現在位置:asahi.com>社説

社説天声人語

社説

2007年10月17日(水曜日)付

アサヒ・コム プレミアムなら社説が最大3か月分
アサヒ・コム プレミアムなら朝日新聞社説が最大3か月分ご覧になれます。(詳しく)

集団自決検定―教科書会社は筋を通せ

 沖縄戦の「集団自決」をめぐる教科書の記述が、再び修正されることになりそうだ。

 来年度から使う高校の日本史教科書で、「日本軍に強いられた」という趣旨の表現が軒並み削られたのが、問題の発端だった。

 渡海文部科学相は、教科書会社から記述の訂正申請があれば、「真摯(しんし)に対応する」と語った。党派を超えて開かれた県民大会について、福田首相も「県民の思いを重く受け止めている」と述べた。

 沖縄の怒りの大きさを思い知らされたのだろう。首相や文科相が代わったことも大きいに違いない。間違った方針を転換することは歓迎したい。

 問題は、どのような考え方に立って、どのように改めるかである。

 沖縄の人たちの怒りを収めたいというだけで、教科書の内容を変えるのでは、ことの本質を見誤る。問われているのは、なぜ集団自決が起きたのかであり、「日本軍に強いられた」という表現を削ったのが正しかったかどうかだ。

 日本軍に集団自決を強いられたという住民の証言は数多くある。問題の検定の後、日本軍に強制されたという体験を新たに話す人たちも出てきた。

 渡海文科相は「真摯に対応する」というのなら、検定を撤回すべきだ。

 文科相は「政治的介入があってはいけない」といって、みずから動こうとはしない。しかし、いまだに不可解なのは、そもそも今回のような検定がなぜまかり通ったのか、ということだ。

 問題の検定は、安倍政権の下でおこなわれた。安倍氏は首相就任の前に、これまでの歴史教育や歴史教科書を「自虐史観」と批判していた。そうした雰囲気が教科書の検定に影響しなかったのか。

 いま文科省が描いている決着方法は、検定を撤回しないまま、教科書会社から記述訂正の申請を出してもらい、それを認めるということのようだ。

 だが、この方法で元の記述がきちんと復活するかどうか心配だ。

 それというのも、記述の復活は事実上、検定意見を撤回させることになるからだ。それは文科省が嫌がるはずだ。

 教科書会社は文科省の顔色をうかがって、あいまいな決着を図るようなことをすべきではない。検定に出した教科書は自信を持ってつくったはずである。記述訂正をするならば、検定前の記述通りに申請し、筋を通すべきだ。

 教科書会社の姿勢も問われていることを忘れてはいけない。

 文科省が記述の再修正を認めるということになれば、なぜ検定が間違ったのかも調べてもらいたい。

 文科省の教科書調査官がそれまでの検定方針をくつがえし、「日本軍の強制」を軒並み削除する意見書をつくったのはなぜなのか。専門家の審議会はどうしてそのまま通したのか。そうした一連の検定の過程をぜひ知りたいものだ。

亀田父子処分―あおった者の責任も重い

 ボクシング一家として関心を集めてきた亀田家の父親と兄弟2人に、厳しい処分が下された。

 フライ級の世界戦で目つぶしや首投げ、抱え投げと、プロレスまがいの反則行為を繰り返した挑戦者の大毅選手は今後1年間試合ができない。

 反則をそそのかしたり相手選手をおどしつけたりした父親は、選手に指示するセコンドの資格を無期限で停止された。今後の指導も禁じられる。同じく反則をけしかけた長男、興毅選手も厳重な戒告を受けた。

 米国では10年前、ヘビー級世界戦で相手の耳をかみちぎったタイソン選手が選手資格をとりあげられたことがある。今回はそれに準じる重大な反則だ。処分は当然だろう。

 ボクシングは、人が一対一で殴り合うスポーツだ。かつては死亡事故も少なからずあった。それを教訓に危険防止や闘う技術の研究を重ね、厳しい規則の網をかぶせて、スポーツとして練り上げてきた。単なる殴り合いとは明確な一線をひく歴史を積み重ねてきたのだ。

 その点で亀田父子の責任は重い。しかし、彼らの暴走を許し、あおったものにも目を向ける必要がある。

 まず、ジムだ。入門した大阪のジムは「父子鷹(おやこだか)」に目をつけ、デビュー前から売り出しに熱中した。その後、東京へ移ったが、そこでもジムの会長は父親の指導の下で自宅で練習することを認め、実力の怪しい外国選手ばかりと戦わせて世界ランクをあげた。実力不足は今度の試合を見れば明らかだ。

 亀田父子の人気に頼って収入をあげることを優先し、ボクサーとしての本来の教育や実力アップを放置してきたことは非難されても仕方あるまい。

 メディアが果たした役割も見過ごせない。なかでもTBSだ。世界戦を中継するにあたって特別番組や情報番組で繰り返しとりあげるなかで、過剰な演出や配慮を感じさせられた。視聴率優先の無批判な番組作りが、父子の気分をいたずらに高揚させたのではなかったか。

 安易なヒーローづくりは、長い目でみれば決してボクシングのためになるとは思えない。

 ボクシング人気は最近低迷している。亀田兄弟の試合を除けば、世界戦でも視聴率が1ケタということが珍しくない。パフォーマンス優先の新興格闘技が次々に現れ、シンプルでストイックな競技は分が悪い。だが、その奥深さに魅力を感じるファンも少なくない。

 日本のプロボクシングは、興行を含めて基本的にジム任せだ。大口の収入はテレビ放映料がほとんどだから、テレビ局におんぶにだっこにならざるをえない。今回の問題の下地はそこにある。

 処分が出て、問題が解決するわけではない。選手育成や収益構造の見直しなどにボクシング界全体で取り組まなければ、ゆがみはまた別の形で現れる。

PR情報

このページのトップに戻る