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偽装 34年前から 赤福 社長会見

「認識不足」を謝罪 解凍まで工程化


「赤福餅」製造日偽装表示問題についての記者会見で頭を下げる赤福の浜田社長(中)ら(12日午後3時過ぎ、三重県伊勢市で)=加藤学撮影

 食品偽装が相次いで発覚する中で、お伊勢参りの土産物として全国的に知られる和菓子「赤福餅(もち)」の製造日が、30年以上にわたって偽装されていたことが明らかになった。創業300年の老舗「赤福」(三重県伊勢市)の浜田典保社長(45)は12日午後、記者会見して「認識不足だった」と謝罪したが、消費者からは「裏切られた」と怒りの声が上がった。一方、東海地方のデパートや駅前の売店などは「赤福餅」を一斉に撤去した。

 浜田社長は伊勢市内で記者会見し、偽装表示を認めたうえで、「認識不足だった。表示に対する考え方を改めたい」と頭を下げた。同社は同日、本店など直営21店舗の営業を中止するとともに工場の操業も停止。農水省の改善命令を受けて、期限の11月12日までに改善計画を提出し、判断を仰いだうえで、再開したいとしている。

 浜田社長らによると、赤福餅の一部は、箱に詰めた状態で、氷点下35度で急速冷凍し、通常は1週間、最大でも2週間以内に解凍する工程だった。解凍した商品は、箱の表に「謹製」の文字と、解凍日の入った印を押して出荷。解凍した商品は、再度冷凍しないように消費期限の後ろに「・」(ピリオド)を印字し、通常の商品と区別していたという。

 浜田社長は「解凍までが一つの製造工程だと考えていた。(農水省指摘の)製造年月日という認識とは齟齬(そご)があった」と釈明した。

 こうした工程は1973年、前社長の浜田益嗣(ますたね)会長(70)の了承のもとで始まったといい、浜田社長は「当時は生産態勢が貧弱で、欠品を出さないよう調整するためだった」と説明。ただ、出荷後に売れ残ったり、返品されたりした商品については、「冷解凍せずに、すべて焼却処分にしていた。再び商品として出ることは一切なかった」と強調した。

 また、原材料の重量順の表示について、浜田社長は「うかつなミスだった」と述べ、一連の行為についても、「保健所ともやりとりし、食品衛生上は問題ないと考えてきた」としたが、今後は商品の冷凍や解凍をやめることを明らかにした。

販売自粛相次ぐ

 赤福本社には12日朝、全国の百貨店や販売店などから「赤福餅の販売を自粛する」との連絡が続々と入り、社員らが対応に追われた。

 名古屋市内のデパートや売店などでは同日朝から、赤福餅の販売を自粛する店舗が相次いだ。JR名古屋駅構内に31店舗の土産物店がある東海キヨスクでは、全店舗で販売を中止。近鉄や名鉄なども駅構内などでの販売を取りやめた。

 また、中部国際空港(愛知県常滑市)内の「セントレア銘品館」でも店頭から姿を消し、同空港広報グループの久保明義リーダーは「地元の名産品の中でも1、2を争う人気商品だが仕方がない」と困惑していた。

 観光で伊勢市の赤福本店を訪れた和歌山県串本町、伊勢谷研一さん(78)は、「伊勢神宮に参拝に来たときは、必ず買って帰る土産だった。これからは買うのに二の足を踏んでしまう。名物の和菓子だけに、消費者のことをもっと大事に考えてほしかった」と憤っていた。

 また、JR名古屋駅にいた神奈川県小田原市の主婦萩原節子さん(54)は「赤福を買うつもりで土産屋に入ったのに、すごく残念」と話していた。

保健所「問題なし」回答 赤福側の照会時

 一方、三重県薬務食品室は、赤福が数年前、冷凍した製品の解凍日を「製造日」とすることについて問い合わせた際、伊勢保健所が「問題ない」と回答していたことを明らかにした。同室では「保健所の権限の範囲内で判断したもので、不当表示の可能性は考えなかった。農政当局に照会すべきだったかも知れない」としている。

 同保健所は9月19、25日、本社工場などを立ち入り調査し、その際、赤福餅について、解凍して出荷する工程があったことを確認した。ただ、冷蔵などの保管・運搬状況も適切で、合理的な根拠に基づいて消費期限が設定されているなどの理由で、安全性に問題ないと判断した。

 配送車内に残った製品を冷凍保存していた点についても、「保存状況などは適切で、食品衛生法上は問題ないと判断した」という。

加工食品 「製造日」表示義務なし

 赤福は、農水省から製造日偽装の指摘を受けたが、食品業界では、菓子類を冷凍・解凍させて店頭に並べる場合も含め、製造日ではなく、「賞味期限」「消費期限」を表示しているケースが多いという。

 加工食品の日付表示は、1995年に食品衛生法などの改正で、「製造年月日」の表示義務がなくなり、代わって「賞味期限」「消費期限」などの期限表示が義務づけられた。

 東海地方のある食品会社は、97年4月から製造年月日の表示をやめ、「商品の性格に応じて、賞味期限と消費期限を使い分けている」と説明。別の食品会社は「和菓子を冷凍したまま出荷し、店頭で蒸しており、消費期限のみを表示している」としている。

伊勢名物 観光に貢献

 赤福は300年前、伊勢神宮の内宮に通じる「おはらい町通り」に店を構え、1954年に会社組織となった。68年に浜田益嗣会長が社長に就任すると、近鉄、JRの主要駅や百貨店に店舗を出し販路を拡大、広告にも力を入れて「伊勢の名物・赤福餅」のキャッチフレーズで売り上げを伸ばしてきた。

 三重県が伊勢志摩を中心とした観光を重点施策に掲げる中、赤福は93年、おはらい町通りに江戸から明治時代にかけての街並みと建物を再現した「おかげ横丁」をオープンさせ、年間三百数十万人の客を呼び込むなど、観光産業に貢献。浜田会長は伊勢商工会議所会頭を務め、典保社長も県などが主催する観光シンポジウムに参加している。

 小川斌夫(よしお)同商議所専務理事は「大変残念。市民や観光客に迷惑をかけた」と話している。

2007年10月13日  読売新聞)
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