藝道日記――パンガー県津波被災地再訪。

二ヵ月半後の被災地(平成十七年三月十三日取材)


■涙を流す象――カオラック

 パンガー県タクワパー郡の海岸沿いにビーチリゾート地として存在したカオラック。被災から二ヵ月半経過しても、瓦礫の数は減ったものの具体的な復興の進展はあまり見られなかった。


10メートルを超えたと言われる津波による塩害が内陸の道路脇の椰子の樹に残っている。



津波が押し寄せる前に予知して高台に逃げた象。
その後瓦礫や遺体の運搬作業に従事したが、今はもう背中に乗せる観光客もいない。



そのうちの一頭は涙を流していた。



ホテルのプライベートビーチだった土地。円形に植えられた椰子の木陰にバンガローが建ち並んでいた。
瓦礫を隠すようにとりあえず埋め立られてはいるが再建設のメドは立っていないようだ。



すぐそばにはなぎ倒されたリゾートホテルが遺跡のように建物の土台だけを残していた。



海岸から一キロの地点に打ち上げられた海軍の船。今後、津波博物館として使われる予定。



海岸から五百メートル以上離れた国道脇のエアコン修理店。
建物は崩壊していなかったが鉄格子のシャッターが津波によって派手に曲げられてしまっている。




「椰子の木の周辺にある全ての物品を持ち去るな。警察に通報するぞ」
火事場泥棒に対しての警告が書かれている看板。




淋しく立てられた「土地売ります」の立て看板。


■村の中に置き去りにされた漁船――ナムケム村

 四千人近くが住んでいたパンガー県タクワパー郡の漁村。村のほぼ全ての建物が全壊した。外国人観光客がほとんど訪れることがないのであまり報道されないが、タイ国内最大の津波被災地のひとつである。




海岸のほうから修復しているらしく内陸はほとんど手つかずのまま瓦礫だけが撤去されている状態。




津波で海岸から数百メートル離れた路地脇まで運ばれて二ヵ月半もそのままの大型漁船。



まだまだ村の中には瓦礫や漁船が残されている。


■赤土の広場に建てられた仮設住宅――パンムワン被災者キャンプ

 主にナムケム村で被災し、家を失った人々が一時的に居住している場所。一月二日にパンガー県庁舎から被災者がこちらに移ってきた当時は何千人もの被災者がテントでの生活を余儀なくされ、1000近い数のテントが地面を埋め尽くしていたが、現在は仮設住宅の建設も一段落したようだ。







日本政府(国際緊急援助隊)より寄付された病院用のテント。




建ち並ぶ仮設住宅。南部近県より駆けつけたボランティア大工たちの手によって建てられた。




現在は住宅ではなく、漁船の建造作業が進められていた。


■待ち続ける千五百もの魂――ヤンヤオ寺院遺体安置所

 ピーク時は二千を越える遺体がここに集められ、国内最大規模の検体作業が行われていたが、現在は検体作業自体が一定の段階を過ぎ、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツ、オランダなど外国の検体チームが中心になって遺体のデータが整理され続けている。




データ整理室の壁に貼られた歯科記録写真。歯茎はほとんど残っていない。
遺体は腐敗が進んでいるため、既にこの歯科記録とDNA鑑定が主な手がかりになっている。




検体室内部。検体作業数自体は少なくなったとはいえ、まだ内部には死臭が残っている。




千五百以上の遺体がまだ、この冷蔵コンテナ内で遺族を待っている。




取材当日、検体室入口で検体作業を待つ二人分の遺体。


(C) 2005 SHIRAISHI Noboru Office

戻る