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【沖縄集団自決訴訟の詳報(1)】梅沢さん「とんでもないこと言うな」と拒絶 (2/4ページ)
このニュースのトピックス:沖縄集団自決
原「どう答えたか」
梅沢さん「『とんでもないことを言うんじゃない。死ぬことはない。われわれが陸戦をするから、後方に下がっていればいい』と話した」
原「弾薬は渡したのか」
梅沢さん「拒絶した」
原「5人は素直に帰ったか」
梅沢さん「執拗(しつよう)に粘った」
原「5人はどれくらいの時間、いたのか」
梅沢さん「30分ぐらい。あまりしつこいから、『もう帰れ、弾はやれない』と追い返した」
原「その後の集団自決は予想していたか」
梅沢さん「あんなに厳しく『死んではいけない』と言ったので、予想していなかった」
原「集団自決のことを知ったのはいつか」
梅沢さん「昭和33年の春ごろ。サンデー毎日が大々的に報道した」
原「なぜ集団自決が起きたのだと思うか」
梅沢さん「米軍が上陸してきて、サイパンのこともあるし、大変なことになると思ったのだろう」
原「家永三郎氏の『太平洋戦争』には『梅沢隊長の命令に背いた島民は絶食か銃殺ということになり、このため30名が生命を失った』と記述があるが」
梅沢さん「とんでもない」
原「島民に餓死者はいたか」
梅沢さん「いない」
原「隊員は」
梅沢さん「数名いる」
原「集団自決を命令したと報道されて、家族はどんな様子だったか」
梅沢さん「大変だった。妻は頭を抱え、中学生の子供が学校に行くのも心配だった」
原「村の幹部5人のうち生き残った女子青年団長と再会したのは、どんな機会だったのか」
梅沢さん「昭和57年に部下を連れて座間味島に慰霊に行ったとき、飛行場に彼女が迎えにきていた」