかわらず、伝えられたことをさらに第三者に伝えることができるところにあるのです。いわゆる又聞き、間接話法こそ、言葉の最大の特徴と言えます。

言葉が又聞き、間接話法としての機能を持っているならば、そこにどのような事態が起こってくるのでしょうか。「伝達ゲーム」というのをご存知だと思いますが、一つの情報(意味されるもの)が何人もの人を経ることによって、最初の情報(意味)とはまったく違うものになっていくゲームです。つまり、又聞き、間接話法による情報伝達には、必ず情報の過剰と欠如があるということです。情報理論ではこれをノイズと称し、ノイズを排除することが理想のコミュニケーションとみなされます。しかし、言葉とは、そのノイズにこそ本質があるのです。

情報の過剰と欠如が冗長性(解釈の余地)を生み出します。つまり、言葉における《意味されるもの》とは、最初の情報(現実の対象に関わること)ではなくて、《意味するもの》=すでに解釈された情報(意味)なのです。したがって、言葉における《意味されるもの》は《意味するもの》が無限に増殖する《意味するもの》の連鎖にほかなりません。記号の記号、シニフィオンの連鎖。

記号を考える上で重要なことは、ある記号が何を意味するかを知る前に、その記号が他のどんな記号と関わり、他のどんな記号がそれに加わって、記号の組織網(記号の体制)を形成することになるのか、それが重要な問題となるでしょう。

人類・記号・芸術

さて芸術(文化)もまた記号であり、記号を作り出す(生産)行為と言えます。慧眼な生徒諸君はすでに、記号(言葉)の間接話法の機能こそが、記憶を、文化を生み出したのではないかと察しているでしょう。そうです、間接話法に潜んでいるのは、時間的なズレにほかなりません。そのズレこそがシニフィオンの連鎖としての記憶を形成したことは明らかなことのように思えます(とするならば、私たちの記憶・記録の体制は記号の体制と密接な関係にあることが分かります。これについてはいずれ、写真−記憶と記録の問題で再度、お話をしたいと思います)。

ところで、人類は何故に、どんな必然性があって、記号を生み出したのでしょうか。もちろん、確かなことは分かりません。言葉が最初の記号なのか、それともイメージ(例えば、洞窟壁画、刺青など)と呼ばれるものなのか、あるいは身振りのようなものなのか……。しかし、動物、あるいは類人猿と人類を分かつものが記号の創造にあるのではないかと推察することはできます。

人類学ではしばしば、人類が道具をもったことを、動物や類人猿から人類を分かつメルクマールとしています。いわゆる、ホモ・ファーベル(作るヒト)をもって人類の誕生とみなされています。しかし、人類以外にも道具を使う動物はよく知られています。チンパンジーはその代表でしょう。それでも道具をもったことには、大きな意味があると思われます。

道具とは何でしょうか。まず道具とはヒトの身体的能力の延長と考えられます。手が発揮する力の延長、筋肉の運動の延長。その意味で道具は身体と密接な(直接的)関係を有しています(その関係性における道具と機械の違い)が、身体的能力を代替・代理したものと考えられます。道具もまた記号のようなものととらえることが可能でしょう(道具、機械、電子機械を記号論的に考察してみることも一計かもしれません)。

さて、道具を持つことは、その道具によって未来における生産物(加工物)−いまだ存在しないものを想定することです。つまりホモ・ファーベル(作るヒト)とは、現在時において、未来に分岐する時間を獲得したヒトなのです。

フランスの文学者ジョルジュ・バタイユは、その著『ラスコーの壁画』の中で、ホモ・ファーベルはいまだ十分にホモ・サピエンス(知恵のヒト)ではないと言っています。つまりわれわれ人類と同類ではないと。バタイユは「芸術(洞窟壁画)」を有したことをもって、われわれと同類の人類とみなしています。

バタイユによれば、ヒトはいまだ存在しないものを想定する未来の時間を獲得したことで、すでに存在したものに思いが至ったと言っています−現在時が過去に分岐する時間。かつて在ったものがいまはない。喪失への恐怖(虚無感)と畏敬。この喪失への恐怖が、死者の代替・代理物(記号)としての埋葬や墓を生み出すことになります。バタイユは、この恐怖感は極度に「作ること=未来の時間」を脅かし、破壊するものであったと考えています。したがって、埋葬や墓(死者の記号)は聖なるものと同時に、禁止されるべきもの(汚辱、穢れたもの)と見なされていきます。そして、禁止されるべきものに接近、侵犯する時間として生み出されたのが、遊びの時間=芸術(供犠、祝祭など)であると、バタイユは考えるわけです。ホモ・ファーベルに対立するものとしてのホモ・ルーベンス(遊ぶヒト)。その意味で、遊び=芸術の時間とは、過去と未来の時間を宙吊りにする時間、識別不可能にする時間とも言えるかもしれません。

こうした人類学的なアプローチ(記号、イメージの誕生に関しては、母親との関係における精神分析学的なアプローチもありますが、これについては機会があればお話したいと思います)が、記号あるいは言葉の誕生とどのような関係があるのか分かりませんが、一つだけ確かなことは不在の意識の誕生です。不在を存在させること、不在の記号化。数学におけるゼロ記号の誕生のようなものです。

