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水俣病関西訴訟:最高裁判決3年 認定「二重基準」続く

 水俣病の被害拡大に国と熊本県の責任を認めた水俣病関西訴訟の最高裁判決から15日で3年。判決が患者と認めた原告45人全員が、今も行政上は患者と認められていない。国が認定基準の見直しに応じないためで、司法と行政の二重基準が続く。「これが人間かと思うほど曲がった体にされて死んだ姉のためにも、22年間裁判を闘った。なのにあまりにも国は横暴じゃないですか」。原告の一人、坂本美代子さん(72)=大阪市平野区=は弱った体にむち打って国や熊本県に足を運び続ける。【遠藤孝康】

 熊本県水俣市の漁村で育った。父は漁師で、水俣湾で取れた魚をよく食べた。5歳年上の姉清子さんは54年から、ろれつが回らなくなり、下半身はいびつに曲がってけいれんを繰り返した。

 当時、水俣病は認知されておらず、診断は原因不明の伝染病。周囲から白い目で見られ、夜中に水を汲みに出ても石や棒が飛んできた。ある夜、心中しようと姉の首に手をかけたが、「寝顔が安らかで力が入らなかった」。28歳で死んだ姉は解剖の結果、大脳はこぶし大に縮んで有機水銀で焼けただれていた。

 大阪では「水俣出身」を隠したが、水銀の影が忍び寄った。指先の感覚が失われ、突然、目の前が真っ暗になった。78年に水俣病認定を申請。4年後、関西訴訟に加わった。地裁から最高裁まで22年。意見陳述や尋問で4度法廷に立った。常に頭から離れなかったのは、姉に手をかけようとした日の翌朝、父に言われた言葉だった。「自分に負けんな。負けたらおしまいぞ」

 国は判決の1年後、認定申請の取り下げを条件に、未認定患者に医療費を全額助成する新保健手帳の交付を始めた。しかし、行政認定の場合の慰謝料や医療費、手当との差は大きい。

 「まるで踏み絵。冷たい国です」。いったん受け取った手帳は返した。判決後、国や熊本県に10回近く足を運び、保留のままの認定を求めるが、対応はおざなりだ。「見殺しですよね。私たちを虫けらとしか見ていない。虫けらでも命はあるんだから、その尊さを分かってもらいたい」

毎日新聞 2007年10月14日 3時00分

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