◎宇都宮の専門学校へ評価表を届けたあとで
オリオン通りの映画館でスピルバーグの『ミュンヘン』を
観た。手堅い演出でしっかり見せる。
「ぼくの祖国はきみだ」と女房に言う主人公。クサイせりふネ
と笑われるシーンがあるが、それがテーマのようにも思える
ラスト。ユダヤ人の哀しみ、パレスチナの哀しみ、どこまでも
重ね合わせることはできない…。
HOMEを祖国とスーパーが翻訳している。
「愛国」という言葉が日本では旧悪をイメージしてしまう。
HOME=日本と言える日本人が存在するのか。
◎帰途、喜久屋書店で『辻征夫詩集』 (清水哲男・編・芸林
書房)を購入。
◎帰宅してみたらネット古書店から購入した自著
『霧隠1964』<現代忍者シリーズ>(曙出版)が
到着していた。なんと二万円もした貸本マンガである。
税金が還付されるので購入した。こんな高いマンガ本は
買ったことが無い。やれやれ。
◎太田出版から『封印作品の謎2』 (安藤健二)が送られて
きていた。
Aa 『ジャングル黒べえのほんとうの原作者はあの宮崎駿だそうですね『リトル・ニモの野望』という回想本にでてくる話なのですがあれのTVフィルムを東京ムービーの社長さんがフライシャー兄弟にみせたところスタッフが大激怒して映写幕のまえに立ちふさがるひとまでいたそうです黒人差別は超タブーなんですね』
あんころ 『ウィンザー・マッケイのリトル・ニモを見ると、腰ミノをつけ髪がチリチリの黒人が出ていますけどね。』
Aa 『黒人娘(ぶあつい唇がせくしー)のシンデレラ・アニメというのを以前どっかでみかけたことが』
nagatani 『>封印。とりえずキャンディの部分までを読みました。水木杏子さんから、いがららしさん側応援団のようにHPでも書かれていますので…。ちょっとこれは違うんですよね。フォーラムへぜひ水木さんをお呼びしたい。そして講談社に和解の労を取って欲しい。そのため、いがらしさん側は最大の譲歩というか、お詫びの気持ちを表明していくべき〜というのがぼくのスタンスです。マンガ原作の特殊性は、一応最高裁の判決をふまえ新たな見解を皆で検討し、今後のトラブルに備える〜ということです。ところがいがらし関係の美術館は、判決後も原画展示を行って、水木さんから訴えられている!先日、その方からメールをもらいました。でも「部外者」には分かってない!という無反省なご意見にびっくりでしたね。「こりゃダメダ〜〜〜」って感じです。黒ベエ、これから読みます。』
イソノ武威 『>フォーラムへぜひ水木さんをお呼びしたい。そして講談社に和解の労を取って欲しい。「お呼びしたい」もナニも、そもそも精華大のシンポからは、原著作者・水木杏子さんには出席のオファーがなかったそうですが?「対立する陣営の一方の側だけを呼んで、一方的な主張をさせる」というのは、俗世間では、symposium ではなくpropaganda と言うんですがね。ポーズだけでなく、本気で水木さんを呼びたいというのなら、前回のシンポのテープを提出の上、正式にオファーを出してはいかがですか。とりあえず、リンク先のブログで呼びかけてごらんなさいな。http://blog.goo.ne.jp/lilac_sakura/e/0545612abd96fff8ab77da2067f0058fもう一つ、これはぜひこの場で明快なご回答をいただきたいのですが、講談社が裁判の際に「水木杏子は『キャンディ』の連載当時から、原著作者として法的な位置づけがされていた」「漫画『キャンディキャンディ』は水木杏子の考えたストーリーに基づいて製作された」と陳述書を提出している事は、勿論ご存知ですよね。いがらし氏当人はもとより、わざわざ講談社に出向いて取材をした牛木弁理士がその点については熟知しているはずですから、長谷さんもその二人から聞いているはずですよね。にもかかわらず、2005-03-22のコメントで# nagatani 『少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた(まあ、間に編集が居るわけですが)そんな時代の屈辱感・怨念が、トシを経て噴出してきた〜そんなふうに感じます。「心の傷」深いんですね。でもその傷を癒すために著作権を振り回すのが問題。