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2007/11/05

 自傷行為と自殺企画の狭間(はざま)で
[ BATON & OPINION ]    

最初に---
タイトルで驚かれた方、ごめんなさい!
私のことでは、ありません。

大好きな友のことです。
公に書くべきことではないかもしれません。
でも、緊急性のあることでもあり、私が把握し切れていない周囲の環境改善に結び付けたいので、書きます。
この日記へのコメントは、しないでください。

----------------------------------------

最近の傾向として特に十代の子の間では「伝染する」と言われるある特殊な自傷行為についてなので、インターネットの性質を考えて、敢えてその「呼称」は文字にしません。
でも、全くインターネットは・・・便利だというか怖いというか
私が書こうとした重く深い内容のほとんど全てにわたって、極めて専門的かつ優れた要約のしかたで簡潔に書かれてあるコンテンツがありました。

見るなと言っても、苦しむ人はいずれそこを見つけるでしょう。
日記の最後にそのURLをご紹介しますが、苦しみもがいている友とその家族に対して、なんの手伝いもできない私のふがいなさの罪滅ぼしに、ここだけは外さずに!と思う事を、私なりに試験勉強的にまとめてみます。


まずひとつ目。
【多くの場合、自傷行為と自死願望は基本的に違う】


本人にも自覚がないものの、薬などで「自殺未遂」を繰り返す場合、未遂を繰り返す限りは「自傷行為」です。
ただ、簡単に欝病と診断されてその薬をどんどん強くされたりすると、未遂では済まないことになってしまいますし、事実その境界は明確ではないとされています。
「薬」という手段を取り上げられて血を見る自傷行為に及んだ時に、ああそうだったのか・・と初めて医者にもわかる、というのを聞いたことがあります。
そこで反省できる医者は立派だと思うし、自分や周りを見事に欺いていた行為者自身も、その思い切りの良さを、むしろ褒めてください。
その時点では未遂から目が覚めるたびに、また生き残ってしまったと、激しい自己嫌悪だったと思いますが、それだけ純粋に、死の淵ギリギリまでに自分を追い込んでいたんだと、自分の純粋さを信じてください。
そして、死なずに済んだ事を喜んで!
なぜなら、自殺願望と違って、自傷行為は「生きたいのに、このまま生き続けるのが苦しい」という究極の表現なのですから。
そのあと、愛する家族に、「注意が足りなかった」というトラウマを背負わせずに済んだ事に、心からホッとしてください。
喜んだあと、あなたをそこまで追い込んだ不条理への強い怒りを自覚してください。
あなたはもっと怒るべきだし、事実、怒っているのですよ。昇華されるまでその怒りについて考えてください。



二つ目。これはたいへん難しいですが。。。
【家族も周りも「監視」して止めようとしないこと−監視では止めきれない−】

監視が行き届いている間は確かに実行できないでしょうが、本人は、目的を達するためには想像外の方法を取ります。
その場合、本当に最後になってしまうのが、本当に本当に怖いです。
もし今も・・・と、それを考えると、周りは眠ることさえ怖くなります。
本人も自覚がないままに見事に、周囲を、そして自分をも欺いて「落ち着いたフリ」をします。でも、必ずスキを突かれます。

私の友の場合は、非常に論理明晰な人なので、余計に分かりにくい・・・
ある日ドカンと大きなのが来てそれっきり、と考えると、今の今、この時でも、叫んで駆け付けたくなります。でも、一番辛いのは、そんな周囲の隙を突いてでもと考えを巡らせる本人なのです。
「繰り返す」ということへの自己嫌悪が強ければ強いほど、強硬な手段を取るようになります。
だから、どうぞ友よ、辛さを押し込めすぎずに、サンドバックを叩いてください。
あなたには怒る権利がテンコ盛りにあります。
周りの方は、自傷行為を繰り返すことをどうぞ叱らないで、怒りを認めてあげてください。
そして、友よ、サンドバックを思い切り叩いて小一時間、乖離状態が少しでも治まって、それでもまだ胸が苦しかったり息がちゃんとできなかったら、だまされたと思って、ナイフの代わりに赤マジックで描いて、その代償傷痕を見つめてください。
それで楽に息ができるようになる例はとても多いということです。
子どもだましだと思うでしょう?でも、本当だから、やってみて!
それがもし効き目がなかったら、私に「嘘つき!」と、電話をください。
もしこの方法が有効だったら、だからといってそこで終わりだと思わないでくださいね。
波はまだ何度かは襲ってきますから、その時にはまた、これを繰り返してください。
家族は、朝起きてその代償傷があったら、夕べもそんなに辛かったのか..とわかり、思い切り抱きしめてくれます。


そして三つ目。
【自傷行為者が「異常」なのではなく、その周囲・環境が異常な場合が圧倒的である事実】


近年の研究では、ハッキリこの結果を出しています。
フロイト的解釈などは誤りだとして、この件での臨床最前線で、フロイトは捨てられた理論です。
もちろん「本人の甘え」などであるわけもなく、「死なないことを計算して」の行為ではあり得ません。
古いタイプの先生から「講義」を受けた、少し心理学を学んだ方は、特にこの点にご留意ください。
また、そのような説の本もまだまだ出回っていますが、それが日本人の著者だった場合、特に名のある「先生」だった場合は詐欺罪にしたいくらい・・・

