◇…スポーツ報知の購読申し込みは、フリーダイヤル 0120-16-4341(イロ ヨミヨイ) まで…◇
◇…過去の記事は、ご使用のプロバイダのデータベース・サービスをご利用ください。…◇
無敵王者・ポンサクレックを破った内藤は観客とともに勝利の感動に浸った [写真を拡大]
◆プロボクシング WBC世界フライ級タイトルマッチ ○内藤大助(判定3―0)ポンサクレック・ウォンジョンカム●(18日、東京・後楽園ホール) 見たか、亀田! "アンチ亀田ボクサー"の内藤大助(32)=宮田=が、10年以上無敗の無敵王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(29)=タイ=を3―0の判定で破る快挙を達成。自身を含む7人の日本人選手が8連敗中の王者のV18を阻止し、3度目挑戦でリベンジに成功。ポンサクレックの勝利を前提に世界戦を計画していた亀田興毅(20)=協栄=の思惑を打ち破った。国内史上2位の32歳10か月での高齢記録で“負け犬人生”に終止符を打った内藤陣営は、打倒・亀田を掲げた。内藤の戦績は31勝(20KO)2敗2分け。
涙はジワジワとあふれ出た。夢にまで見た緑色のベルトが腰に巻かれる。長男の亮くん(1つ)を抱くと、腫れ上がった内藤の両目は一気に潤んだ。「夢じゃないかと思ってる」3度目の対戦でのリベンジ。初戦の02年4月はタイでフライ級の世界戦史上最短の34秒KOで負け、インターネットの2ちゃんねるに「日本の恥、内藤と書かれた」。2度目は05年10月に日本で7回負傷判定負け。今回も絶対不利の下馬評だったが、96年10月から続く王者の連勝記録を「56」で止め、日本人として初めて土をつける大番狂わせを演じた。
引退覚悟の一番は、プロ11年の技術を駆使した。変則的な動きで王者にペースを握らせない。頭から低く入り、左ストレート、右フックの空振りを誘い、左右のアッパー攻撃を阻止。「やってきたことが間違いじゃないことを見せたかった」速い出入りとサイドに素早く動いて左右のフックを当て何度か王者をグラつかせ、3回には有効打で王者が左目上を切り、焦らせた。4回、8回の公開採点でも内藤が上回った。9回の猛反撃のピンチも気迫と勝利への執念で乗り切った。
同じ階級の「亀田兄弟」とは対照的。人気もない上、お金もない。“打倒・亀田”に名乗りを上げても無視された。試合前はテレビ局もスポンサーもつかず、公募する異常事態。周囲は内藤無視で王者の勝利を前提としたポンサクレック―亀田などの話題が先行した。「正直、このヤローって思った。でも、これで立場は逆転。今後が楽しみ」元イジメられっ子のボクサーとして名をとどろかせ、日本王者になったときには、新聞を持って応援にきた地元の友人に「いじめたヤツってだれ?」と聞かれ「おまえだ」と見返したことがあった。いまは、まさにその心境だろう。
初防衛戦は、王者側の条件として120日以内にポンサクレックと同門の同級1位ポノムルンレック(タイ)とタイでの試合のほか、もう1試合が内定。内藤陣営は「オプション(条件)を金銭で買い取る解決策もあるかもしれないが、アンチ亀田の手を挙げたからには、亀田戦もやりたい」と説明した。
苦難を乗り越え、大輪の花を咲かせた内藤。次は栄光の防衛戦だ。だれも見向きもしなかった存在から一気に中心人物へ。「奇跡の人」内藤が、ボクシング史に残る大勝利を収めた。
◆内藤 大助(ないとう・だいすけ)1974年8月30日、北海道虻田郡豊浦町生まれ。32歳。96年プロデビュー。98年全日本フライ級新人王。世界挑戦は02年4月に敵地タイで1回34秒KO負け。2度目は05年10月の後楽園ホールで、7回負傷判定負け。主なタイトルは日本フライ級王座、東洋太平洋フライ級王座。身長163センチの右ファイター。
(2007年7月19日06時02分 スポーツ報知)