よく、掲示板とかに「また長文になってしまった」なんて書く人がいる。
しかし、文章、少なくともこういう場所に書かれる文章は相手にモノを伝えるためにあるわけで、それが長文になるのかどうかは、あまりたいした問題ではない。
要するに、長文にしなければ伝わらないことであれば、長文にならざるを得ない、ということだ。
でも、「長文」が、なぜか、悪いというか、後ろめたい感じがする、というのはないわけではない。それは読む相手が、理解するのに多くの労力と時間を食うから、それが迷惑になる、ということもあるかも知れない、とこころを砕くからだ。
まぁ、それはわかるのだが、長文になるときはなる。これはしょうがない。
世の中は、結構複雑でわかりやすいものではない。それをちゃんと説明しようとすると、長くなるのはしょうがないだろう。長い文章を読んだり書いたりすることを疎めば、その人は社会から落伍することだってある。少なくともある地位以上にはなれないだろう。頭を使う仕事はできないことだけは確かだ。
そして、いま日本人の多くの人が、「わかりやすいもの」だけを求めて、やがてみんなバカになっていくような、そんな感じがする。
わかりにくくたって、それが真実であればいいじゃないか。
わかりにくいものを理解し、実践しなければ世の中は動かせない。
わかりやすいものは心地よく、わかりにくいものは疎まれる。
でも、わかりにくいものへの挑戦がなければ、人は人たりえない。
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