社説(2007年10月23日朝刊)
[思いやり予算]
原則踏まえた見直しを
思いやり予算をめぐる日米協議が難航している。
光熱水料などの大幅増額を要求する米側に対し、日本側は難色を示している。基地従業員の手当削減案を示した日本側に対しては、米側が難色を示すという展開だ。
平たく言えば、総額を減らしたい日本側と増額を図りたい米側が、お互いの主張をぶつけ、妥協点をどこに求めるかで腹の探り合いを演じている、ということだろう。
それにしてもこの構図は分かりにくい。一体、誰が誰の味方なのか。
在日米軍の駐留経費負担(思いやり予算)について定めた日米特別協定は来年三月末で期限切れを迎える。現在、日米の間で進められているのは、新協定案づくりのための交渉だ。
思いやり予算は、地位協定で日本政府の負担が義務付けられていないにもかかわらず、日米同盟の安定維持のために支出しているもので、(1)施設整備費(2)従業員の労務費(3)在日米軍の光熱水料(4)訓練移転費、に大別される。
特別協定の対象になっているのは、労務費、光熱水料、訓練移転費の三項目。政府は今回初めて、労務費の削減案を打ち出した。
日本側が負担している基本給、諸手当などの労務費のうち、国家公務員の基本給に10%を上乗せしている「格差給」や「語学手当」などを削減する意向だ。
財政事情が厳しく国民に負担を転嫁するような施策が相次いでいる中で、思いやり予算だけが聖域であっていいわけがない。
日本の「ホスト・ネーション・サポート」(駐留国受け入れ支援)は世界の中でも突出しており、住民感情からしても見直しは当然である。
ただ、「格差給」を削減しても米側が補てんする必要がないから「日米同盟に傷がつかない」(政府高官)という姿勢は、あまりにも安易に過ぎないか。
「格差給」という名の手当がほんとに必要で妥当な手当かどうかについては、確かに議論の余地がある。
その一方で、長期にわたって「格差給」が支給され、生活給として固定化されてきた事実も重い。
「格差給」を問題にするなら、思いやり予算削減の文脈ではなく、もっと別の場で議論し、国民の理解が得られるような結論をだした方がいい。
政府は、米軍のグアム移転経費を肩代わりすることになっているが、その額は膨大である。むしろ今こそ、地位協定で定められた米軍負担の原則に立ち返って、負担の見直しを進めるべきである。
社説(2007年10月23日朝刊)
[学テの結果公表]
序列化招く学校別成績
全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の学校別成績は公表しない方針としている市町村が、県内四十一の全市町村にまたがることが沖縄タイムス社のまとめで分かった。実施直前の市町村教委アンケートでは温度差はあるが、八教委が公表を考えていたのに比して、教育現場ではより冷静な対応を取る傾向が浮き彫りになった。
各市町村ともやはり「競争や序列化を助長する」懸念を一掃できないようだ。無理もない。テストには全国の小六、中三の計二百二十万人以上が参加。学校別の成績を公表すれば序列化がなされ、学校間、地域間の競争が過熱することは容易に想像できる。
過度の競争は子どもたちから共に学び合い、共に教え合う心を奪い、豊かな人間関係をはぐくむ土壌を奪ってしまう。義務教育の機会均等が失われてしまっては何のためのテストか分からない。保護者の経済力などによる格差が深刻化しつつある現状に、さらに拍車を掛けてしまう。
しかし少子化傾向とも相まって子どもを取り巻く環境は厳しい。学齢期の子を持つ親が自分の子どもをできるだけ成績のいい学校に行かせたいと思うのは自然な感情だろう。中には情報開示請求をしてまでも、と考える親も現れるに違いない。仲村守和県教育長は情報開示を求められても、不開示とする方針を示している。行政が社会の動きをどう制御するか、教育行政への将来展望の深さと力量が問われる。
文部科学省はテストの狙いを学力の維持、向上を図るため各地域の学力を把握、分析する必要があるとしている。教育の機会均等をいかに図るか。自治体が、成績不振の学校に人員と予算を重点配分するなどの施策を取るための指標にするよう方向付けるのは国の責務だ。
間違っても「できる子」と「できない子」の二極化を招いたり、テストの結果のいい学校に「学力のある子」が集中、学力レベルが低いと判断された学校が敬遠されるような事態を招いてはいけない。
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