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【社説】

週のはじめに考える さらば観客民主主義

2007年10月7日

 国民は、治められる側であるとともに、治める権力の源でもあります。私たち統治主体が政治を観客のように眺めていては、民主主義が健全に育ちません。

 参院選と自民党総裁選、日本の将来にとって重要な政治的行事が相次ぎました。二つの選挙を通して、どれほどの国民が、政治に参画している実感、自分が権力の源であるという意識をもてたでしょうか。

 マスメディアが大量に流す情報の波に洗われていると、なんとなく政治を身近に感じますが、実は、これは“要注意”です。

 マスメディアは事実の伝達、分析や解説、論評など多様な形でニュースを読者、視聴者に伝え、「知る権利」に応えています。

重宝がられるタレント性

 しかし、多くの人に読んでもらったり見てもらったりしたいと思うあまり、残念ながら本質から外れた報道になることもあります。

 特に「情緒を伝えるメディア」と言われるテレビの報道では、政治家の口調や風ぼうなど政治の本質とは無関係なことが強調される傾向があると指摘されています。政治家の討論番組では、思慮深さ、見識、政治的力量といったことよりも、当意即妙の発言ができたり、その場の雰囲気を盛り上げることのできるタレント性が重宝がられます。

 そんな場面を見て、楽しんだり面白がったりしているうち、自分も政治に参加している気分についなりがちです。投票が面白さや親しみやすさ、分かりやすさ、楽しさなどに左右されることもあります。

 被統治者であり統治主体でもある有権者に求められる、「政治にいま何を求めるか」という意思表示が、政治的パフォーマンスに対する単なる拍手になりかねません。

 大衆社会では、政治状況がこのような“お祭り民主主義”、あるいは“観客民主主義”にややもすると陥ります。

政策よりも“イメージ”

 「国民は大統領の政策をどうこう考えるより、イメージとしての大統領の振る舞いを頭に残す」

 米国の第四十代大統領、故ロナルド・レーガンのメディア対策参謀だった故マイケル・ディーバーの言葉だそうです。彼は「記者たちはニュースの仕事に従事していると考えているが、実際にやっているのは娯楽の仕事なのだ」とマスメディア関係者にも痛烈でした。

 米国の政治では、こんな考えに基づき、メディアを利用した国民コントロールを狙うのが日常的です。メディアが映像を伝えたくなる印象的シーンを演出し、引用したくなる気の利いたセリフを用意するため、専門家が知恵を絞ります。

 全米の人気投票の観がある大統領選は、こうして大きな祭りのように盛り上がるのです。

 二年前の九・一一総選挙で小泉純一郎首相(当時)がそれを日本でもやってのけました。

 「改革を止めるか、やり抜くか」「小泉が自民党をぶっ壊すか、自民党が小泉を倒すか」と問題を単純化した演説、女性候補を動員した華やかな刺客作戦を展開し、テレビがそれをにぎやかに伝えました。その結果が自民党の大勝利です。

 世論調査が「祭り選挙」だったことを示します。この選挙は「面白かった」との答えが51%、二十代では60%を超えました。自民党に投票した理由の第一位は「小泉支持」で、肝心のテーマ「郵政改革支持」よりずっと多かったのです。

 安倍晋三前首相は、そうして得た衆院の絶対多数の力で強行採決を繰り返し暴走しましたが、七・二九参院選で急ブレーキがかかりました。国民が安倍前首相の資質を疑い、復古調の政治姿勢に危険を感じ、小泉政治の負の遺産に気づいた、というのが一般的分析です。

 どうやら観客民主主義から脱したのでしょうか。でも、「年金、格差拡大などの不安、不満の合唱に大衆が声を合わせただけ」と冷ややかに評し、次期衆院選での揺り戻しを予想する人も少なくありません。

 安倍氏が政権を放り出した後の自民党総裁選の様子を、その予兆と見るのは考え過ぎでしょうか。

 郵政解散と同じように予想外だった総裁選にメディアも多くの国民も沸き立ち、直前の参院選で大勝した民主党の影は薄くなりました。

 「キャラが立つ」と自他ともに認めた麻生太郎候補の街頭演説では、九・一一選挙の時に「千両役者・小泉純一郎」を囲んだ聴衆の熱狂に似た現象も生じました。

 「かっこいい」「面白い」が政治の判断基準として復活したかのように見えました。

自分の目と自分の頭で

 本当に観客民主主義を脱するか、次の衆院選が正念場です。政治を眺めたり楽しんだりではなく、自分の目で監視し、自分の頭で決断しなければなりません。

 そのために、マスメディアは政治家に乗じられ利用されないよう、主体性を持って報道しなければなりません。私たちも正念場と自戒しています。

 

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