記者の目

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記者の目:中国の公害「がんの村」=田倉直彦

 中国で「がんの村」と呼ばれている農村をこの夏、訪れた。公害が原因とみられるがん患者が多発している同様の村は、全土に20~50カ所もあるという。急速な経済発展のひずみといえる公害の深刻化に、中国政府も環境保護対策を前面に打ち出すようになった。しかし、公害に対する知識や危機感がどこまで国民に浸透しているのか、心もとなく思えた。日本は4大公害などの苦い経験から多くの教訓を得た。環境技術の輸出だけでなく、こうした蓄積を伝えることで、意識改革を進めることが大切だと感じている。

 中国の環境汚染の深刻さを示すさまざまな指標がある。OECD(経済協力開発機構)によると、河川の3分の1、湖沼の7割が高度に汚染され、中国科学院の調査では、全耕地の約5分の1(約20万平方キロ)が重金属で汚れ、毎年1200万トンの食糧が汚染されている。被害は都市部に比べ貧困な農村部でより深刻だという。私が訪れた広東省の上ハ村と涼橋(りょうきょう)村も、そんな村の一つだった。

 約30年前、鉱山の操業が始まった直後から、カドミウムや鉛などの重金属を含む排水や汚泥が川に流入。赤茶色の川には、魚どころか水辺に蚊さえいない。水田も井戸水も同じ色だ。「あの家でも、この家でも、がんで死んだ人がいる」。胃がんを患う農民に、見える範囲の家々を指さされ声を失った。

 村を案内されながら頭をよぎったのは、富山県の神通川流域で起きた4大公害病の一つ、イタイイタイ病のことだった。ここでも鉱山から流れ出した排水に含まれるカドミウムが、農民の体をむしばんだ。腎臓障害や全身骨折などを引き起こし、患者は「数千の針で刺されるような痛み」に襲われながら亡くなった。

 30代の私は、最もひどかった高度成長期のころの公害の記憶は鮮明ではない。しかし、イタイイタイ病の取材の中で、高齢の被害住民からかつて神通川流域を襲ったすさまじい汚染の状況を聞いていた。だからこそ、同じ過ちが繰り返されていることに驚き、背筋が寒くなる思いがした。

 「がんの村」で家族を亡くし、農業による生計も立たず、村を出る金もない、明日が見えない状況に追い込まれた人々。その多くが、公害と健康被害とに因果関係があると確信していた。しかし、「私たちにはそれを証明できない」「公害は仕方ない」とあきらめていた。行く先々で、涙にくれる人々の姿を見て、私も絶望的な気分になった。

 だが、ふと思った。この状況は、かつての日本の公害被害地でも同じだったのではないか。ならば私たちの経験が解決へのヒントになるはずだ、と。

 40年前に公害病と認定されたイタイイタイ病問題では、地元開業医の萩野昇さん(故人)らが、早くからカドミウムとの因果関係に着目し、訴え続けた。次第に住民も救済を求める声を上げ、被害の悲惨さが社会に知られ、世論が喚起された。イタイイタイ病だけでなく、日本には公害被害者の体験とともに、医学、農学など膨大な研究成果がある。また、中国では環境汚染についての裁判が毎年、25%も増加しているという。この面でも、日本の公害裁判の記録が力になるはずだ。

 環境問題に取り組む研究者や弁護士は中国にも少なからずいる。しかし、口をそろえ嘆いていた。「日本の公害について知りたいのに、中国語の資料はほとんどない」からだ。

 日中双方の企業にメリットの大きい公害防止技術や設備などは、日本から盛んに輸出されている。15日に始まった中国共産党大会では、経済成長至上主義の政策から、環境汚染の改善など調和の取れた発展を目指す方針が示された。しかし、あまりに広大な中国で、地方も含めて徹底するのは容易なことではない。

 公害は環境が汚染されるだけでなく、人体に深刻な被害をもたらし、世代を超えて影響しかねない。その本質的な問題点が理解されなければ、いくら笛を吹いても、国民は我が身のことと受け止めにくいだろう。

 有害物質を含む中国製品・食品の問題や汚染大気の越境公害など、海外からの中国批判はかつてないほど高まっている。しかし、ただ非難の合唱に加わるのではなく、現地を見た者の一人として、1本でも多く記事を発信し、日中の研究者や被害者らの交流を橋渡ししていきたい。回り道のようにも思えるが、結局は中国の人たちが自ら意識してこそ、解決につながると信じているからだ。(大阪地方部)

毎日新聞 2007年10月19日 0時14分

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