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フィリピン残留日本人2世、身元未判明のまま戸籍取得

2007年10月08日19時47分

 第2次大戦前後の混乱で出自が分からなくなったフィリピンの残留日本人2世が、日本人としての戸籍を新たにつくる「就籍」を求めていた審判で、東京家裁は8日までに2人の就籍を許可した。ともに日本人の父親の戸籍が見つからず証明が難しいケースだったが、父の捕虜登録票など複数の証拠から認められた。父の戸籍が未発見のまま就籍が許可されたのは、比残留日本人としては初めて。支援者らは「父の身元が判明しない2世にも国籍確認の道を開く画期的な判断」と評価している。

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日本人の父と撮った家族写真を掲げる吉川さん(左)と、坂本さん(右)=マニラ市内のホテルで

 就籍が認められたのは、坂本ファニタさん(80)と、吉川メレシアさん(89)。8日に就籍許可の知らせを受け、就籍届に署名した。マニラ市内で開かれた記者会見で坂本さんと吉川さんは「日本人であることが認められてうれしい」と喜びを語った。

 2人の父親は、それぞれ戦前にフィリピンにわたり、フィリピン人女性と結婚。坂本さんの父は戦後、強制収容所に収監され行方が分からなくなった。吉川さんの父は戦前に亡くなった。

 2人の父の戸籍はともに見つかっていないが、坂本さんについては父が収容所に収監された際の捕虜登録票など、吉川さんは日本の外務省の海外旅券発行名簿やフィリピンで死亡した人の名簿に父の名があった。

 フィリピンには、戦前の日本人移民の2世が約3千人いるとみられている。就籍の支援をするNPO「フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)」と日本財団の調査で父の戸籍が判明する人も増えた。昨年2月には、父の戸籍が判明した井手端和子さん、早苗さん姉妹が比残留日本人2世として初めて就籍が認められた。

 だが、坂本さんたちのように、父の戸籍が見つからず身元が判明しない2世も最大800人いる。戦後の激しい反日感情の中で日本人であることを隠したため、証拠を廃棄したり散逸させたりした人も多い。今回の決定はこうした事情を考慮、父の戸籍以外の記録も信用できるとし、証拠の乏しい2世にも希望を与えた。

 また、2世が就籍すれば4世までが定住者として在留資格を得て日本で働くこともできる。敗戦で財産を奪われ、差別の中で苦しい生活を強いられてきた2世には、子孫のために国籍を確認したいという人もいる。

 PNLSCによると、現在、ほかに40人の比残留日本人2世が就籍の申し立てをしている。PNLSCの河合弘之代表は「今回の決定で、さらに、少なくとも250人の2世が就籍できる可能性が高まった」と話す。

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