2007年10月28日

乙姫異聞

『異聞』…何かの事件に関する、普通は伝えられない話。


――どうしても、お帰りになるのですね。
――では、どうかこの玉手箱をお持ち下さい。
――ただし、決して開けないで下さいましね――
――努々、お忘れなきように――

「あの御方を、間違いなく地上に送り届けて参りました」
 玻璃で出来た大きな窓の側に立ち、身動きもせずじっと一点を見つめている女に声がかけられた。
 女はゆっくりと振り返ると、首を上下に振って答えた。
 女が身につけている衣や装飾品が、波に遊ばれた海藻のようにゆらゆらと揺れる。
「役目、大義でしたね。ゆっくりとお休みなさい」
 しかし先ほど女に声をかけた影は動くことなく、再び問いかけた。
「その前にお聞かせ下さい…本当によろしかったのですか?」
「わたくしが本気でそれを願っていたと思うのですか? ――ゆくゆくはあの御方と夫婦となりて、この竜宮を継ぐ事を夢見ていたわたくしが…」
「いいえ。失礼ながら、そうは思えませぬ、乙姫様。ですからこうして尋ねているのでございます」
 女――乙姫に声をかけた影――亀は、その場に畏まると少々ためらいがちに告げた。
「私はこの竜宮の中でもっとも長く乙姫様にお仕えしております。どうかそのよしみで、乙姫様の胸のうちをお聞かせ下さいませんか?」
 乙姫はまた窓から深海を見上げた。色とりどりの魚の群れが目の前を横切る。
 しかし日の光は差して来ないために、それ以外はあくまで紺色の景色が広がるばかりだった。
 乙姫はぼんやりとその景色を眺めていたが、ふっと目を伏せて答えた。
「…確かにお前はわたくしが幼い頃からよく仕えてくれています。そのお前を信用して話す事にしましょう。ですからどうか、他言はしないでほしいのです」
「もちろんです、乙姫様」
 亀は心得た風にうなずくと、乙姫の側に近付いていった。

