日本人女性人身売買考 |
(最新見直し2006.3.6日)
「豊臣秀吉の『伴天連(ばてれん)追放令』」で触れたが、ここで改めて「日本人女性人身売買」について考察する。 TORA氏が「阿修羅空耳の丘43」の2006.1.27日付投稿「日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか?」、 2006.3.6日付投稿「明治から大正にかけて、30万人もの日本の若い女性が売られたり騙されたりして、海外に売られていった」で採りあげている。出所は「株式日記と経済展望」で、出典は「日本宣教論序説(16) 2005年4月 日本のためのとりなし」のようである。これをれんだいこ流に意訳整理する。 鬼塚英昭氏の著「天皇のロザリオ」(P249〜257)は、次のように述べている。
若菜みどり氏は、著「クアトロ・ラガッツィ(四人の少年の意)」(天正少年使節と世界帝国)(P.414〜417)」は、徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇」(P337〜387)を引用しているが、奴隷売買の下り「火薬一樽につき日本娘50人」の記録が省かれている。その上で、次のように述べている。
この説明の後、売られた女性たちの末路の悲惨さを記している。かなり婉曲に触れていることになる。 秀吉は、準管区長コエリヨに対して次のように命じている。
2002.7.9日付北國新聞の「バテレン追放令」も当時の「宣教師達による日本人女性人身売買」について触れている。豊臣秀吉のバテレン追放令第10条の「日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止」を紹介し、次のように述べている。
これらを踏まえて、「株式日記と経済展望」氏は次のようにコメントしている。
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(私論.私見)