金銭的にこれを解決し、まず傷を半分回復するのが、作家としての社会的責任だと思うんです。』・・・等と書いているということは、事実上長谷さんが「講談社が裁判で偽証した」と告発していると解釈して、よろしいですね?このような告発をする以上、余程しっかりした事実の裏付けがあっての事と思いますが、差し支えのない処までで結構ですから、どのような根拠に基づいて「講談社が偽証した」と判断したのか、教えていただけませんか?ついでに、同じく1970年前後にデビューして、多くの作品を執筆していたにもかかわらず、いがらし氏が「少女マンガの女王」で水木(名木田)氏が「新人」あつかいなのは何故ですか?その点もご説明願いたいのですが。参考サイトhttp://www1.odn.ne.jp/lilac/ajisai/index_ajisai.html』
nagatani 『>フォーラムこれは京都精華大の主催で、小生はコメンティターとして参加を求められました。開催前夜、いがらしさんにお会いして、この裁判についてのお話しを伺いました。水木さんが参加した方がよい〜という点は、このときに話しましたが「わたしが電話しても、弁護士までが一方的に電話を切り、話し合いに応じない」とのことでした。でも、別の機会に水木さんだけでもお呼びしてフォーラムで、お話しを伺いたいとの考えをぼくは持っております。しかし、このフォーラムを再開すべし、という権限を小生は持っておりません。>講談社が裁判で偽証ぼくは<告発>などしていません。判決が出てしまっていて、いがらし側が完全に負けた〜というのは、明白な事実です。裁判も傍聴したこともありませんし、裁判資料も読んだわけでもありません。<事実の裏付け>などが、ぼくに出来るはずはありません。お二人が和解された方がいいのではないでしょうか〜という一人のマンガ家・読者として考えているということです。その件について、いがらしさん側が、現在どうお考えかも知りません。ただ、判決が出ているのに、まだドロドロしたトラブルが継続している、この状況を改善するには、<作品制作の出発点にもどって、話し合う方がよい>と考えているということです。これはぼく個人の考えです。講談社とは契約解除してしまっているので、無意味〜あるいは、講談社がもうこのトラブルには感知しない〜ということになれば、この提案も無意味ですね。ぼくが<偽証>と判断云々は誤解ですよ。「講談社さん、ここはお二人の利益、マンガの愛読者のために、メンドウみてくれませんか」というのがぼくの願いです。>水木氏が「新人」扱い。これは、当時の少女雑誌・マンガ編集に携わった方々にお聞きになって下さい。結局、「人気」の差、ということではないでしょうか。文字の作家とマンガ家とを「人気」で比べるのは、ナ〜〜ンセンス!!ということはラクに言えます。編集現場の実情ではないでしょうか。もし名木田恵子先生が当時、いがらし先生並みの人気を誇っておられたら、彼女の原作を無視するような態度で、マンガ・ネームを進行し作品制作を進められるいがらし先生に、はっきりクレームを付け、その原作仕事を降りる!と堂々宣言できる立場だったと考えます。いがらしさんは「マンガのラストなんか、わたしはもう考えてあったから、シナリオ無視で描いたのよ。なのに原作者が1次創作者になって、わたしが2次〜おかしい」などと、お会いしたときにお話しされていました。これは、いがらし先生の考え方がおかしい。これでは原作者の立場はありません。原作者は傷つきますよ。原作者HPでは、ぼくはいかにもいがらし側に立って発言といったニュアンスで書かれていますが、誤解です。★上記のような事態が起きやすいのが、マンガ原作・マンガ作画での特殊事情です。いがらしさん側は、そうした事情を、今回のトラブルの中で主張したりしていますが、これでは、裁判が進行しなくなります。判決は出されてしまいました。この特殊事情はキャンディだけに起きた問題ではないのです。ですから、トラブル内で論議するのではなく、「マンガ創作」という、日本の裁判史上では、ほとんど未体験ゾーンの課題という視点から、関係者(編集者・マンガ家・原作者・版元)が集まって、論議・検討をすべきもの〜というのもぼく個人の考えです。あなたのご質問に対するお答えになったかどうか分かりませんが、ぼくが現在考えているのはおよそ以上のことです。そして「著作権者」は、法によって守られるだけでなく、社会に対しても責任を持っているのではないだろうか〜とも考えています。キャンディを読みたい〜という読者におふたりが今後どう応えていくかを見守りたいと考えます。そして、京都精華大学が、再度、名木田先生をゲストにフォーラムを開く〜といったことがあればぼくも参加させていただきたいとも思います。(参考サイトは拝見せず書きました。ご了解下さい。)』