「あの御方が地上に帰りたがるのは、わたくしにも充分想像できた事なのです」
 ぽつりぽつりと、乙姫は語り出した。相変わらず視線を玻璃の窓に向けながら。
「あの御方が育ったのは地上の世界。風が吹き、花が香り、鳥がさえずり、土や草の匂いが鼻をくすぐり、太陽の光が降り注ぐ、そんな世界なのです。わたくしはここから離れる事が出来ない身ですが、亀よ、お前も何度か行った事があるのでしょう?」
 亀は乙姫の傍らに佇んだまま答えた。
「はい、その通りでございます。私の他にも地上に顔を出す者は少なくありません。ただ、私は運悪く漁師の子供達に捕まったりも致しましたが」
 そうでしたね、でもそのおかげでわたくしはあの御方と出会うことが出来たのですから感謝しています、と乙姫は亀に向かって少し微笑んだ。
 しかし乙姫の顔に微笑みが浮かんだのは一瞬の事で、それはすぐに消え去ってしまった。
「ですがわたくしの住むこの場所では、どう足掻いても日の光は差さず、風も吹かない。鳥がさえずる事もなければ、土や草の香りがする事もないのです。鯛や平目を舞い踊らせ、ありとあらゆる海の幸を集め、連日宴を催しても、あの御方の故郷には敵わなかった。そして、あの御方の望郷の念は日々募りに募って、ここに来てから三年目の今日になってとうとう帰ってしまわれたのです…」
 乙姫は衣の袖をこぶしと一緒に、強く握りしめた。
「乙姫様、故郷とは遠くにありて思うもの。豪華な御殿も、どんなに華やかな宴も生まれ育った故郷のものには敵わないのです。私も地上よりはこの竜宮の方が幾らも心地よい。そのようなものなのです」
 地上に思いを馳せておられるのか、それともあの御方の事を想っておられるのか、あるいはその両方か。亀は、そんな乙姫をなだめるように言った。
「ええ、それは分かっています。ですから先ほども言った通り、わたくしはあの御方がいつか地上に帰ってしまうのではないかと薄々感じていました。ですがわたくしの危惧は、それとはまた違うところにあるのです」
「…と仰いますと?」
 亀は思わず顔を上げ、今までに見た事がないほど切ない顔をしている乙姫の横顔を見た。
 見ている亀までもが同じ気分、同じ顔にさせられるような表情だった。
「あの御方がここで過ごした三年間、それは地上の時間にすると三百年もの年月になるのです。…亀よ、わたくしがあの御方にお渡しした玉手箱の中身を知っていますか?」
「いいえ、存じ上げません」
 亀は慌てて顔を伏せると、正直に答えた。
 主君の持ち物の中身を詮索するなど、とんでもない。
「そうですか…亀よ、よくお聞きなさい。玉手箱の中には、あの御方がここで過ごした三年間、つまり地上の時間で三百年分にもなるあの御方の『時間』が詰め込まれているのです。『老い』と言っても良いでしょう」
「何と。あの玉手箱にはそのような物が…」
 乙姫は左右に首を振った。それに合わせて、黒く長い髪がゆらりと広がる。
「あの御方が地上に帰ったところで、三百年もの年月が経ってしまっていては、既に帰るべき家はなく、迎えてくれる筈の家族、親しかった村人たちも、もういない事でしょう…。三百年前と同じ場所にある村とはいえ、後に残っているのは見知らぬ人々ばかり。そこにいきなりあの御方が現れて、果たしてその村の一員として受け入れてもらえましょうか?」
 亀はそれを聞き、いたたまれない気持ちになった。
 確かに、どこからともなくいきなり現れて三百年も前の事を尋ねてくる男がいれば、村人は不審に思い警戒するだろう。その上、三百年も経っていれば勝手もずいぶん違う。突然現れた挙動不審な若者の噂はあっという間に広がり、そうなれば待ち受けているのは良くて村八分、悪くて迫害…。
 自分を助けてくれたという恩義のある相手がそのような事になるのはどうにも寝覚めが悪い。
「乙姫様…」
「分かっています、亀よ。だからわたくしはあの御方に玉手箱をお渡ししたのです…。もしもわたくしが危惧したとおりの事が起きたとして、絶望したあの御方は迷わず玉手箱を開ける事でしょう。そうすればたちまち煙と化した年月があの御方に降りかかり、煙が晴れる頃にはあの御方は三百年の年月を過ごしたにふさわしい老人の姿となっているでしょう。そしてわたくしの事も、竜宮の事も全て忘れ去ってしまうのです。そうすれば、少し変わっているだけの老人として辛い思いをする事もなく静かに、穏やかに残り少ない余生を過ごせるはずです」
 乙姫はその後に、それでもわたくしたちの事を忘れられてしまうのはとても淋しいし、悲しい事ではあるのですけれどと付け加えた。
「乙姫様…そこまで考えていらっしゃったとは」
 亀は感動した様子で乙姫を見上げた。
「あの御方の事を、本当に愛していらっしゃったのですね…」

 しかし乙姫は晴れない顔のまま、喋り続けた。
「…もう少しだけ聞いておくれ。今話したのは間違いなく、嘘偽りのない私の本心です。ですが…」
 そこまで言うと、乙姫の両目からはらはらと涙がこぼれた。
 今までこらえ続けていたものがこらえ切れなくなったという感じだった。
「乙姫様、いかがなさったのですか!?」
 亀は驚きのあまり声を荒げた。
「亀よ…あの御方が地上に帰って、幸いにも何事もなく村に受け入れられたとしたら…、」
 乙姫は涙をこらえながら続けた。
「そうして、もしも村の娘と結婚して幸せに暮らすような事があれば…」
「…!!」
 亀は、ようやく乙姫の言わんとするところを理解した。
「わたくしは…っ、もしかしたらわたくしは、本当は先ほどの理由などではなく、こうなる事を恐れてあの御方に玉手箱を渡したのかも知れません…あの御方を、他の女に奪われるのが怖くて…っ!」
 嗚咽を押し殺し、こぼれる涙を拭おうともせずに話し続ける乙姫の姿は痛々しい以外のなにものでもなかった。
「乙姫様…」
 亀はそれ以上は何も言えず、ただ声を殺して泣き続ける乙姫の背中をさすり続けた。
 日の光も差さない紺色の部屋に、女の啜り泣きがいつまでも響いていた。



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浦島太郎を切なく解釈してみました・・・

tamakivvvstory at 21:02オリジナル   この記事をクリップ!
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