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【ルポ】変わり果てたオアシス 横国大生誘拐現場 '07/10/15

 【バム(イラン南東部)15日共同=山岡宗広】砂漠に浮かぶオアシスの美しい古都は、貧困と麻薬の街に変わり果てていた。横浜国立大四年、中村聡志さん(23)が誘拐された現場とされるイラン南東部のバムに十四日入った。二○○三年十二月に起きた大地震が、三万人の生命や城塞(じょうさい)遺跡アルゲ・バムだけではなく、固く結ばれた住民同士のきずなも奪っていた。

 近郊の都市ケルマンから砂漠の道を車で二時間半。バムに近づくにつれ、緑が次第に増えていくのが分かる。倒壊したアルゲ・バムを囲むようにして、ナツメヤシ畑が幾重にも広がっていた。

 誘拐前に中村さんが散策したと地元メディアが報じたアルゲ・バムでは、作業員百九十人ががれきを取り除く作業中。管理人によると、観光客が書き込む訪問帳には、中村さんの名前は見つからなかったという。

 地震から四年近くが過ぎ、市内では倒壊したままの建物は減ったものの、骨組みを作っただけで放置されている建物が多い。タクシー運転手によると、ここ一、二年で資材費が高騰し、建設計画が頓挫するケースが後を絶たないという。

 中心部の広場には平日昼間にもかかわらず、多くの若者がぼんやりと地べたに座り、暇を持て余していた。「復興特需はとっくに終わった。仕事がないんだ」と運転手。

 バムの人口は地震前の十二万人から二十万人に増えた。しかし、地震による被害に絶望したかつての住民の多くは故郷を捨て、別の都市へ。その代わりに、貧しい人々や麻薬密売人などの犯罪者が流入し、治安が悪化。顔なじみが多い伝統的な地域社会は崩壊した。

 バムへの取材許可はイラン政府から出ていたが、到着してからは、待ち構えていた三十歳代前半の治安当局者が記者にぴたりと同行。中村さんの宿泊先などの現場取材は一切認めらなかった。一般市民への取材や撮影も「目立つと危険だ」という理由で禁止された。

 「これでは取材にならない」と不満を述べると、当局者は「あなたに遺跡を見せ、ホテルで昼食を取ってもらい、安全に帰すのがわたしの仕事だ」と言い切った。

 別れ際、当局者は地震で両親ときょうだい全員を亡くしたことを明かし、記者にこう言った。

 「誘拐された学生は本当にかわいそうだが、われわれは地震で数え切れないほど泣いた。復興も大変だ。いちいち心配している余裕はない」




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