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「がんばろう」作曲者ゆかりの合唱団、50年記念し音楽会…11月10年ぶりの記念音楽会に向け、熱の入った練習を続ける団員たち(福岡県大牟田市の中央地区公民館で)
日本の代表的な労働歌「がんばろう」の作曲者・荒木栄さん(故人)らがつくった福岡県大牟田市の「大牟田センター合唱団」(浦田伊佐雄団長)が今年、創立50年を迎えた。 最盛期には炭鉱マンら100人以上の団員を抱えたが、石炭産業の衰退などで年々減少。幾多の存続の危機に直面したものの、11月、10年ぶりに記念音楽会を開くことになり、半世紀にわたって歌い続けてきた人生の“応援歌”を披露する。 同市出身の荒木さんは、三池炭鉱労組(2005年4月解散)の組合員だった。1950〜60年代、労働闘争の主張や平和への願いを合唱を通じて訴える「うたごえ運動」に参加する傍ら、炭鉱労働者らを励ます歌を数多く作曲した。 「がんばろう」(森田ヤヱ子作詞)は、旧三井三池炭鉱を舞台に繰り広げられた三池争議(1959〜60年)で生まれた。拳を振り上げながら闘争完遂と団結をアピールする歌が、全国の労働争議や学生運動にも広がり、安保闘争でも歌われた。今も労働歌として愛唱されている。 合唱団は57年、炭鉱労働者や三井化学の従業員らが参加して発足。当初45人だった団員は数年で100人を超えたが、62年に荒木さんが38歳の若さで病死。63年には、1297人の死傷者を出した旧三川鉱炭じん爆発事故が発生して団員も犠牲になった。炭鉱を離れる人が増え、三井鉱山や三井化学なども合理化を進めた結果、団員は減った。 元団長の原守男さん(76)は「多くの団員が辞めざるを得なくなり、『これが宿命』と受け入れるほかなかった」と振り返る。85年ごろには団員はわずか6人になり、各パートの担当者が1人ずつしかいない事態になった。 だが、「解散したら復活は難しい。少なくても歌い続けなければ」と週1回の練習を続けた。90年ごろになり、子育てが一段落したり、退職したりしたかつての仲間が戻ってくるようになり、97年には創立40周年記念音楽会を開催。現在、50〜70歳代の男女20人が、混声合唱団として練習を重ねている。 50周年記念音楽会は11月1日、大牟田文化会館で開かれる。歌謡曲や童謡などのほか、「仲間のうた」など荒木さんの曲を中心に歌う。元炭鉱マンらと一緒に炭鉱労働者をうたった「地底のうた」も披露。要望があれば、アンコールなどで会場と一体となって「がんばろう」を大合唱することも検討しているという。 浦田団長(65)は、「いろいろな人に支えられ、何とか歌い継いでこられた。生きる力や喜びを感じる荒木さんの歌を、これからも歌い続けていきたい」と話している。 |
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