ステファノ濱尾文郎枢機卿 帰天
日本人では5人目の枢機卿、前教皇庁移住・移動者司牧評議会議長として活躍
前教皇庁移住・移動者司牧評議会議長のステファノ濱尾文郎(はまお・ふみお)枢機卿が11月8日(木)午後6時57分、入院先の東京・癌研有明病院で肺癌のため帰天した。享年77歳だった。同枢機卿は今年12月21日に司祭叙階50周年の慶事を迎える予定だった。
葬儀・告別式は12日(月)正午から、梅村昌弘・横浜司教の司式のもと、神奈川県横浜市の横浜雙葉学園講堂で執り行われる。
喪主は梅村司教。
濱尾文郎枢機卿 略歴
1930年3月9日、東京生まれ。
東京カトリック大神学院、上智大学を経て1951年よりローマに留学。教皇庁立ウルバノ大学で哲学と神学の修士号を、同グレゴリアン大学で教会法の博士号を取得した。
1957年12月21日、ローマで司祭叙階。
1962年に帰国。その後は東京大司教館、関口教会助任として働いた。
1970年2月5日、東京教区補佐司教に任命された。
1970年4月29日司教叙階。東京カトリック学生連盟指導司祭、日本カトリック学生連盟副指導司祭、青少年委員会委員長、信徒使徒職委員会委員長、アジア司教協議会連盟(FABC)常任委員などを歴任した。
1979年10月30日、第7代横浜教区長に任命された。
1980年1月15日、横浜教区に着座。18年間にわたって同教区を司牧した。
1998年6月15日、教皇庁移住・移動者司牧評議会議長に任命、同時に大司教に任命されてバチカンへ赴任。
2003年9月28日、教皇ヨハネ・パウロ二世より日本人では5人目となる枢機卿に任命された。
2003年10月21日、枢機卿に親任された。
2006年3月11日に定年を受理されるまで、文字通り「行動する枢機卿」として世界各地を回り、実際に現場を訪れては人々を励まし、その訴えに真しに耳を傾け続けた。定年後もしばらく教皇庁の福音宣教省や列聖省の仕事を続けていた。
日本カトリック司教協議会では、1995年定例司教総会から1998年の同総会まで司教協議会会長を含め、宣教司教委員会委員長、東京カトリック神学院常任委員、学校教育委員会委員長、常任司教委員、社会司教委員、国際協力委員会委員長、カトリック新聞社運営委員会委員長、カトリック・コミュニケーション委員会委員長、社会・福音チーム責任者、中央協議会事務局担当司教、司教協議会副会長、中国教会関係資料室室長、シノドス(世界代表司教会議)評議員、アジア・シノドス日本代表など、多岐にわたる要職を誠実に勤め上げた。
2007年6月1日にペトロ岐部と187殉教者の列福が教皇ベネディクト十六世によって裁可されたが、これにも濱尾枢機卿の有形無形の尽力があった。今年10月、体調を崩して帰国、都内の病院に入院していたが、11月に入って容態が急変し、病者の塗油を梅村司教から受けるなど、重篤の状態が続いていた。司教紋章のモットーは「ADVENIAT
REGNUM TUUM」(御国が来ますように)。その大きな身体にふさわしく、些事にこだわることなくすべてを受け入れる器の広さと、豊富な学識とスケールの大きな国際性、暖かな人間味など、年齢を超えた広範な世代で多くの人々を魅了した。昨年10月に亡くなった元東宮侍従の濱尾実さんは実兄。
(11.9)
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