三菱広島元徴用工被爆者訴訟の提訴から12年。46人いた原告は次々に亡くなり、1日、最高裁で国の損害賠償を認める判決を受けた生存者はわずか15人になっていた。「勝利はうれしいが、あまりに長すぎた」。元徴用工の顔に刻まれたしわが、苦しく長い戦いを物語っていた。
判決の言い渡しが終わり、最高裁を出ると、支援者が「勝訴」と書かれた紙を高々と掲げた。広島から駆け付けた三菱広島・元徴用工裁判を支援する会の山田忠文事務局長(66)らから拍手がわいた。しかし、立ち会った4人の原告の表情には会心の笑みはなかった。
原告団長を務めながら六年前、亡くなった朴昌煥さんの長男、在勲さんは父の遺影を胸に法廷に座った。「父が生きているうちにこの日を迎えたかった。遅きに失したというしかない」と無念の表情を浮かべた。
【写真説明】高く掲げられた「勝訴」と書かれた紙を前に、亡くなった原告の遺影とともに判決の喜びをかみしめる元徴用工や遺族、支援者たち
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