イソノ武威 『*>「わたしが電話しても、弁護士までが一方的に電話を切り、話し合いに応じない」つまり、シンポの主催者側はいがらし氏の言葉を鵜呑みにして、誰一人として水木氏に実際に電話をかけて確認することをしなかったのですね?*>「講談社さん、ここはお二人の利益、マンガの愛読者のために、メンドウみてくれませんか」安藤氏のルポにある通り、講談社は既に両者の仲裁のために尽力し、いがらし氏に「水木氏に対する侵害行為を止め、謝罪するように」と申し入れておりますが?いがらし氏はその講談社の尽力に唾をするような態度をとっているのですが、その事をどうお考えですか。*>マンガ・ネームを進行し作品制作を進められるいがらし先生に、はっきりクレームを付け、その原作仕事を降りる!と堂々宣言できる立場だったと考えます。『児童文芸』1980年陽春臨時増刊号初出、『マンガ批評大系4マンガ家は語る(1989年平凡社)』再録の、名木田恵子(水木杏子)氏のエッセイ「我が友、キャンディ」には、まさしく原作の展開に関して作画者からクレームが来た際、何度か「原作を降りる」とゴネて脅して(無論これはユーモアとしての表現ですが)、自分の作家性を通した、という裏話が書かれています。このエッセイは、裁判で証拠品の一つとして提出されました。また、連載後半に作画者に無断で原作を改変された際、物語の進行に支障をきたす様な改変の場合は、厳しく抗議して単行本収録の際には原作どおりに描き改めさせたそうです。その証拠品も裁判に提出され、担当編集者も水木氏の証言を裏付ける陳述をしています。*講談社は裁判において、「水木氏がいがらし氏の言うなりになって脚本を書かされていた」といういがらし氏の申し立ては「事実ではない」、という内容の陳述書を提出しています。にもかかわらず貴方が公の場でその陳述に反する事を「事件の真相」として繰り返し発言するということは、貴方が「講談社の陳述は虚偽である」と主張していると受け取られても致し方ないと思いますが。どこに「誤解」の余地があるのでしょうか。*長谷さん及び漫画学会の本裁判への見解は、「最高裁で水木氏に原著作者の地位が与えられたのは、漫画製作の実情に即さない残念な結果である」というものと理解しております。しかし、この判決は「漫画の連載当時から講談社編集部が水木氏を原著作者に位置づけていた事」を、再確認したものに過ぎません。この最高裁判決が理不尽なものであるなら、そもそもの講談社の漫画作画者に対する待遇自体が理不尽なものと言えましょう。漫画学会及び長谷さんは、この「漫画作画者に対して理不尽な待遇を強いる」講談社に対して、今後待遇改善要求や抗議等をしていく意思はありますか。*これは非常に重要な点なので、明快な回答をいただきたいのですが、2005-03-22 発言中の>ところが、講談社は裁判時に<原作>が、決して水木さん1だけで作られたものではない「マンガ編集界の事情」説明に証人台に立たなかったのである。 これが、ちょっとどうか!とぼくは怒ったのだが、商品化が動きだしたとき、いがらし側が講談社ヌキで行っていた〜という事情がからんでいたらしい。は、「講談社が自分達に逆らって単独でキャラクタービジネスをしようとしたいがらし氏に対する制裁のために原作者の肩を持った」という主旨の発言と受け取ってよろしいでしょうか。事実無根であるならば、講談社から名誉毀損で訴訟を起こされる程の重大な発言ですが、この「事情」とやらは、どのようなソースで耳にされましたか。以上、よろしくご回答お願いします。』