写真の記号的特性について

これまでの講義の中でもしばしば、写真がもつ記号的特性について話してきましたが、改めて写真の記号的特性についてまとめてみたいと思います。写真の登場以前、視覚的イメージを代表していたものは絵画的イメージでした。とりわけ15世紀以降、西洋美術のなかで絵画的イメージを支えていたのは類似性です。いうまでもなく、絵画的イメージも、テキスト(言語)も、現実の対象を代理・再現する記号です。が、その対象との関係は異なります。絵画的イメージが対象との類似性の関係にあるとすれば、言語記号は対象とのいささかの類似関係ももっていません。言語記号は対象を差異の構造によってマッピングします。

それでは写真は現実の対象とどのような関係をもっているのでしょうか。写真もまた絵画的イメージ同様、類似記号の一つであると言えます。しかし、絵画的イメージと写真は同じ類似記号に属するものでしょうか。絵画的イメージが現実を類似的に再現するにしても、そこにはつねに再現のスタイル(転換のコード=解釈の法則)が介在します。いうまでもなく、再現のスタイルは歴史的なものであり、文化的なものです(遠近法もその一つであるだろう)。一方の写真は、「知覚に結びついた知識以外の知識を必要としない」、対象との直接的な関係をもっています。ロラン・バルトが「コードのないメッセージ」と呼んだゆえんです。つまり写真は対象との間に、転換のコード(文化的コード)が介在しない、直接的な関係をもっているということです。

アメリカの哲学者、C・S・パースは、記号をその対象との関係から三つの項に分類しています−絵画的イメージは対象との類似的な関係から類似(イコン)記号に、言語記号は対象との慣習的な法則関係から象徴(シンボル)記号に、そして写真は対象との物理的な結びつきより指標(インデックス)記号に、写真は足跡や指紋のように、物理的な痕跡(鋳型)によって対象を指し示す記号ということです。バルトが写真をコードのない「外示的イメージ」と呼んだのは、まさにこの現実との物理的連続性の関係においてです。

写真という記号の、もう一つ重要な側面が、写真を撮った(写した)人間(報告者)の存在が必ず、その写真に不在の証人として記されていることです。つまり、被写体を見た人が見ていない人に伝える記号、いわば直接話法の機能を有しているということです。

これまで写真はしばしば、指標記号としての機能、直接話法としての機能−対象への直接性と透明性を「記録」と呼ぶことで、映像としての客観性を特権化してきました。確かに写真は、指標記号としての、直接話法としての特性によって、現実の対象を「ここに」現前させるかのように機能します。しかし、バルトが正しく指摘するように、写真における対象の現前性は、「現に存在・・・する」意識ではなく、「現に存在・・・した(かつてあった)」という意識を確立させることにあります。「ここ」と「かつて」の非論理的な結合による、「現実的非現実性」。

さらに写真は類似記号としての機能も有しています。つまり、写真もまた転換コードとしての再現スタイル(フレーミング、構図、ライティング、視点等々の操作性)をもっているということです。むしろ写真は、文化コードとしての再現スタイル(それによって形成される共示的メッセージ)を指標記号としての機能によって隠蔽し、自然化してしまいます。

したがって、重要なことは、写真がもつ指標記号としての機能を特権化することではなく、類似記号や言語記号とのズレに着目することです。写真は指標記号としての機能によって、類似記号や言語記号によって形成される文化性(紋切り型)に裂け目を入れ、二重化し、宙吊りにする可能性を秘めているわけです。文化的なものが悪く、生のもの、直接的なものが正しいという意味ではありません。そうではなく、私たちの記号による知覚、認識、コミュニケーション、あるいは意味の生産における一義性に亀裂を入れ、懐疑をもたらすということです。したがって、重要なことは、写真の記号的特性をどのように使って(操作して)、どのような新たな記号を生み出すかにあります。では、デジタル写真はどのような記号的特性をもっているのだろうか。それこそが次の課題となるでしょう。
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2007-09-25 11:31:29
間奏曲−表現と機能   [ Weblog ]
60年代における美術側からの写真活用法、あるいはさらにさかのぼってのシュルリアリズムやデュシャンの写真活用法。ここまで武蔵野美術大学の大学院での講義を再録してきたのですが、ここでちょっと間奏曲めいたものを。なぜ、シュルリアリズムやデュシャン、ポップアート、コンセプチュアルアートにおける写真の活用に関心をもつのか。一言で言えば、写真における「表現」から「機能」へのシフトです。

これは写真のみならず芸術一般に言えることなのですが、表現そのもの−いかに表現するか−から、写真は、あるいは芸術はいかに機能しているのか、いかに機能するのかに関心のシフトが移行したことです。写真に絞って言えば、モダニズム写真がいかに表現するかにこだわってきたとすれば、前述した美術における写真の活用は、写真というイメージがいかに機能しているのか、いかに作動しているのかに関心を抱いたということです。

とはいえここで、「だから、いかに表現されているかには無関心になった」ということではない。「いかに機能しているか」は当然ながら、「いかに表現されているか」と密接な関わりをもっているのですから。ただ、「いかに機能するのか」という観点から、「いかに表現するか」の問題が再提起されるということです。「いかに機能するか」の観点に立てば、おのずと表現そのものも変化せざるを得ません。

芸術が世俗化(商品化)していくなかで、とりわけ写真の使用はつねに「芸術」と「一般社会」の二つの領域のなかで、きわめて横断的な使われ方をされるなかで、芸術が、あるいは写真というイメージが社会のなかでいかに機能しているのか、いかに作動しているのかを考えざるをえなくなったということです。

表現から機能へとシフトするなかで、では写真表現はいかに変化していくのか。写真のデジタル化とともに、ここに大いなる関心があります。では引き続き、講義の再録を継続します。何か、質問、異見、反論があれば、気軽にお寄せください。



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