中島岳志さんが今回、対談したのは元文部官僚の寺脇研さん。一部で批判を浴びた「ゆとり教育」のスポークスマンとして有名だったが、実は映画評論のプロでもある。しかも、官僚時代から日本と韓国映画界との交流をけん引してきた実績がある。議論は、韓流ブームの背景に始まり、映画に見るインド社会の変化、日本の教育改革批判、あるべき政府の規模にまで広がった。【構成・鈴木英生、写真・三浦博之】
◇苦悩まで共通する時代--中島さん
◇まず韓国との関係深めたい--寺脇さん
中島 寺脇さんは最近、韓国映画のご本を出された。韓流は、すっかり日本に定着しています。
寺脇 たとえば昔、フリオ・イグレシアスやブルース・リーが人気になっても、その母国の歴史や現状にまでは興味を持たれませんでした。しかし、韓流ブームはブームで終わらず、学習に結びついた。発端はペ・ヨンジュンだけれど、それを機に韓国語の学習者が飛躍的に増え、韓国料理や韓国の歴史を学ぶ人も出てきました。
韓流ブームの下地になったのは、87年の臨時教育審議会答申が盛り込んだ生涯学習というテーゼです。つまり、いつでも、どこでも、誰でも学べる社会を作るという発想です。
つまり、韓流ブームは従来の知的トレンドとは真逆です。それまでは都会から地方へ、若者から年配へ、男性から女性へでした。韓流ブームは、地方に視聴者の多い衛星放送から起きて、年配の女性に若い人が追随しました。
生涯学習社会化によって、知の世界が大衆化しつつある。象牙の塔の中の人たちが恩恵的に知識を施すのではなく、象牙の塔から末端まで、なだらかにつながる社会ができつつあると思います。
中島 知の世界の変化は、僕の専門分野である地域研究でも起きています。この分野はかつて、自分たちと違う他者をどう理解するか、が問われた。
でも、僕がインドに関心を持ったのは、「同じ苦悩を持つ人たちがいる」と思ったからでした。ヒンズー・ナショナリストといわれる右翼的な若者の悩みは、僕が大学院に行った理由とほぼ同じでした。就職もいいけど、精神的に豊かな生活をしたいと。苦悩までもグローバル化している。同時代的な悩みを持つ他者をどう理解するかが、今の地域研究の課題です。
寺脇 よく、「なぜ、韓国とばかり交流するのか」と聞かれますが、隣国で、かつ、共有できる部分が多いからです。民主主義で人権重視で……。これだけだと「日米は同じ価値を共有している」みたいな話ですが、日韓は国内に大きな民族対立がないとか、宗教的寛容さ、非核保有国といった点でも同じです。こうやってみると、まずは韓国との関係を深めたいという私の考えがご理解いただけると思う。
それと、日本が史上、もっとも迷惑をかけた国は韓国でしょう。故河合隼雄・元文化庁長官が向こうの文化大臣と対談したとき、「日本は植民地支配で、鉄道を敷いたり学校を作ったりインフラ面で役に立つこともした。でもそれを帳消しにして余りあることをした。それが名前と言葉を取り上げたことだ」と。でも、その過去を乗り越えられれば、世界的にも国家間の対立を乗り越える道筋が生まれるのではないかと思います。
中島 これまで日本は、非常に演繹(えんえき)的にアジア諸国を消費してきた。事実より、そうあってほしい他者を求めた。インドなら、悠久の大地か貧しくても目の輝いている子供たち。日本に欠落しているものを埋める、都合のいい他者を求めた。僕もそんな感覚がありましたが、行ってまず目に入ったのはマクドナルド(笑い)。
寺脇 しかも、そういう欠落を埋めるのは、インドや中国。両国は歴史のある大国で学ぶべきものがあるが、韓国は小国だと。
中島 三国一の婿とか名山と言うときの「三国」は日本、中国、インドです。その幻想で中国やインドを見てしまう。新たなインド像もIT大国とか一面的で、しかも、中国への反感がそのままインドびいきになっている。
これは新しい消費の仕方にすぎない。それより大事なのは、今のインドの苦悩です。豊かさゆえの空虚さに直面して、自殺率が高くなり、買い物依存症の女性も出てきた。アメリカから逆輸入されたヨガもブームです。インテリア雑誌には「週末はインド風に」というインド風別荘の宣伝があったり。日本の和ブームと同じですね。
寺脇 中島さんのご本で最近の社会派インド映画を知り、興味を持ちました。私は映画を通して、異質さではなく、自分が生きる世界とつながるものを見たいのです。だから、アメリカの名作映画より、日本の映画ならへたくそでも見たいと思ってきた。02年ごろから、韓国は日本と同じ苦悩を抱えていると感じて、韓国映画を見るようになりましたが、同じ文脈でインド映画も見たいと思えてきました。
中島 以前、僕はインド映画をあまり見ませんでした。つまらないから。長い間、勧善懲悪でアクションとダンスと恋愛の大団円ばかりでした。ところが最近、ハッピーエンドではない映画が出てきた。果敢に社会を描き始めた。