nagatani 『>最高裁判決はすでに出ております。そして、現状ではこの考え方にそっていがらしさん側は対応すべきと考えています。「マンガ制作」と「マンガ原作」の関係の特殊事情があるとも考えられるので、これは最高裁裁判とは別途に考えていくことも必要ではないか〜マンガ界が、この件にどのような統一見解を出せるのか?時間の掛かることだと思います。しかし例えば「日本漫画家協会」などから、統一見解が出せれば、今後の著作権契約やトラブルに関し、有効な手立てに<なるやも知れません>。裁判官がどう考えるようになるかは、当方の予測を超えるものです。>講談社がいがらし氏に対する制裁〜そのような事実があったなどとは、全く関知しませんし、肩を持ったなどとも考えておりませんよ!<和解>の労をとっていただけたら、いいなあ〜〜との願いを持っているだけです。その願いをぼくが<個人>として、社に具申するなど、具体的な行動を取るということはありません。ひとつの「案」ですよ。>いがらし側が講談社ヌキでどうも、そのような雰囲気が濃厚のようですね。ただ、ぼくはそれが事実とかウソとかいう権利も情報も持っておりません。ですから水木先生のお話しも聞くフォーラムが開催できたらいいな〜と申し上げています。ただマンガ学会がそう考えているのか〜とかいうことになりますと、現状では<考えていない>のではないでしょうか。著作権部会では、裁判についての話をしているようですがぼくは参加しておりません。精華大学のフォーラムのみです。ぼくの考え方とマンガ学会の考え方〜をゴッチャにしないで下さい。ぼくは学会理事ですが、学会の統一見解はまだ無い!と認識しております。やたら騒ぎを大きくするような言動で、小生の発言を歪曲されませんようにお願い致します。「明快な回答」が出せない、複雑な事情が何年も継続しているわけですよね。ぼくは、フォーラムの前夜・当日の2日間のみでしか関わっていないのです。ですから、核心に触れることも困難です。比較的に一般論的見地から考えを述べさせていたいています。講談社から、なぜぼくが名誉毀損で訴えられる??????全く理解できません!!!!揚げ足取りゴッコは、キャンディの将来に対して無意味と考えます。貴兄はどうお考えなのですか。どうも良く理解出来ません。ぼくの発言の中には、無知からくる誤解などあるやも知れませんが、いずれにしろ、最高裁判決をしっかり認めたうえで、いがらしさんも行動していただきたいし、水木さんには<封印>を解く手立てを、今後ともお考えいただきたいな、と、この二つのことだけを願っております。それ以外の考え方を、ぼくが書いてしまっていたらそれはぼくの誤りです。お詫びしたいと考えます。この点に関しましては「明快」です。』
イソノ武威 『>講談社から、なぜぼくが名誉毀損で訴えられる??????全く理解できません!!!!どうも、話がかみ合いませんね。再度確認します。>やはり裁判官がマンガ家〜原作者の関係をのみ重要視して、判決文が書かれてしまったという理不尽さである。>当時、圧倒的にいがらしサンのペースで仕切られていたことに対する、怨念が<封印>というかたちで噴出したのかも。>他社へ著作権を移しそこから新たに別バージョンのシリーズを刊行していたので、講談社は裁判のときに、証言しなかったとぼくは聞きました。>講談社は裁判時に<原作>が、決して水木さん1だけで作られたものではない「マンガ編集界の事情」説明に証人台に立たなかったのである。>少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた今までのやり取りで、貴兄のこれらの発言が「事実誤認」であるという事はご納得いただけましたか。そしてこれらの「事実誤認」は、貴兄が「講談社(作品の企画段階から第三部終了までを担当していた編集者及び版権管理部門責任者)が、裁判でいがらし氏の申し立てが事実ではない、水木氏は連載当時から原著作者に位置づけられていた、という内容の陳述書を提出した」という事実を知らずに発言したことが原因と考えられますが、いかがでしょうか。仮にその事実を知った上で、意図的にその事実を隠して「情報操作」を目的としてこれらの発言を公にしたというのならば、講談社及び水木氏に対する誹謗中傷であり、事によっては名誉毀損の訴訟にまで発展するレベルのものです(「講談社が裁判で証言しなかった」事自体が虚偽である以上、その理由として単なる憶測で「いがらし側が講談社ヌキで」ウンヌンという事を言い立てるのは、虚偽に虚偽を重ねた発言ですね)。