JAL_
   

皇太子殿下ご来伯決まる
 来年六月、記念式典にご出席 宮内庁発表雅子さまは同行されず



 【東京発】十六日、宮内庁は来年二OO八年の六月十八日の『ブラジル日本移民の日』に行われる日本移民百周年記念式典・行事に皇太子殿下がブラジルを公式訪問すると発表した。日本移民百周年に当たりブラジル政府から招待を受けていたもので、皇太子殿下のブラジル訪問は浩宮時代の昭和五十七年(一九八二年)に訪伯以来二度目。同国への日本移民は一九O八年六月十八日、サントス港に笠戸丸が入港した日からはじまったといわれ来年、ちょうど百周年を迎えて、日系コロニア挙げての祝賀と同時に、ブラジル政府も来年を『日伯交流年』と位置付けて、日伯両国間に新たな友好関係の構築を図ることを主眼に、連邦政府主導の百周年記念行事を首都ブラジリアで挙行することになっている。皇太子殿下はブラジリアをはじめサンパウロ、リオ、パラナ、ベレンなどの各地で行われる式典・行事にご出席される予定。なお、皇太子妃の雅子さまについては、遠隔地で移動が長時間にわたるということや式典・行事も相次ぐことで、担当医師の判断もあり、同行が無理とされ、訪問は見送られることになった。正式決定は閣議での了解を経て発表されるほか、訪伯の時期など詳細は今後詰めていくとしている。



 日系、各界喜びの声



 【ブラジル日本国大使館・島内憲特命全権大使】



 皇太子殿下の当国訪問を心より歓迎いたします。来年は各地で移民百周年イベントが開かれますが、皇太子殿下の訪問で両国の友好関係が一層深まることを願っております。各在外公館、ブラジル政府、現地在住の日本人、日系人、皆で皇太子殿下の滞伯が充実した日程となるよう最善を尽くし、お待ち申し上げております。



 【上原幸啓文協会長】



 皇太子殿下がブラジルの移民百周年にお見えになることは、大変光栄なこと。首を長くして待っておりました。(皇室のご来伯により)ブラジルと日本の交流が盛んになり、大きな礎(いしずえ)になることと思います。本当におめでたいことです。



 【松尾治県連会長】



 来年の移民百周年に皇室から、どなたかが来られると待っていたが、大変喜ばしいこと。皇太子殿下お一人というのは残念に思うが、健康上の問題となれば無理はできない。皇太子殿下お一人でもぜひ、百周年に来ていただきたい。



 【ブラジル日本商工会議所・田中信会頭】



 移民百周年記念に皇室の方がみえるられことは、日系社会が期待していたことであり、大変うれしいこと。皇太子殿下は、以前もいらっしゃっているので、我々は親近感を感じている。今回の決定はとても喜ばしいこと。商工会議所も日系社会の一員として、皇太子殿下を大いに歓迎したい。



 【援協・森口イナシオ会長】



 移民百周年という大事なイベントに皇太子殿下が来られるということは大変ふさわしいこと。ブラジル生まれの日系人としてよくいらっしゃいましたと歓迎したいと思います。援協が今日まで続けてこられたのは、長年にわたって日本政府から援助をいただいたおかげです。その感謝の気持ちを皇太子に伝えたいですね。



 【リオ日伯文化体育連盟・鹿田明義会長】



 九七年に天皇陛下ご夫妻が来られ、今回皇太子殿下がおいでになることは喜ばしいこと。できれば雅子さまも一緒にご訪伯していただければ、日系コロニアにとって最高だったんですがね。あと八か月あるから体の体調を整えられて、ぜひ一緒に来ていただきたい。皇太子殿下は若いからあちこち周ってもらえるのではと期待している。ぜひ一緒に食事でもしたいですね。



 【パラナ日伯文化連合会・西森弘志ルイス会長】



 国を象徴する方、次の天皇となる皇太子殿下のご訪伯といういい知らせを聞けて安心し、うれしいです。こんなに早く皇族訪伯の決定すると思っていませんでした。もちろんお体が一番大切ですが、できれば雅子さまも一緒にきてもらいたかったです。皇太子殿下にパラナの移民のこと、ブラジルに根付いた日本精神、日本人の功績を見てもらうチャンスだと思っています。心から歓迎したいです。



 ブラジリアのブラジル日本国大使館の広報官によると、八か月先の予定である皇太子殿下ご訪伯の発表がこの時期に行われたことについて、国会議員、地方議員、民間使節団などといった国民の訪伯機運を促進すること、そして移民百周年の予想以上の盛り上がりから発表が早まったのではと見ている。また、訪伯する皇太子殿下の訪問先については、サンパウロとパラナは訪れるだろうと予想している。



  皇太子殿下略歴



 一九六〇年(昭和三五年)二月二三日、それまでの皇居宮殿内の御産殿で出産を行う皇室の慣例によらず宮内庁病院にて誕生。母子手帳が発行された。

同日、賜剣の儀。

同年二月二九日、命名の儀。

 一九八〇年(昭和五五年)二月二三日、成年式(皇居宮殿・春秋の間)。

 一九八二年(昭和五七年)三月、学習院大学文学部史学科を卒業した後、学習院大学大学院に進学。専攻は史学・中世の交通・流通史。

 一九八三年(昭和五八年) ―一九八五年(昭和六〇年)、オックスフォード大学マートン・カレッジに留学。テムズ川の水運史について研究。

 一九八七年(昭和六二年)一〇月三日 ―一〇月一〇日、昭和天皇の病気療養・皇太子明仁親王の外国訪問が重なり、自身初、また皇位継承順序第二位の皇族としても初となる国事行為臨時代行を昭和天皇から委任される。

 一九八八年(昭和六三年)、 学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程を修了。

 一九八九年(昭和六四年)一月七日、父:明仁親王の天皇即位に伴い皇太子に。

 一九九一年(平成三年)二月二三日、立太子の礼(皇居宮殿・松の間)。

 (写真=来伯が決定した皇太子殿下)

 2007年10月17日付

戻る
Gateball
Challenge-brasil
Unitour
otimisticos
nippobrasilia
Alfainer
Camara-