「石島は独島」説否定 最古の鬱陵島絵図2枚確認
独島博物館特別展の図録に収録された1699年作製とみられる「欝陵島図形」。
右側にある現在の竹嶼の位置に「大于島」、観音島の位置に「小于島」の記載がある
日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)とかかわりの深い韓国・鬱陵島の属島として、現在の竹嶼(チクショ)と観音島の二島を描いた最も古い朝鮮の絵図二枚が、確認された。二島を認識していたことで韓国側が自国領とする根拠が一段と弱まったと、日本の研究者は指摘している。
「欝陵島図形」で、鬱陵島の独島博物館であった特別展の図録への収録を、島根県の竹島資料室が確認。鬱陵島東側の竹嶼と観音島の位置に「大于島」と「小于島」が描かれ、朝鮮王朝が両島を鬱陵島の属島と認識していたことがうかがわれる。
韓国側は、日本が竹島を島根県に編入した一九〇五年の五年前に大韓帝国政府が出した「勅令第四一号」で、鬱陵島の行政区域を「鬱陵島と竹島、石島」とし、石島(ソクト)が発音の似ている独島(ドクト)として、自国領の根拠に挙げる。
竹島(チクトウ)は竹嶼の韓国名。これ以外に属島が韓国側で認識されていたことから、勅令での竹島は大于島で、観音島の位置にある小于島を石島とするのが、絵図上では整合性があるとみられる。
島根県の竹島問題研究会の座長だった下條正男拓殖大教授は「石島は地理的に鬱陵島から九十二キロも離れた現在の竹島ではなく観音島とみられるとした研究会の見解が、正しいことが裏付けられた」と指摘している。
作製時期について下條氏は、朝鮮王朝を記録した粛宗実録を基に「鬱陵島探査を命じられた役人による一六九九年と一七〇二年の官製地図とみられる」と推測。従来、最も古いとされてきた一七一一年の「欝陵島図形」をさかのぼるとした。
1702年作製とみられる「欝陵島図形」。
1699年の絵図とは逆方向から描かれており、「大于島」「小于島」は左側にある
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