広田教授の「教育も、教育改革もけしからん」

「凶悪犯罪は低年齢化」していない
〜子どもに対してせっかちな大人たち

いつの時代も「子どもが変!」だった

 10代半ばにいろんな問題行動が集中するのは、なにも現代の子どもたちに特有の状況ではありません。この時期に自立や成熟に向けて子どもたちが悪戦苦闘するのはずっと続いてきています。

 今の大人たちだって、若い頃はさまざまなネーミングで呼ばれていたじゃありませんか。1970年代前後だと「全共闘世代」、それが終わった後には「シラケ世代」とか「三無主義」「五無主義」。80年代半ばには「新人類」が登場して、90年代に入ると「キレる若者」とか。

 つまり、どんな時代も、常に青少年の育ち方の問題点なり特異性なりを強調するような議論がなされてきているわけです。けれども、通じて言えるのは、各時代ごとに特有な状況の中で子どもたちは生き方を模索する時期があるのだと。また、その時期に新しい価値観や感性を探し出してきて、社会の規範状況をリニューアルしていく、そういう部分もあります。

 全共闘世代が典型的ですけど、政治的な意味は別として、彼らが1960年代ぐらいまでの社会に広がっている価値観を一新したのは確かで、欧米に追いつけといったキャッチアップ型の近代的な価値観から、すでに近代化を達成した後の現代的な社会、文化的な価値みたいな問題へ視点を転換したのが当時の若者文化でした。

 あるいは、三無主義とか五無主義というのも、若い世代の問題性を指摘するような議論としてよく言われたけれど、当時の若者がいつまでも無気力、無関心のまま大人になったわけではない。むしろそういう世代、つまり現在50代ぐらいの人たちが社会の中核として活躍しています。

 だから、10代のいろんな生き方を模索している時期の若者の姿を見て、そのまま彼らが直線的に大人になっていくと考えるのはまちがいで、彼ら自体が社会の文化をリニューアルすることもあるし、個人レベルで言うと、既存の文化になじんで、落ち着くことも当たり前のようにある。

言いなりにならないのが子どもの証拠

 ちなみに最近、自民党の選対委員長に就任した古賀誠氏の評伝を読んでいたら、高校時代の彼はケンカで九州中に名を轟かせていたそうです。あるいは参議院議員になった義家弘介さんも、ご存じの通り、ヤンキーでツッパっていた。彼らが、今になって「道徳が大切だ」とか言って旗を振るんだけど、自分たちの若い頃を思い出してみろ、と言いたいですね。

 作家の清水義範氏は数年前にこんなことを書いていました。

 「人間がどんどん悪くなってきて、お先まっくらで、未来はガタガタだ、ということをよく大人は言いますが、あれは実は、若い世代がどうも私たちとは違っている、ということをなげいているのです。前の世代が次の世代に対してする説教は、実は、おれたちの築いた世の中を壊さないでくれ、ということを言っているんです」

 「若者が、いつまでも小学六年生のままで、大人と同じ価値観をマネして持っていたのでは、未来がないではないか」(清水義範「ガングロ女子高生の味方をする」『現代』2000年3月号)

 その通りだと、私は思います。思春期の子どもたちは、いつの時代だって、大人の言いなりにならないことを求めています。これは精神的な自立の過程では当然のことで、イライラ、モヤモヤの時期を通過しながら、既存の価値を問い直したり、生き方を模索したりすることにつながっている。

 そんな彼らに、「徳育」を教科化して、画一的に教え込もうとしてもムリですよ。むしろ、学校生活全体を通して、「自分」を考えるいろんな機会やきっかけを与えるような工夫を考えるほうが、よほど有益だと思います。9月半ばに中教審が「徳育」の教科化を見送る方針だ、というニュースを見かけましたが、私は適切な判断だと思います。

思考停止でキレているのは大人である

 そろそろまとめに入りましょう。

 難しい思春期にさしかかったわが子とどう口を利けばよいのか戸惑っている中年のオジサン・オバサンが、「学校できちんと道徳を教え込め」とか「個々の子どもをもっと理解しろ」などと言って、自分にはできない願望を学校に押しつけるのは無理無体です。親が1対1でできないことを、ひとクラス30人まとめて教え込もうとしたって、それはできません。

 「青少年の問題をなくす学校教育」ではなくて、「青少年の問題と丹念につき合ってていける学校教育」という方向を、大人は考えるべきだと思います。現実の学校は、難しい子どもたちと何とか関係をつくり、教育的な意味を持つ空間を機能させようと努力しています。また、さまざまな問題を抱えつつ生きている子どもたちの成熟までの試行錯誤に、多くの先生がつき合っている。特に、中学校の先生や、高校の「進路多様校」の先生方は、大変な苦労をされています。

 つまり、今の学校は、「子どもが起こす問題と向かい合う大人」の役割を必死に果たそうとしているのです。そして、そうした結果、少なくない子どもたちが、途中であれやこれやの問題を起こすものの、その大半は、次第に落ち着いてきて、悪いことを「卒業」し、まともな大人になっていっているのです。

 そのことを理解できず、成熟までの時間をひたすらマジメでクリーンなものにしたがる短気な大人が、せっかちに学校を糾弾し、道徳の教え込みといったできもしない教育論を振り回している。

 果たしてキレているのは、子どもなのでしょうか。例外的な事件が大騒ぎになるたびに、世の中の大人が思考停止してキレている。私にはそう見えてなりません。

(次回に続く)

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筆者プロフィール

広田照幸(ひろた・てるゆき)

広田 照幸

1959年、広島県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。東京大学大学院教育学研究科教授を経て、2006年10月より日本大学文理学部教授。教育社会学、社会史専攻。実証にもとづいた切れ味鋭い議論が持ち味。著書に『日本人のしつけは衰退したか』(講談社現代新書)、『教育に何ができないか』(春秋社)、『教育 思考のフロンティア』(岩波書店)、『教育不信と教育依存の時代』(紀伊国屋書店)、『《愛国心》のゆくえ』(世織書房)など多数。

斎藤哲也(特命助手サイトー)

広田 照幸

1971年、神奈川県生まれ。東京大学文学部哲学科卒。編集ユニット「連結社」にてコンテンツ制作する傍ら、「R25」のブックレビュアー、TBSラジオ「文化系トークラジオ Life」のサブパーソナリティとして活躍中。当連載では、調査全般、編集を担当。手がけた本に『使える新書』(編著・WAVE出版)、『大人力検定』(石原壮一郎著・文藝春秋)、『イッセー尾形の人生コーチング』(朝山実著・日経BP)、『現代思想入門』(PHPエディターズグループ)など。

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