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【沖縄集団自決訴訟の詳報(1)】梅沢さん「とんでもないこと言うな」と拒絶 (3/4ページ)
このニュースのトピックス:沖縄集団自決
原「団長の娘の手記には、梅沢さんは昭和20年3月25日夜に5人が訪ねてきたことを忘れていた、と書かれているが」
梅沢さん「そんなことはない。脳裏にしっかり入っている。大事なことを忘れるわけがない」
原「団長以外の4人の運命は」
梅沢さん「自決したと聞いた」
原「昭和57年に団長と再会したとき、昭和20年3月25日に訪ねてきた人と気づかなかったのか」
梅沢さん「はい。私が覚えていたのは娘さんだったが、それから40年もたったらおばあさんになっているから」
原「その後の団長からの手紙には『いつも梅沢さんに済まない気持ちです。お許しくださいませ』とあるが、これはどういう意味か」
梅沢さん「厚生省の役人が役場に来て『軍に死ね、と命令されたといえ』『村を助けるためにそう言えないのなら、村から出ていけ』といわれたそうだ。それで申し訳ないと」
《団長は戦後、集団自決は梅沢さんの命令だったと述べていたが、その後、真相を証言した。質問は続いて、「集団自決は兄の命令だった」と述べたという助役の弟に会った経緯に移った》
原「(昭和62年に)助役の弟に会いに行った理由は」
梅沢さん「うその証言をしているのは村長。何度も会ったが、いつも逃げる。今日こそ話をつけようと行ったときに『東京にいる助役の弟が詳しいから、そこに行け』といわれたから」
原「助役の弟に会ったのは誰かと一緒だったか」
梅沢さん「1人で行った」
原「会って、あなたは何と言ったか」
梅沢さん「村長が『あなたに聞いたら、みな分かる』と言った、と伝えた」
原「そうしたら、何と返答したか」
梅沢さん「『村長が許可したのなら話しましょう』という答えだった」