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政府は「負の遺産」を残す義務がある

ドイツの事例を見て考えたこと

青柳 茂雄(2007-10-30 10:30)
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 数年前、私は妻と2人で近所にある文化ホールに行った。

 そのホールでは、普段はクラシックや歌謡曲のコンサート、演劇、落語などさまざまな発表会などが行われている。いわば、市民の憩いの場になっている。

 しかし、その日は違った。

 そのとき私たちが見に行ったのは、「アウシュビッツ・ユダヤ人収容所遺品展」。第二次世界大戦中のナチス・ドイツにより現在のポーランド国内に造られた、ユダヤ人収容所のひとつとして、ご存じの方も多いだろう。
アウシュビッツ強制収容所跡には、今でも多くの人々が訪れる=2005年4月8日、ポーランド・オシフィエンチム市(撮影:小長谷祐介)

収容所には「囚人」たちが逃げないように、電流の通された鉄条網が囲われていた=2005年4月8日、ポーランド・オシフィエンチム市(撮影:小長谷祐介)
 1979年にユネスコは、アウシュビッツを「負の遺産」として世界文化遺産に認定した。ところが、ポーランド政府は「これではわが国が作ったものだと誤解を招く恐れがあるため、名称を変えてほしい」と、ユネスコに要請。その要望どおり、2007年に「アウシュビッツ・ビルケナウ―ドイツ・ナチの強制絶滅収容所」と、名称が変更されている。

 会場内に入ると、左右のパネルに目を覆いたくなるような写真が多数展示されている。そして奥に進むと、原稿があった、これは、「アンネの日記」のアンネ・フランクが書いたと思われるものだ。また、鎖の付いた手錠や足かせ、首輪など、ショッキングなものがある。

 その中でも私が最もショックを受けたものがあった。ユダヤ人から刈った毛髪で編まれたセーターや、体の脂肪から作った石けんなどだ。最初に見たときはよく分からなかったが、脇の説明文を読んだ瞬間に気分が悪くなってしまい、そこにいることができずに立ち去ってしまった。

 予想はしていたが、その遺品展はとても残虐、悲惨なんていう一言ではいえないほど。とても長時間そこにいることはできなかった。

  ◇

 小学校の授業風景。教師が「この問題分かる人、手を挙げて」と問いかけ、分かる子は元気良く「ハイッ」と手を挙げる。日本国内ではどこでも見られる光景だ。

 ところが、現在のドイツでは「手を斜め上に挙げる」という行為は、あらゆるところで違法行為になるのだ。

 その理由が素晴らしい。

 アドルフ・ヒトラーは、ナチス党の軍隊が行進をしているときも、大衆の前で演説をする前や演説が終わったときにも必ず右手を挙げ「ハイル・ヒトラー」(ヒトラー万歳)と叫んでいた。それは、軍人も一般の民衆も同じだった。

 当時のドイツでは、手を挙げるという行為は、当時のヒトラー政権を称え、その「象徴」でもあった、しかし、今のドイツ人の多くは過ちを繰り返してはいけないという反省の念から、この行為が違法としたのだ(今でもネオナチと呼ばれている極右の人たちも若干いるが)。

 ドイツの人たちは、過去に自国が行った犯罪行為を真正面から捕らえ、強く反省し、戦後60年以上たった今でも世界中の人に対し、つつみ隠さずに公表し続けている。

 それでは日本はどうだろうか。

 先日、テレビのニュースで聞いたことだが、文部科学省の管轄下にある「教科用図書検定調査審議会」は、高校の歴史教科書から終戦間際・沖縄戦の集団自決に関する内容において、旧・日本軍が強制したと記載された部分を削除するように求めたというのだ。

 ところが、沖縄県民130万人ほどの人たちの中から11万人の人々が集まり(主催者発表)、文科省や日本政府に対して抗議を行った(しかし、そのことに対しては賛否両論の意見があり「教科書改正」に賛成の人たちはあのときの集会には、11万人ではなく2万人以下だと断言する人もいる)。その後、抗議も実り、文科省も再検討を始めたようだ。

 もし、その抗議集会がなく教科書がそのまま書き換えられていたらと思うと、ゾッとした。

 先の戦争において日本や日本人はとんでもなく大きな被害を受けた。銃弾が飛び交う戦地に強制的に行かされ命を落とされた数百万の軍人、原子爆弾や空爆により自らの命や家族を亡くした人。また、家族が集い憩いの場である家を灰にされた人。特に、原子爆弾により被爆した人の中には、今もなおその後遺症に苦しんでいる人は多い。

戦争の愚かさを世界中に伝える原爆ドーム=2005年8月6日、広島市(撮影:吉川忠行)
 そのような観点から今の日本を見ると日本国内には、先の戦争によってもたらされ被害者としての立場から見た「負の遺産」は日本各地にある。その「象徴」とも言えるのが、広島の「原爆ドーム」であろう。

 また、広島市の平和記念資料館、長崎市にある原爆資料館、鹿児島県知覧町にある特攻隊員たちの写真や遺書などを収めた特攻平和会館、広島県呉市にある海事歴史科学館(大和ミュージアム)など、そのような遺産も全国に多くある。

 私が強く思うのは、このような「目で見る負の遺産」は絶対に消し去ってはならない、ということだ。これらを今の若者たちにも引き継ぎ、後世に残していかなければならないものだと信じる。このような惨劇を2度と繰り返してはならない、ということを忘れてはいけないからだ。

 当時の日本国民、戦地に強制的に送り込まれ命を落とした軍人は、ともに被害者といえるだろう。

 それでは加害者は誰だったのか私は考えた。

 これは私個人の考えだが、国内における加害者は「旧日本政府、旧日本軍のほんの一部の人間」だったのではないかと思った。そして、その人たちは国益のため国民生活向上のためと思い行動を起こした。

 しかし、その大きな野望は間違った方法で、間違った方向へと進んでしまい、自国民、近隣諸国民に対して逆に加害者になってしまったのだ。

 ならば、現在の日本政府は先の戦争に対して真摯(しんし)に反省し、被害を受けた人たちへの償いを完ぺきに済ませたのだろうか。私はまだまだその償いは終わっていないと思う。それは、終わっていないどころかあやふやになろうとしているのではないかとすら思える。

 その最たる例が、今回の「教科書改正問題」だ。ほかにも「原爆被爆者の認定」「東南アジア、沖縄での戦死者の遺骨収集」「従軍慰安婦への謝罪・賠償」「731部隊の悪行」など、数えればそのようなことはまだまだ山積みにされている。

 日本は被害者でもあったが、現在の日本政府はそれ以上に大きな加害者でもあったということを正しく認識すべきだと思う。

 結論として、今問題になっている「教科書改正問題」などから犯罪者意識が薄れ、加害者意識より被害者意識が強くなることに私は危ぶんでしまう。

 今の日本政府は、過去の日本がどれだけ大きな罪を犯してきたかということを、隠さずにすべての被害とすべての犯罪を後世に引き継いでいかなければ、過去のことはいずれ忘れ去られてしまうだろう。

 日本が犯した「加害者としての負の遺産」をいつまでも残していってほしい。
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