貴兄に悪意がなく、本当に事情を知らなかったとした場合、判決の重要な決め手となった講談社の陳述書に関して、そして講談社が仲裁の為にいがらし氏を諌めた事について、シンポの席上及びいがらし氏との私的なお付き合いの間で、まったく話題に上らなかったというのは、ごく素直に考えても非常に不自然ですね。この「不自然さ」をどう受け止めておられますか。安藤氏の著書で報告された内容と、貴兄がいがらし氏から聞いた「実情」の間には、大きな隔たりがあると思われますが、その「隔たり」は何故生まれたのだとお考えですか。まだお若い安藤氏が、長い時間をかけ貯金を食いつぶし、髪の毛が抜けるほどのストレスを重ねながら、愚直なまでに地道な取材を重ね、一つ一つの事実の裏をとり本を書き上げた姿勢を見て、裁判資料を一つも読まず、いがらし氏の言葉を鵜呑みにし、憶測と思い込みを元に、事件被害者である水木氏に対するセカンドレイプに等しい発言を公の場で繰り返し、今もって何の反省もない御自分と引き比べて、何も感じるところはないのですか。水木氏がHPで書かれた>事件の検証もせず、一方的に水木を貶めることがいっそう作品の再生を阻んでいることにさえ気がつかないような人々とは、まさに貴兄のような姿勢の人物を指している、という自覚はお持ちではないのですか。>揚げ足取りゴッコは、キャンディの将来に対して無意味と考えます。貴兄はどうお考えなのですか。私の考えを知りたいのならば、以下のURLのブログを一読下さい。http://blog.goo.ne.jp/lilac_sakura/e/0545612abd96fff8ab77da2067f0058fコメントには水木氏ご本人も参加していらっしゃいます。水木氏に確認したい事、おっしゃりたい事があるのなら、遠慮なくどうぞ。「お詫びしたいと考えます」と言うのなら、私にではなく、まず水木氏に詫びるべきでしょう。(ちなみに私は法曹資格は持ちませんが、大学で法学を修めた三十代の女性です)また、これもぜひ確認しておきたいのですか、>水木さんは、講談社本に関してだけOK〜ということなんでしょうかね?フォーラムのときには、いがらしサンからはそのようなお話しは出ませんでしたので驚いております。との事ですが、いがらし氏は講談社本絶版に関して、貴兄にどのような説明をしたのでしょう。水木氏側の事情説明は、公式サイト掲示場ログのKCコミックスの<契約解除>について ◆ 水木杏子 2001-12-16 (Sun) 18:28:58http://www.k-nagi.com/nagisys1204.htmlKCコミックス<休眠>のお知らせ ◆ 水木杏子 2001-11-25 (Sun) 21:48:45http://www.k-nagi.com/nagisys1126.html・・・にあります(「なぜか過去ログにも見られない」とのコメントがあったので、リンクを書き込んでおきます)。>「マンガ制作」と「マンガ原作」の関係の特殊事情があるとも考えられるので、その件に関する水木氏の考えも、公式サイト上に公表されております。次回シンポジウムのご参考にご一読ください。http://www.k-nagi.com/komado/mado2001_haru.htm』
nagatani 『繰り返し申し上げます。小生は、水木・いがらし両氏を誹謗する意思は全く持っておりません。講談社においておや!です。お二人の和解がいつか成立しますように願っています。お二人のトラブルには介入する積もりはありません!マンガ製作者とマンガ原作者との関係を編集サイドを交え、キャンディ裁判とは別途に論議し、トラブルを未然に防ぐ方途を考えたらいいかと思います。あなたと噛み合わないのは、あなたがぼくを何故か陥れたいからでしょうね。サッパリ分かりません。事実認定が間違っていたらお詫びしますとも申し上げました。これ以上、論議を複雑にするとまたまたムダな時間が増えるだけですよ。小生はライターの安藤さんの誠実な取材には感心して、また尊敬もしております。彼からのお電話には、ぼくなりのご返事をしております。でもキャンディの件では知ることが少ないぼくです。何もお役に立てませんでした。「封印」を解除する方向でが見えるよういがらしさんが、水木さんに、より誠実に対処なさるように願っております。美術館の方から、原画を展示し、また水木さんから訴えられた〜というメールを頂き、それはあまりにも非常識ではないかという趣旨のご返事も差し上げました。内部事情を知らない方のご意見として伺った〜というリメールが来ましたが…。古傷を関係者が引っ掻く愚行とも考えています。以上、全て、ぼく個人の考えです。マンガ学会とは無関係ですので、また揚げ足取りはなさらないように。これ以上、ぼくから言うことは無く、繰り返しになります。フレームアップはもう沢山ですので。』
