『いつまでもデブと思うなよ』第7章が『ダイやめ』をマネているというご指摘に答えて
このところ、ただ今ベストセラー中の『いつまでもデブと思うなよ』(岡田斗司夫著・新潮新書)の内容の一部が、拙著『ダイエットやめたらヤセちゃった』をマネしているという指摘や噂が相次いでいたので、私の知る限りの本当のところをお話ししましょう。私は岡田さんとは面識がありませんが、偶然にも関係者さえ気づいてなかったコトの真相をある程度知っていたものですから。
事の経過をわかりやすくするため、時系列に沿ってドキュメントします。
①今年の4月、私はネットサーフィン中に岡田氏によるブログ「レコーディング・ダイエットのススメ」に遭遇し、以下のようなコメントが書かれているのを発見しました。
(ブログ読者が拙著『ダイエットやめたらヤセちゃった』について紹介した書き込みに応じて)
>2007年4月15日
>この本、読みました。たしかに使えますね。この方法で痩せられる人も多いと思います。
>僕は「自分の内臓と対話する」のがあんまり得意ではありません。
>というより、超肥満タイプの人は「肉体の感覚否定」と「口内と舌の感覚重視」の結果、
>太ってしまうんではないかなぁ、と考えています。
>この本はすごく面白く、ためになったのでいま娘に貸しています。
http://putikuri.way-nifty.com/blog/2007/04/post_d256.html
この時は、“この人も読んでくれてるのか、役に立っているようでよかった”と好意的に受け止めていました。
②その後、岡田氏は『いつまでもデブと…』の執筆を進められ、今年8月に出版されました。
③私も“いつか読んでみようか”と興味を持ち、検索したところ、アマゾンレビューに以下の投稿がありました。
>2007/9/4
>(前略)また読んでいて感じたのですが、多分筆者の岡田さんは去年出版された夏目祭子さんの
>「ダイエットをやめたらヤセちゃった」を読まれたんだと思われます。
>本文中の具体的なことが、ほぼ同じ内容でこの2冊は重なっています。
>この「いつまでもデブと思うなよ」を読んでもいまいち納得できないゾという方は、
>「ダイエットをやめたらヤセちゃった」をあわせて読まれると、すべてストンと納得できると思います。
私は①の件↑↑がありましたので、それがレビュアーの当て推量でなく事実であることを知っていましたが、事情を知らないはずの第三者が見てそれとわかるとは、どの程度似ているのか??と確認する必要を感じました。
④そう思いながらも後回しにしていますと、2ちゃんねるにて『ダイやめ』との酷似を指摘する書き込みがあったというお話や、拙著の読者の方からも直接私へ「この本の第7章は『ダイやめ』とカブっています」という指摘がありましたので、遅ればせながら一作日、モンダイの第7章「再加速・体の声を聞く」を読んでみました。
率直に言って、驚き呆れるばかりでした…(いや~、これホドとは!)
この章は、『ダイやめ』第4章「体の声を聴き取る力を磨く生活術」《食事編》の
具体的方法やコツなどをそっくり流用して書かれています。
もしかしてこれは、ウチの講座の受講生が書いた体験レポートだろうか…?と錯覚するぐらいでした。
★もちろん、『ダイやめ』読者の皆さんはご承知の通り、『いつまでもデブと…』の看板である食事記録やカロリー計算などに関しては、私の主張とは異なる、別物のお話と言えます。
しかし、その中で異色と言えるこの第7章は、岡田さんご自身が①のコメントの中で
《僕はあんまり得意ではない》とおっしゃっていた、太っている人が共通して鈍くなっている
《自分の内臓と対話する》手法についてカバーするものですから、
ご自身の著書に足りない部分を『ダイやめ』で得たノウハウによって補完されたわけです。
それならば、この章は『ダイやめ』を参考にしたという事実を、本文中もしくは後書き中にでも添えるのが、物を書く人間としての最低限の常識ではないでしょうか。
…なにか、書きながらゲンナリするものがあります。
★もちろん、生きるのに役立つ知識や知恵は、人類みんなの共有財産とも言えますから、いちいち発見者の名札など付けなくても、どんどん広がればいいでしょう。
特に、伝統的な研究の積み重ねで出来ている、学術的な世界での知識や理論はそうなりやすいですよね。
けれど、誰かがその人独自の心と頭を使い、エネルギーを注いで導き出したアイデア体系や思考法には、それで自分が良い影響を受けたのなら、発想した人への感謝をこめて、同じ事を語る時にはその人の名か作品名を挙げるのが、人としての当り前の礼儀でしょう。
私はいつもそうしています。
たとえそれが、書店に並ぶことのない、手作りブックレットの筆者でもです。
そうでなければ、自分が恥知らずな人間になってしまいますから。
良い発想をいただけた相手への恩義は欠かしたくありません。
(余談ですが、米国のノンフィクション作家たちはこの点、非常に礼儀正しいですよね。一例を挙げれば、私と同趣旨の主張をされているジェニーン・ロス女史の『食べ過ぎることの意味』では、後書きに“このアイデアは○○氏からインスピを得た”的な謝辞が事細かにズラズラ出てくるので驚きました。米国が権利関係にキビしい訴訟社会だからなのか? それとも女史の律義さの表れなのか?)
★さて、このお話はこれだけでは終わりません。
これもまた不思議なめぐり合わせなのですが、私も既に新潮社さんとおつき合いがありましたから、岡田さんがこの章を書くにあたって『ダイやめ』を手本とされた旨をきちんと明記していただけるようお願いしているところです。
結果はあらためてご報告しますね。
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