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2007-04-13 ノウハウ直接知財 与太理論の流通 その2

[][]ノウハウ直接知財 与太理論の流通 その2


与太理論を発信する動機

トリガー直接知財での発信を目的とした情報取引については「受信者に発信者が意図した行動をとらせる」「受信者に情報を蓄積させる」「発信したと言う事実を残す」という目的で行われている。そしてノウハウ直接知財においては「受信者に発信者が意図した行動をとらせる」という目的で発信されることが多い。

ノウハウ直接知財を受信することで受信者はその主体内に間接知財を作成することになる。そして自律機械である受信者はその間接知財を利用して行動を決定することになる。発信者はこの受信者の行動によって利益を得るのだ。

この利益は直接に発信者の利益になる必要はない。発信者が所属する共同体の利益になれば、構成員である発信者はそれにより応分の利益を得ることができる。そして発信者の所属する共同体の利益は物質的である必要はない。

共同体の説明において書いたが、いくつかの共同体はその共同体の文化を拡大することを目的のひとつに置いている。時には他の共同体に損害を与えることが文化の拡大だと解釈されることもある。共同体の文化の拡大は、客観的な拡大でなくてもいいのだ。

そして構成員は共同体の文化を拡大させることで精神的な利益を得る。精神的な満足を流通させる媒体は情報であり、物質的な利益と比べると複製が容易で大量流通による陳腐化も少ない。例えば9・11テロの時にイスラム原理主義者は大喜びしたが、たとえそのときのイスラム原理主義者が実際の二倍であったとしても一人一人の満足感は大きく違わなかっただろう。

このような個々の共同体でしか通用しない価値観を基に行動された場合、それを妨害することは困難になる。まず最初に相手の動機が理解しにくいために与太理論を流されることへの警戒心が薄くなってしまうことだ。次に相手の行動に対するペナルティーを課すことが困難になる。複数の共同体に共通な価値、例えば金銭を目的とされた場合ならそれをペナルティーの対象にすることができる。しかし教義に準じて死ぬことが最高の理想だとする人間に対してどのようなペナルティーも通用しないだろう。


受信の失敗を誘発する偽装発信

彼らは彼らの主張を常に偽装して発信する。例外は与太理論を与太理論ではないと信じているときだけだ。ニュートンは自分の主張を偽装しなかったし、僕も自分の主張を偽装しない。僕自身はここで主張している自分の理論が間違いかもしれないと疑ってはいるが、現時点の僕の能力で一番正しいだろうと信じられることだけを書くようにしている。

主張を偽装するのは受信者に受信の失敗を誘発させるためである。そのために常に不完全で論理に穴のある主張を行わざるを得ない。そのおかげでに受信能力が高い人間はなかなかガセネタにひっからない。しかし人間は自律機械であり、いついかなる時でも、どのような聖人君子であっても失敗の危険から自由でいることはできない。与太理論発信者は彼らが受信の失敗を引き起こすまで与太理論を発信し続ければいいのだ。

われわれが与太理論発信者から自衛するためには信用醸成を行って与太理論発信者からの情報をすべてシャットアウトするしかない。しかしシャットアウトしすぎると信用醸成の罠にはまるし、与太理論発信者が改心して我々の正常な共同体に帰依することを阻むことにも繋がる。また与太理論発信者は多くの場合が身元を偽装して発信を行う。一つの身元が信用を損なえば、別の身元を用意して新しいきれいな名前で発信を行えばいいのだ。

結局のところ我々がとれる自衛手段は一つ一つの与太理論ごとに与信を行うしかないのかもしれない。しかしこれは非常な労力を伴うし、当然のように信用醸成の罠にもはまる。


与太理論が与える社会への損失

与太理論が流布されることで被害を被るのは、直接の受信者だけではない。与太理論が大量に流通した場合、社会全体が大きく混乱し損害を被る。

まず最初は単純に社会の生産性が悪化する。与太理論を使用して行動を起こした人は、期待した結果が得られなかったり、時には大損害を被ることもあるだろう。

次に与太理論が多く流通している状況では、人々は信用醸成により大きなコストを支払わなければならなくなる。高信用醸成コストの社会は非常に保守的なものであり、息の詰まる社会になる。新しいノウハウ直接知財も信用醸成の罠に阻まれて流通されなくなる。そして古くて役に立たない情報だけが信用醸成に勝ち残るようになるだろう。

これが最後のそして最大の問題点だ。信用醸成の罠が蔓延した社会では、論理による与信よりも実績による与信のほうが重視される傾向にある。そして多くの場合、実績を喧伝するのは与太理論を浸透させたいノイジーマイノリティーであり、他人に与信を与えるコストを個人的に負担することを嫌うサイレントマジョリティーの冷静な意見は採用されなくなる。与太理論の推進者は自分の意見が冷静な信用醸成にさらされないようにするために、社会において信用醸成が正常に行われないようにする努力を始める。別々の与太理論を提唱する別々の共同体が、ここにおいて「正常な信用醸成が行われない社会の実現によって利益を得る」という共同体を形成し、一致団結して「与太信用醸成理論」を発信するようになる。

こういった状況で与太理論を駆逐することは非常に困難だ。個人的に与太理論を受け入れないように努力したところで、与太理論に代わる正しい理論が流通していないためにそれを受信することができない。正しい理論を発信しようとしても信用醸成の罠にはまる上に、与太理論共同体から妨害を受けることになる。この状況では長いものに巻かれて与太理論を受け入れることが合理的な行動になる。

少数の人間はしかし、長いものに巻かれる利益よりも、自分が正しいと信じられないことを受け入れることの不利益のほうが大きいと感じる*1。最初の突破口は彼らによってなされるのだが、そのうちに彼らを中心に「与太理論駆逐共同体」が形成されることになる。与太理論を駆逐することで「与太理論駆逐共同体」が属する上位の共同体、つまり社会は利益を得ることになり、当然に社会の構成員である与太理論駆逐共同体が応分の利益を得ることになる。そしてさらに与太理論駆逐共同体の構成員も応分の利益を得る。この利益が構成員が与太理論の駆逐に費やす個人的なコストよりも大きいと感じるのならば彼はそのコストを負担することに同意するだろう。

*1:彼らの信念は英雄的だが、英雄的であることを賞賛してはいけない。与太理論発信者もまた信念を貫く英雄だからだ。自分が間違っているときにはそれを認める勇気をこそ賞賛するべきなのだ。

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