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詳報11月9日22時22分更新
大江さんの証言要旨 大阪地裁

 大江健三郎さんが9日、大阪地裁に提出した陳述書の要旨と尋問のやりとり要旨は次の通り。

 ▽陳述書要旨

 1965年に沖縄で収集を始めた関係書が「沖縄ノート」を執筆する基本資料となり、ジャーナリストらから学んだことが基本態度をつくった。

 戦後早いうちに記録された体験者の証言を集めた本を中心に読み、中でも沖縄タイムス社刊の「鉄の暴風」を大切にした。著作への信頼があり、座間味、渡嘉敷両島での集団自決の詳細に疑いを挟まなかった。

 集団自決は太平洋戦争下の日本国、日本軍、現地の軍までを貫くタテの構造の力で強制されたとの結論に至った。構造の先端の指揮官として責任があった渡嘉敷島の守備隊長が戦後の沖縄に向けて取った行動について、戦中、戦後の日本人の沖縄への基本態度を表現していると批判した。

 関係者に直接インタビューはしていない。本土の若い小説家が質問する資格を持つか自信を持てなかった。守備隊長の個人名を挙げていないのは、集団自決が構造の強制力でもたらされたと考えたからだ。

 もし隊長がタテの構造の最先端で命令に反逆し、集団自決を押しとどめて悲劇を回避していたとしたら、個人名を前面に出すことが必要だった。

 集団自決について「命令された」と括弧つきで書いた。タテの構造で押しつけられたもので、軍によって多様な形で伝えられ、手りゅう弾の配布のような実際行動によって示されたという総体を指し、命令書があるかないかというレベルのものではないと強調するためだ。

 批判したのは、1945年の悲劇を忘れ、問題化しなくなっている本土の日本人の態度で、沖縄でも集団自決の悲惨を批判する者はいないと考えるようになっていた守備隊長の心理についてだ。

 隊長命令説を否定する文献は知っているし、読んでもいるが、「沖縄ノート」を改訂する必要はないと考えている。

 皇民教育を受けていた島民たちは日々、最終的な局面に至れば集団自決のほかに道はないという認識に追い詰められていた。集団自決は、既に装置された時限爆弾としての「命令」だった。無効にする新しい命令をせず、島民たちを「最後の時」に向かわせたのが渡嘉敷島の隊長の決断だ。

 座間味島の集団自決や隊長命令のあるなしは論評していない。渡嘉敷島と同様に命令があったと考える。島民たちの証言でも支えられた確信だ。

 ▽やりとり要旨

(大江さん側の弁護士)

 −日本軍の隊長が自決を命令したと書いたのか。

 「(隊長の命令が)あったとは書いていない。隊長個人の性格、資質で行われたものではなく軍隊が行ったものと考え、特に個人の名前を書かなかった。その方が問題が明らかになると考えた」

 −集団自決は軍の命令だったと考えるか。

 「文献を読み、執筆者らに話を聞いて軍の命令だという結論に至った」

 −今現在も命令があったと考えているか。

 「確信は強くなっている」

 −記述を「リンチ」とする批判もあるが。

 「普通の人間が軍の組織の中で罪を犯しうるというのが(本の)主題」

 −日本軍の命令について訂正する必要は。

 「必要性は認めない」

(元守備隊長側の弁護士)

 −自決命令について「軍のタテの構造で押しつけられた」と言われたが、「沖縄ノート」にはその説明がない。

 「その言葉は使っていない」

 −守備隊長が雑誌の取材に答えた「わたしは(集団自決を)全く知らなかった」の言葉をうそと決め付けているのか。

 「事実ではないと思っている」

 −本で引用した「沖縄戦史」の「住民は(中略)いさぎよく自決せよ」の記述は。

 「事実と考えている」

 −家永三郎氏の「太平洋戦争」でも自決命令の記述の一部は削除された。軍命説は歴史家の検証に堪えられないと考えたのでは。

 「取り除かれた部分は『沖縄ノート』に抵触することはない。わたしは本に責任があり、それを守りたい」

 −一般読者が理解できるように書くべきでは。

 「誤読に反論する文章を書こうとしている」

(初版:11月9日21時41分)
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