Aa 『ジャングル黒べえのほんとうの原作者はあの宮崎駿だそうですね
『リトル・ニモの野望』という回想本にでてくる話なのですが
あれのTVフィルムを東京ムービーの社長さんがフライシャー兄弟にみせたところ
スタッフが大激怒して映写幕のまえに立ちふさがるひとまでいたそうです
黒人差別は超タブーなんですね』
あんころ 『ウィンザー・マッケイのリトル・ニモを見ると、腰ミノをつけ髪がチリチリの黒人が出ていますけどね。』
Aa 『黒人娘(ぶあつい唇がせくしー)のシンデレラ・アニメというのを
以前どっかでみかけたことが』
nagatani 『>封印。
とりえずキャンディの部分までを読みました。
水木杏子さんから、いがららしさん側応援団のように
HPでも書かれていますので…。
ちょっとこれは違うんですよね。フォーラムへぜひ
水木さんをお呼びしたい。そして講談社に和解の労を
取って欲しい。
そのため、いがらしさん側は最大の譲歩というか、
お詫びの気持ちを表明していくべき〜というのが
ぼくのスタンスです。
マンガ原作の特殊性は、一応最高裁の判決をふまえ
新たな見解を皆で検討し、今後のトラブルに備える〜
ということです。
ところがいがらし関係の美術館は、判決後も
原画展示を行って、水木さんから訴えられて
いる!
先日、その方からメールをもらいました。
でも「部外者」には分かってない!という
無反省なご意見にびっくりでしたね。
「こりゃダメダ〜〜〜」って感じです。
黒ベエ、これから読みます。』
イソノ武威 『>フォーラムへぜひ
水木さんをお呼びしたい。そして講談社に和解の労を
取って欲しい。
「お呼びしたい」もナニも、そもそも精華大のシンポからは、原著作者・水木杏子さんには出席のオファーがなかったそうですが?
「対立する陣営の一方の側だけを呼んで、一方的な主張をさせる」というのは、俗世間では、symposium ではなくpropaganda と言うんですがね。
ポーズだけでなく、本気で水木さんを呼びたいというのなら、前回のシンポのテープを提出の上、正式にオファーを出してはいかがですか。
とりあえず、リンク先のブログで呼びかけてごらんなさいな。
http://blog.goo.ne.jp/lilac_sakura/e/0545612abd96fff8ab77da2067f0058f
もう一つ、これはぜひこの場で明快なご回答をいただきたいのですが、
講談社が裁判の際に
「水木杏子は『キャンディ』の連載当時から、原著作者として法的な位置づけがされていた」
「漫画『キャンディキャンディ』は水木杏子の考えたストーリーに基づいて製作された」
と陳述書を提出している事は、勿論ご存知ですよね。
いがらし氏当人はもとより、わざわざ講談社に出向いて取材をした牛木弁理士がその点については熟知しているはずですから、長谷さんもその二人から聞いているはずですよね。
にもかかわらず、2005-03-22のコメントで
# nagatani 『少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは
当初言われるままに書かされてきた(まあ、間に編集が居る
わけですが)そんな時代の屈辱感・怨念が、トシを経て
噴出してきた〜そんなふうに感じます。
「心の傷」深いんですね。
でもその傷を癒すために著作権を振り回すのが
問題。金銭的にこれを解決し、まず傷を半分
回復するのが、作家としての社会的責任だと
思うんです。』
・・・等と書いているということは、事実上長谷さんが
「講談社が裁判で偽証した」
と告発していると解釈して、よろしいですね?
