今、世界では多くの人が飢え、苦しみ、そして亡くなっている。 先進国はますます肥え、途上国はますます痩せ細る。 グローバル経済というものが持ち込んだ罪は甚だ重い。それは、貧富の差を拡大させるための仕組みを、作り上げたということと同義なのだから。 世界は、確かに近くなったけれど、その近さが、逆に僕たちから遠近感を忘れさせる。当然という言葉が多くなると、そのありがたみすら感じられなくなる。当然という錯覚を、まず疑わなければならない。 それは意外に難しいことかもしれないけれど、自分の身の回りをもう1度見直せってことかな。グローバリゼーションやモノカルチャーがどうとか、全然詳しくないから、私には全く分からない。 でも、こういうことなんだと思う。世界をオレンジだとしよう。そこからジュースを作る。コップの中身と残ったオレンジの皮、それがグローバル経済の仕組みなのだと思う。私たちは、濃縮されたジュースの1滴、飢餓に苦しむ人たちは皮の1片。 例えが不適切だと思うし、こういう事を書くのもどうかと思う。でも実際、食料危機や近年の原油高の煽りを肌に感じ、私たちは生きている。これを忘れて、生きていくことはできない。背景にある貧困の影を、私たちは忘れてはならないと思う。 貧困の影、その影を生み出す世界経済の仕組みを、忘れてはならないと思う。そして今まで述べた全ての内容は、今起っている事態の伏線に過ぎない。 食料危機、原油高、そして貧困。 これに一貫して共通するキーワードは何か。 それは「私」だ。 食料もないし、灯油もないし、お金もない。 食料に関していえば、冷蔵庫にマヨネーズともやしがある。ラーメンもあと二食ある。米も2日は持つ。あ、韓国海苔ももらってある。めかぶスープもあった。意外に食料ある。 いや、ニクガタベタイ! 灯油。雪が降って来て、積もった。寒い。布団から抜け出せない。なぜなら暖房がない。突き詰めれば、灯油がないから。灯油を買うお金がないから…。ストーブは飾りだって思う。 例えばおじいちゃんの家に囲炉裏があったり、薪ストーブがあったら、素敵だ。でも、それがもし使えなかったら、興醒めだ。 あるのに使えない物ほど、無価値なものってない気がする。見て楽しめるものだったら、全然構わない。だけれども、ストーブ見ても、面白くない。『マッチ売りの少女』みたいに、妄想に浸ることはできない。点いていないストーブの火が、燃えているように見えたら、末期が近い証拠だ。 そして、根本的な問題、お金。無い以上に、借りてる額が、段々膨らんでいることに若干怖さを感じる。こうして人は信用を失い、身も心も滅ぼしていくのかもしれない。 私は冬が嫌いだ。雪が嫌いなわけではなく、お金がかかるから嫌い。寒いよりも、暑い方が良い。キーを叩く手すらかじかむ、寒いと。暑いと汗ばむけど。 でもいろいろ言って来たけど、生きているって、それだけで貴いと思う。しつこくは言わないけれど、ネット繋がったし、とりあえず、なんとか生きていけるような気になってきてる。いざとなったら、マヨネーズを啜ればいいのだ。
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