内原氏から今度は、私信の公開は法的な犯罪だ、という趣旨の抗議メールをいただきました。
ブログに書いた文章についての下記のようなメールが果たして「私信」なのか?
出版された写真集や書物について感想を公表するためには、いちいち著者の許可を得なければならないのか? 著者の事前チェックが必要なのか?
こんな些細なブログに感想を書いたぐらいで、内原氏は何をそんなに目くじらを立てているのか? 自分の意に沿わない感想にどれほど不満で不愉快であっても、「垂れ流すな」「名前をだすな」は言いすぎではないか(内原氏のメールは明らかに、「自分の作品について書くな」というメッセージです。感想の内容についてはコメントしないとおっしゃっているのですから)。しかも、「私信」と称したメールで抗議をしてくる。正直、陰鬱な気分に襲われます。
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通りすがりのものとして失礼します。
やりとりを見てて思ったのですが、
zalzal04さまもIDでなくはっきりと本名を名乗って
ブログを書かれるとフェアなのでは?
どこの誰かもわからないような人に名前を何回も出されるのが
作者にとって不愉快なのって理解できるけどなぁ。
それはAmazonの糞レビューと同じでしょ。
相手ルールの場所では反論すら変な形にされそうだしフェアじゃない。
メールの公開とか小学生じゃないんだから
大人のやることじゃないでしょ〜なんだか滑稽です。
優れた評論は作品として通用すると思います。
でもそれだって論ずる作品への敬意がどこかにないと
悪口や揚げ足取りと変わらない。
zalzal04さまも言い訳せずにきちんとした評論を
『ご自分の言葉』で書けばいいだけ。
まず「評論」でなく「感想」ってのがせこい。
片方だけ安全圏にいるのに対等に語ってるつもりなのが
端から見てて気持ち悪いです。
ここまで想像力が足りないのってのがまさに悪意の垂れ流しじゃん!って思いました。
貴重なスペースに長々と失礼いたしました。
匿名IDを告発する本人が「砂漠の旅人」と称するのは笑止千万ですが。まあ、それはいいとして、論点をずらしてほしくないと思います。僕の書いたものにどのような反論をなされようと受け入れます。「せこいこと」「優れた評論ではないこと」等々、批判・反論してください。僕が論点にしているのは、だから「垂れ流すな」「名前をだすな」という物言いを問題にしているだけです。実際、内原氏はどこが「事実誤認」で、どこが間違っているのか、一切、発言していないわけですから。さらに内容についてコメントはしないとおっしゃっているわけですから。内容を論点にすることはできません。
「砂漠の旅人さん」は、僕の感想文を「悪意あるもの」と診断なされたようですが、僕は内原氏の写真に対して、評価しつつも疑問も感じると書いたにすぎません。
何度も言いますが、「垂れ流すな」「名前を出すな」は、言いすぎではないか。著者の意にそわないことは書くなということになりませんか?そういうことを言いたいだけです。
しかし、正論です。
書き手としては、無視されるよりも、反応のある方が光栄なわけですが・・・・。
しかし、あの文章が礼を逸した、悪意ある文章だと言われることにはどうしても納得できません。本人はきわめて真摯に書いたつもりなので。
芸術家の中には自分の作品が評価されだすとなにか勘違いをしてしまう方もいるのでしょう。そういう部分で人間としての器の大きさが出るというもんです。内原氏は芸術家として非常に間違ったことをしている。こそこそと他人の評価を気にしながら、これからも作品を作っていけばいいんじゃない。