おしゃべりなマダム

一言メッセージ :明日があるさ

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時は流れて

昨夕の忘年会記事の続きで。
毎年お世話になる友人の旅館は彼女で何代目だろう。

彼女の旦那様は中学校の先生だった。
一人娘の彼女は老舗の旅館を継ぐつもりは毛頭無く、旦那様の赴任地で、そのころ私の家の近所に住んでいた。
彼女は、大家さんがいる母屋の離れの一軒家を借りていた。

私の子供が同じ歳でもあり、頻繁に行き来をしていたのだが、ある朝予定外に訪ねたら「ピンポーン」と呼び鈴を押しても応答が無かった。
音楽が聞こえるので、居るのだろうが聞こえないのかな?と庭へ周って居間を見て、へっ?

70過ぎの小泣き爺いそっくりの大家さんとワルツを踊っていたのだ。
その時の話で、今でも彼女と二人で笑い転げる。

爺様は内緒で通い詰める飲み屋のネエチャンにデレデレしている所を、恐妻に見つかったような顔をして。
友人はスケベ客の攻撃から、救いの手を差し伸べられたキャバ嬢の様に「助かった」という顔を二人して私を見た。

本当に私は、人に見て欲しくない所を見てしまう何かがある・・・。

大家さんは彼女がお気に入りだったので、何か用事を作っては上がり込んでいたようだ。
彼女も、客商売の家に生まれてお人よしの所があった。

その朝早くから、小泣き爺いの奥様は婦人会の旅行とかで留守だったらしい。それで、チャンスとばかりに、彼女にダンスを教えると言い出してレコード持参で上がり込まれたそうだ。
ある意味、平和な時代だった・・。

彼女は折り紙付きのリズム感欠如人間だ。
私の旦那様に、社交ダンスの名手がいて毎夜習い、ルンバがどうにか踊れるようになり、子どもを旦那様達に預けダンスホールへ出かけた。
しかし、習った曲と違う!と、とうとう踊れずにワインを一人で4本空けて帰った。底なしの酒飲みだ。

彼女のお父様が酒豪だったので遺伝と言うが。
お母様が旅館を切り盛りして、市場へもお母様が出かけて仕入れて来ると聞いていた。
そして年末になると、毎年お母様が捌いた河豚のフルーコースを届けて下さった。
市場でも有名な肝っ玉母さんだったようだ。

そのお母様が倒れられて、彼女と御主人様は一大決心をして旅館の後を継いで15年。今ではすっかり女将業が板につき、彼女目当ての御贔屓さんも多い。
学生時代、子育ての大変な時代を分かち合った友人と会える恒例の忘年会を、一番楽しみにしているのは
私だ。

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