自傷行為に及んだ直後の解放感とそのあとの後悔・自責の念の辛さを、周囲は、真に理解すべきです。してしまった行為を叱ることは、本人を一層「下位者」へと追い込んでしまう虐待行為とさえいえます。
(ただし、心配する家族が感情の発露として、平手を喰らわせてしまった場合、本人に、その愛情の深さは伝わっていますよね。でも、その人を心から愛する家族や周囲は、できるだけその感情の発露を抑え込んでください。)

だから・・・友をそこまで追い込んでいる一見まともそうな「おかしな思考者」と同じステージになど立つ必要はないといえばそうだけれど、でもそうしてしまうことを、周囲は止めないでください。
友の倫理観は至極真っ当ですし、論理的思考力は非常に優れています。行為は奇異に見えたとしても、そのことで、もしかしたら自己の復権が果たせるかもしれないし、奇異にみえる行動の真っ最中でも冷静を保てる高いレベルの自制心を備えている人です。

友よ、あなたが以前言っていた、「私がおかしいのではなく、周りがおかしいのではないか?」というのは、本当に「本当」なのですよ。
私が同調したのは、単なる慰めなどではないのです。
むしろ「一番まとも」だからこそ、そして優し過ぎるから、周囲を壊す行為に出られなくて、代わりに、そう思う自分を壊そうとしてしまうのです。


--------------------------------------

これをアップするのは勇気が要ります。
日記をアップする前に「力をください」と神に祈ったのは初めてです。

この友は、極めて魅力的な資質を備えていて多くの信頼すべき人に囲まれていますが、自律規範が厳しいために、時として人を遠ざけることもあります。
遠ざかった人は、この友の規範に自分が合わなかったのではなく、ご自分の規範の範疇を友の方が侵したとして自己正当化します。
が、誤解の無いように。それぞれが生きる為の最終ラインの自己防衛を私は批判はしない、でも批判される謂われもないでしょう。
その表現の好き嫌いで私自身が友の方を選び取るだけです。
よく、「その人のどこがそんなに好きなの?」と問われます。
言葉にするのはとても難しいのですが、友自身に問われないうちに、ちゃんと答えられるように考えてみました。

・・・うん、やはり「恥と足るを知る人」だから、でしょうか。
たとえば、優れて内省的な人でも案外気づきにくい「ヒロイズムへの欲求」などに対する、自己への問いかけの深さが、この友にはあります。
「それがあるからこそできるということだってあるし、『やらぬ善よりやる偽善』だよ」と、私のようにちゃっかり居直ることができれば楽なのに。
ある程度それが満たされるからこそ出来るということでも、自己の内なる欲求を恥じて苦しんでいる友---これは痛々しいほどですが、そのように内省できる人が、私は好きです。
その部分が見えてしまったのに見えないふりをしては、漱石が書くところの「こころ」の先生のような重荷を背負って生きねばならなくなります。
あはは、突然湧いて出た例えに自分でも驚いてしまっていますが、これは若い方々には伝わりにくい比喩だったかもしれませんね。
私の[最大級罵倒の言葉]は「馬鹿野郎!! 恥を知りなさいっ!」なので、その言葉と遠い人が、単純に「好き」なのです。

「足るを知る」・・・これは、人であれば、常に自己との闘いを強いられる言葉ですよね。
私が真のクリスチャンになれないのは、性善説を取りたいからなのですが(原罪と性善説は相いれないものではない筈なのに、クリスチャン教徒の多くはこのあたりがゴチャゴチャ)、「みんな善い人」の私でさえ「足るを知る」人は少ないことだよなぁと思います。これをイエスは「命へ至る道は狭く得難い」と言った、いわゆる狭き門です。
よく言われる「生まれた時にはみんな裸」という気風の良い言葉も、身にまといつく欲の垢を落とすのが難しいからこそ、意識して垢落としを鼓舞するように生まれた言い方だと思います。
野心を持つことは向上心につながっているので、悪いことだとは思えないのですが、やはり心底「足るを知る」というのは難しいことだと思います。
それを強く意識して「足るを知る自分であろう」とする人は、確かに生きにくそうだけれど、私は好きです。
そういう人が友の中にいると、自戒の念を保ち続けられるように思えるからかもしれません。
だからと言って、自戒の念を強く持ちすぎるとオーバードラフトを招くので注意が必要ですよね。
このラインさえ無い人、私は好きではありません(嫌いです)。
でも、ラインはできるだけ太い線でクレヨンを使って曖昧に描こうね、と、私の図太さを分けられる相手を友として選びます。

私は、ここに書いた友が大好きです。結局は私のための話になってしまいますが、大好きな友を、この病で決して失いたくはありません。
生きたいという気持ちの表現を間違えている病気なので、必ず治ります。
「あせらず、一つ一つ、じっくり付き合いますので、私に、歩みの遅さを後悔させないで下さい」と神に祈る毎日です。

最後にもう一度、友よ。読んでくれているでしょうか・・・。
こうしているうちにも永遠の眠りについてしまっていないかとドキドキしてしまいます。
が、私が逆転移に陥ることなど絶対に(とは言い切れませんが)ないので、安心してください。でも、どうぞ家族の心配はしてくださいね。

wikiの自傷行為についての項目です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%82%B7%E8%A1%8C%E7%82%BA

※ここのシステムはコメントを受け付けないと過去の表示もされません。
なのでオープンにしてありますが、
この日記へのコメントはご遠慮ください。



最終更新日  2007/11/05 04:08:23 PM
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