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【社説】

富山冤罪再審 法曹三者も猛省がいる

2007年10月11日

 冤罪(えんざい)で服役後に無実と分かった富山県の男性に、再審で無罪が言い渡された。だが冤罪事件の再発は、警察のほか検察官、弁護士、裁判官の法曹三者の厳しい反省なしでは防げない。

 やってもいない罪で実刑まで科した誤った裁判が正されたのは、当然である。しかし、冤罪判明から再審無罪までを振り返ると、無実の人が罪人にされる事態はもう起きない、と確信できない。

 警察の捜査が自白に頼り、男性のアリバイ、現場の足跡の違いなど証拠を無視、検察もこれを追認、起訴したことはすでに指摘されている。強調したいのは、なぜ男性がうその自白を維持したかだ。男性は威圧、誘導による取り調べや証拠でっち上げを疑わせる事実を述べているが、富山県警は具体的実情を公表せず、疑惑は残されたままである。

 男性は裁判の国選弁護人に対しても、不満を表明している。接見の回数も少ないが、被告の自白と有罪をうのみにして、情状酌量を求めたのではないか。調書や証拠の開示を要求し、その矛盾点を突いて無実を探ることはできなかったか。

 国選弁護人が費用の制約などで活動に限界があるなら、十分な弁護ができるよう制度的に保障すべきだ。私選で弁護士を依頼できない貧しい人々が、無実の罪で陥れられては、法治国家の名折れである。

 最終的に男性に間違った実刑判決を下し、服役させたのは原審の裁判所である。担当裁判官の責任は重く、言い逃れできない。

 わが国の刑事裁判は、検察側と被告・弁護側の応酬を通じ、立証を進める当事者主義の色彩が強い。しかし、刑事裁判の目的は、真実の発見である。そのために、裁判所は訴因変更や追加証拠の提出を求めることができる。

 男性は拘置尋問で裁判官に無罪を主張した。しかし起訴後の法廷で、裁判官は検察の主張に引きずられ、有罪の予断を持つことはなかった、と言い切れるか。虚心に法廷に出された調書や証拠を精査し、その上で一瞬でも男性は無実ではとの疑念を抱かなかったか。

 再審では取調官の証人尋問を退けたが、今からでも臭い物にふたをせず、冤罪を生んだ仕組みを徹底的に明らかにすべきである。

 最高検は不十分ながら報告書を出し、日本弁護士連合会も週内に調査を始める。警察庁と最高裁も徹底的な検証を行い、公表しなければならない。少なくも取り調べの全面的録画・録音の採用、責任者の公務員法による処分に踏み切らないと、刑事司法への国民の信頼は回復しない。

 

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