ところで、前回の「他人攻撃の手口」については、その簡単な構造がおわかりいただけたかと思う。
実際には、こういうやり取りの中で、以下のようなやりとりが始まる。
「おまえだって、人のことを攻撃しているじゃないか」
というやりとりだ。つまり、オマエも同類だろ、と来るわけだ。
しかし、こういうときはあわてず騒がず、
「自分からは攻撃を仕掛けることはしない。攻撃されたから反撃している」
と、返せばよい。
実際、相手の攻撃なくしてこちらからの「反撃」なんてのはありえない。こういう「論争」のときは、往々にして「アツく」なっちゃう、って人も多いことだろう。だから、攻撃されただけでまず頭に血がのぼる。そういうときに「おまえだってやってるじゃないか!」と言われると、「あっ!本当だ!」なんて、前後の関係も考えずに、思ってしまうことだって、ある。
しかし、「攻撃」と「反撃」は違う。
なぜ相手と同じように相手に反撃するのか?といえば、それは相手が攻撃してきたからであって、それ以外ではない、ということが普通だ。だから、攻撃には正当性があろうがなかろうが、反撃には、それが反撃であるがゆえに正当性がある。
「身に来る火の粉は払わにゃならぬ」という、「正当防衛」だ。
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また、ネット上の攻撃でかなり多いのが「おまえは過去にこんなことをした」というネット上にある過去のBLOGなんかを持ってくることだ。たくさんの文章を書いていれば、それなりに「穴」なんてものは探せばいくらでもある。だから、たくさん文章を書く人間ほど、この攻撃にさらされやすい。しかし、それはそれだけのことだ。その過去の文章と今言っていることが違っているのであれば、「なぜ違ったか」をちゃんと説明することが、反撃のためには必要になる。これも正正堂々とやればよいし、それがある文章の部分をとってきたような「取るに足りない」問題であれば、無視すればよい。
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ネット上で罵詈雑言で攻撃を仕掛けてくる人間のやる手口は、だいたいがこういったものだ。匿名だからできるであろう口汚い罵りのことばは、その内容がどんなものであれ、本来であれば必要な礼儀を失している、ということによってのみ、本来は完全に無視するに限るものだ。その上で、どうしても反撃をしたければ、彼らの手の内を知ることが必要だ。
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関係ないんだが、そういえばぼくの父は牧野富太郎の臨終にいた5人の医師の一人だった。牧野富太郎が死んで数日してぼくは生まれた。
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