米軍生物兵器研究センターでの炭疽菌漏出事件

(当センター代表、国立感染症研究所名誉所員 本庄重男)




 昨年10月初旬に米国の首都ワシントン始め数ヶ所で発生した炭疽菌郵送バイオテロの余燼はまだ冷めていない。それなのに最近、米陸軍の生物兵器研究センターで、実験区域外への炭疽菌漏出が2度も発生した。未だ原因は確定できていない模様であるが、バイオハザードの脅威を示す警告的な事件である。以下に、インターネット(ProMED-mail)を介して得たニューヨークタイムズやワシントンポストの報道記事を参考にしながら、その概要を解説する。

 同センターはメリーランド州フォートデトリックにある米陸軍感染症医学研究所の一部門であり、昨秋の炭疽菌テロ発生以来その調査・研究に関与してきた。

 今回の事件の発端は4月8日にあるとみられる。その日、一人の研究員は炭疽菌検査室内に置いてあったフラスコの外側表面に何か沈積物が付着していることに気付いていた。そして、検査室近くの管理室と廊下の限られた場所で炭疽菌の芽胞が検出された。その後の検査で、同じ検査室で仕事をしている2人の研究者のうち1人(フラスコの汚染に気付いた人)からも同種の芽胞が検出された。他の1人からは検出できなかった。この2人の職員は、以前に予防目的で炭疽ワクチンを接種されていたためか、発病していない。抗生物質の投与も直ちに行なわれている。なお、昨年のバイオテロで使われた炭疽菌のAmes株と今回の菌株(有毒)との異同は未だ明らかでない。

 4月12日には、同施設の1425号ビル内の800個所以上で拭き取り材料の菌検索が行なわれ、新たに2ヶ所つまりロッカー室および近接廊下で炭疽菌芽胞の存在が確認された。その菌株は、前回のものとは違い無害なワクチン株であると言う。ともあれ、4月19日には、同施設職員約100名全員を建物外に移動させ、ビル内環境の徹底的な汚染検査と消毒作業が行なわれた。ロッカー室には、検査作業中に着用している予防衣類を脱いで入れておく容器が置いてあり、それらの衣類の洗濯は施設外の業者(身障者も雇用している)に委託されている。そのため、そこの従業員7名も鼻孔の菌検査を受けたが、結果は幸いにも全員陰性であった。

 高度の安全対策(BSL3)が採られている同施設の炭疽菌検査室(室内気圧は周囲の区域より低圧、出入りには着衣・履物類の取り替えやシャワーの使用が義務付けられている)というのに、なぜ上記のような漏出事件が起きたのであろうか。この場合、意図的に菌がばら撒かれた(つまりバイオテロ)とはほとんど考えられない。結局、空調機の一寸したトラブルがあったのか、無意識的な作業ルール違反があったのか、何れにせよ非意図的な過誤により発生したバイオハザードであると思われる。関係当局者は、職員が何らかのルール違反(たとえば、手を洗わなかったり予防衣類を取り替えなかったり、汚染物の処理を誤ったり)を犯したものと見ているようである。

 一方、同施設所在地の市長は、同施設や国防総省がいち早く市当局に事件発生の通報をせず、マスコミに発表した2、3時間後にようやく知らせたことを厳しく批判している。そして、身障者が働いている洗濯会社にまで汚染が拡がっている可能性もあるとの警告を市当局にしなかったことはきわめて遺憾であると述べている。同施設当局は、洗濯会社従業員の菌検査は実施したが、同社の作業環境や器械類の汚染検査実施については明言をしていない。

 ともあれ今回の事件は、病原体実験施設がバイオハザード発生の元凶になることを明白に示した事件である。そして、米陸軍感染症医学研究所指揮官のE.エイツエン大佐も述べていることだが、病原体等の高度封じ込め実験施設では、施設内外の環境(汚染区域、非汚染区域の別なく)における病原体等の存否調査を定期的に実施する必要があることを物語る事件でもある。なお、米国の疾病制圧・予防センター(CDC)によると、昨年のバイオテロ関係試料の検査を受託していたテキサス州の会社の従業員1人が、検査材料処理作業中に感染し、皮膚炭疽を発症したという。

 ところで、上記のような事態を国立感染症研究所当局者や感染研裁判の一審判事たちは一体どのように受けとめるであろうか。病原体漏出の危険は無いと頑迷に言い張る感染研の態度は、即刻改められるべきである。そして研究所内外環境での日常的な病原体存否調査の実施を制度化せねばならない。また、事故発生時の自治体や周辺住民組織への遅滞無い通報態勢を確立すべきである。

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