寺脇 そんな映画を日本人がどんどん見れば、日本のインド観はかなり変わる。そうすれば、日印関係も変わると思います。
中島 それと、寺脇さんといえばゆとり教育ですが。ゆとり教育世代が大学に入り始めて、大学の雰囲気が変わりました。彼らは議論や質問で委縮しない。たとえば「ねえ先生、インドって本当に毎日カレーを食べてるんですか?」と。「そんなこと聞くなよ」とも思うんですが、おもしろい。周りの教官と話しても、学生がよくなったという声が多い。今後は、その変化を大学教育でどれだけ良い方向に向けられるかです。
寺脇 ゆとり教育は相当批判されましたが、ねらいは議論ができる子供を育てることでした。自分の興味に沿って何かを言う、好奇心の強い子供。たとえばインドって聞いた瞬間に「えっ、どんなところ?」と興味を持つような。おっしゃるような変化は、どの大学でも起きていると思います。
あと、ゆとり教育批判の前提にある「日本の学力が世界一でなくてはならない」との主張は疑問です。日本社会が十分成熟している今、「韓国に勝たなくてはならない」とか「インドに負けたらどうするか」という発想からは抜け出ないといけない。日本の教育インフラをアジアの他国にうまく配分すれば、全体の教育水準が上がって欧米に拮抗(きっこう)できるといった考え方なら、まだ分かりますが。
◇問題は政府の大小なのか?--中島さん
◇あるべき政府像の提示を--寺脇さん
中島 昨今の教育改革についてもご意見を。僕は、安倍晋三前首相らの教育観が、税金を効率よく納めさせるために愛国心を持って働く人間を作ることだったと思います。
寺脇 教育再生会議の議論は支離滅裂以外の何物でもありません。安倍さんたちは、要するに富国強兵時代の教育をしたかったんですね。百歩譲っても、高度経済成長の時代にあこがれた。だから、彼は映画「ALWAYS 三丁目の夕日」とそこに描かれた社会が大好きなわけです。ですが、その発想は次の段階で「戦前の社会こそが良かった」となりかねない。
もちろん今、それを正直に言っても通らない。そこでグローバリズムを持ち込んだ。でも、基本的に、新自由主義と美しい日本は絶対矛盾している。だから、安倍さんの教育論はものすごく非現実的だったんです。同じ保守主義者でも中曽根康弘さんは現実主義だから、彼の教育改革で、そんなにむちゃくちゃなことはなかった。
中島 安倍前首相的な新自由主義は非常に単純ですよね。ただ政府を小さくして、民間に丸投げするわけですから。
寺脇 ついでに言うと90年代には、小さな政府で財政再建をする傍ら、高福祉もやるという発想でした。小渕恵三さんまではそうだった。それが、小泉さんのときに高福祉が経済成長にすり替わった。今後は、小さな政府でも高福祉を、に戻さないといけない。
中島 僕もほぼ同じことを思います。大きな政府と小さな政府の二分法は間違っている。問題は大きすぎる政府と小さすぎる政府であって、その間にある適正規模を時代に応じて考えるべきです。
寺脇 その通り。官僚制は、そこをきちんと詰めれば機能するんです。今、日本の官僚制がうまく機能していないのは、どんな政府の規模が求められているのか、どう振る舞えばいいかが分からないからです。私たちは90年代、小さい政府としてのあるべき姿を模索したけれど、小泉・安倍両政権で政府像がブレてしまった。まずは、その政府像を立て直すことから始めるべきだと思います。<毎月1回掲載します>
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◇対談を聞いて
本文に入らなかった話を少し。寺脇さんは、「官僚は究極の現実主義者だ」と言いつつ、日本で余った教育インフラはもっと留学生が使えばいいし、日本の実業系高校生も、アジアで活躍できる機会を増やすべきだ、などと主張した。「今ある資産を有効活用せよ」との発想自体は現実的だが、そこで繰り出す提案は、やすやすと国境を乗り越える理想主義者のもの。この組み合わせの妙が、彼の魅力のようだ。【鈴木英生】
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■人物略歴
◇なかじま・たけし
北海道大准教授(アジア研究)。1975年生まれ。著書に『パール判事』など。
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■人物略歴
◇てらわき・けん
京都造形芸術大教授。1952年生まれ。東大卒。旧文部省職業教育課長、大臣官房審議官、文化庁文化部長などを歴任。退官後も教育、文化問題で発言。高校時代から映画評を執筆。落語にも造詣が深い。著書は『それでも、ゆとり教育は間違っていない』『韓国映画ベスト100』など。
毎日新聞 2007年10月24日 東京夕刊