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Author:パステルカラー
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日々細々
ひびこまごま

ありがとうございました
20日のお通夜は、市内の裏千家や他流派のお茶の先生方もかけつけられたが、葬儀は近親者と最後までいた弟子11人で21日にとり行われた。
この地に来てからも、社会的にも文化継承に貢献され、沢山の弟子を育ててこられたが、ご家族の意向で密葬にされた。

代表が 先生に語りかけるように型破りの弔辞を述べた。今までに一番心に沁みるものになった。この中の「ありがとうございました。」の絶叫はみんなの思いだった。
喪主でお茶もされるご子息も 飾らない心の中を挨拶のお話にされた。
「母はお茶一筋の人でした。そして長男の僕でさえ、手に負えないわがままな人でした。そんな母に最後までよく付いてきてくれました。(略)」
先生は、最後まで自分の言ったことを曲げないところがあったので、トラブルもよくあった。が其れを上回る魅力があったし、みんなのことを親身になって心配したりしてくださった。
お茶のお稽古はかたぐるしくなく、「要するに、お茶を美味しくいただけることが一番なんですよ。」と言われていた。お手前の手順も作法もすべてお茶をおいしくいただくことのおもてなしのマナーを習っていると理解していた。先生は、お免状の階級にこだわることなく、すべてのものに出し惜しみなく教えてくださった。奥が深くまだまだ、いたらないままに終わってしまったが。
「ちょっとぐらい間違っても、お茶だけは心をこめて美味しく点ててください」と言って、お茶会などでは緊張をゆるめてくださった。

これから、何をしていけばいいのだろう。
私は、こんなに大きく「お茶」のことが自分を支えていたとは思っていなかった。趣味の一つぐらいにおもっていたが、16年の歳月、お茶に
たずさわってきたので自分の一部になってしまっていたのだろう。
いったい私は、この先何をしょうか。
この記事に対するコメント

はじめまして。
お茶の先生へ心からお悔やみ申し上げます。

突然に失礼致します。
私の家族が大変にお世話になりました。
齋藤で、ブログ様やあかね様はおわかりかと思いまして、書かせていただきます。

まだ突然の事で私自身が冷静なのかどうかわかりませんが、
ご心配をおかけしたままではと、このPCに向かっております。

身内の事をこんな表現をとは思いますが、花の様な人でした。
そして、その時代ならではを生きて来た芯のある人でした。
また、最後まで身奇麗にしておりました。

どうしても、人との交流が狭くなって行く中で皆様との会話を楽しんでおりました。
そのような中で、ブログ主様あかね様には随分救われたと思っております。
心からありがとうございました。深く感謝いたします。



【2007/06/25 08:14】 URL | 齋藤美恵 #- [ 編集]

明日があるささん ありがとうございました!
心からご冥福をお祈り致します。

あまりに突然で信じる事が出来ません、涙がとまりません。
本当にあの河を渡ってしまったのでしょうか?
もう一度蹴り返して、必ず元気になり又戻って来てくれると、信じておりました。
もっともっと色んな事を、お話したかった。!
お気持ちを少しでもほぐしてあげたいと思いながら、
何も出来ないまま旅立たれて逝ってしまいました。
いつもユーモアたっぷりの愛情あふれる言葉で私達を楽しませていただいたり
励ましていただいたりして、本当にありがとうございました。
ゆっくり、休んで下さい。
これからは高い空からずーと、見ていて下さいね!

斎藤様
少し落ち着きましたら、もう少しだけ病状などお知らせ下さいませ。








【2007/06/25 14:50】 URL | あかね #- [ 編集]


ブログ主様、どうかご迷惑と思われたら消してくださいませ。
こちらでしか御礼の言葉を述べる事しかできません。

あかね様ありがとうございます。
ブログ主様、あかね様、沢山の方達の「心根に深く感謝したい」と常々話しておりました。

実は先日、初七日を済ませました。
本当に突然にでしたが、私達家族にはある予感はありました。
お友達の不幸から、なぜか祖母の周りの時間が早いと感じておりましたので。

このPCには今日まで触れずにおりましたが、こちらのブログがお気に入りに入っておりましたので、開いてみました。
HNを見て泣けて仕方ありませんでした。
そうした名前で自身を奮い立たせていたのかしらと。

旅立つ前夜に、近くの気に入りのカフェで家族でお茶をして、いつものように私の主人がおんぶをして帰りました。
その時に主人は「ああ、これが最後だ」となぜか思われたそうで、遠回りをして帰りました。

いつものように、私の娘にマッサージをしてもらい休みました。
いつもと違う事は、愛犬が長男の部屋ではなくその夜は祖母の部屋で休んだのです。
そして、お式の後に役目を果たしたかのように愛犬も旅立ちました。

「あまりに高齢な二人?だから支え合わないと行けないのかも。それに溺れるといけないから○○が背中に乗せて行っているかも」
と、勝手な事を家族親戚で話しておりました。
丁度一年前になりますが、あかね様が書いてらっしゃるように戻って来た事があり
「今回も」と、誰もが扉が開くのではと凝視したり。

お坊さんの言葉で「極楽浄土は誰もが行ける所ではない。大半が次の使命のために49日後に次に生まれるためのお腹を捜すのだ。
やり残した事等を完結させるために永遠に生まれ変わるのだ」
とお話頂き、私達は救われると同時に
「永遠に家族。誰が欠けてもいつも故人を想い繋いで行く。それが命、愛」
と口癖のように話していた祖母の言葉を思い出していました。

実は、主人の母親との同居話があり、祖母に心配をさせていました。
私を煩わせないように祖母が急いだ様に思えてなりません。

「母」と問われると私には祖母の顔しか思いつかないようになっています。
幼い頃は、友人の若いお母様が羨ましいと思っていましたが、私が学生の頃には祖母を慕って、私が留守でも誰かしら友人が来ていました。
それは私の娘も同じでした。
若い子特有の言葉は私が教えて貰う始末で。

でもこうして、時代の波にしっかりと溺れながらも、見ず知らずの方との交流が持てた事は幸せな日々だったと思います。
そして、「49日後に私妊娠しようか?」などと笑えない冗談を娘が言いますが。
ともあれ、どこかで生まれ変わってきてくれる事を願っている家族です。

何処かの地方では、88を過ぎてから旅立つ事はめでたい事なので、お赤飯を炊いてお配りするそうです。
好物でしたから49日法要にはと考えています。

勝手に書き連ねてしまいましたが、皆様本当に心からありがとうございました。

ブログ主様感謝いたします。


【2007/06/25 20:15】 URL | 齋藤美恵 #- [ 編集]


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