このような告発をする以上、余程しっかりした事実の裏付けがあっての事と思いますが、差し支えのない処までで結構ですから、どのような根拠に基づいて「講談社が偽証した」と判断したのか、教えていただけませんか?
ついでに、同じく1970年前後にデビューして、多くの作品を執筆していたにもかかわらず、いがらし氏が「少女マンガの女王」で水木(名木田)氏が「新人」あつかいなのは何故ですか?
その点もご説明願いたいのですが。
参考サイト
http://www1.odn.ne.jp/lilac/ajisai/index_ajisai.html』
nagatani 『>フォーラム
これは京都精華大の主催で、小生はコメンティターとして
参加を求められました。開催前夜、いがらしさんにお会い
して、この裁判についてのお話しを伺いました。
水木さんが参加した方がよい〜という点は、このときに
話しましたが「わたしが電話しても、弁護士までが
一方的に電話を切り、話し合いに応じない」とのこと
でした。
でも、別の機会に水木さんだけでもお呼びしてフォーラム
で、お話しを伺いたいとの考えをぼくは持っております。
しかし、このフォーラムを再開すべし、という権限を小生は
持っておりません。
>講談社が裁判で偽証
ぼくは<告発>などしていません。
判決が出てしまっていて、いがらし側が完全に負けた〜
というのは、明白な事実です。
裁判も傍聴したこともありませんし、裁判資料も読んだ
わけでもありません。<事実の裏付け>などが、ぼくに
出来るはずはありません。
お二人が和解された方がいいのではないでしょうか〜という
一人のマンガ家・読者として考えているということです。
その件について、いがらしさん側が、現在どうお考えかも
知りません。
ただ、判決が出ているのに、まだドロドロしたトラブルが
継続している、この状況を改善するには、<作品制作の
出発点にもどって、話し合う方がよい>と考えていると
いうことです。これはぼく個人の考えです。
講談社とは契約解除してしまっているので、無意味〜
あるいは、講談社がもうこのトラブルには感知しない〜
ということになれば、この提案も無意味ですね。
ぼくが<偽証>と判断云々は誤解ですよ。
「講談社さん、ここはお二人の利益、マンガの愛読者の
ために、メンドウみてくれませんか」というのがぼくの
願いです。
>水木氏が「新人」扱い。
これは、当時の少女雑誌・マンガ編集に携わった方々に
お聞きになって下さい。
結局、「人気」の差、ということではないでしょうか。
文字の作家とマンガ家とを「人気」で比べるのは、
ナ〜〜ンセンス!!ということはラクに言えます。
編集現場の実情ではないでしょうか。
もし名木田恵子先生が当時、いがらし先生並みの
人気を誇っておられたら、彼女の原作を無視する
ような態度で、マンガ・ネームを進行し作品制作を
進められるいがらし先生に、はっきりクレームを付け、
その原作仕事を降りる!と堂々宣言できる立場だった
と考えます。
いがらしさんは「マンガのラストなんか、わたしはもう
考えてあったから、シナリオ無視で描いたのよ。なのに
原作者が1次創作者になって、わたしが2次〜おかしい」
などと、お会いしたときにお話しされていました。
これは、いがらし先生の考え方がおかしい。
これでは原作者の立場はありません。原作者は
傷つきますよ。
原作者HPでは、ぼくはいかにもいがらし側に立って
発言といったニュアンスで書かれていますが、誤解です。
★上記のような事態が起きやすいのが、マンガ原作・
マンガ作画での特殊事情です。
いがらしさん側は、そうした事情を、今回のトラブルの
中で主張したりしていますが、これでは、裁判が進行
しなくなります。
判決は出されてしまいました。
この特殊事情はキャンディだけに起きた問題ではない
のです。ですから、トラブル内で論議するのではなく、
「マンガ創作」という、日本の裁判史上では、ほとんど
未体験ゾーンの課題という視点から、関係者(編集者・
マンガ家・原作者・版元)が集まって、論議・検討を
すべきもの〜というのもぼく個人の考えです。
あなたのご質問に対するお答えになったかどうか
分かりませんが、ぼくが現在考えているのは
およそ以上のことです。
そして「著作権者」は、法によって守られる
だけでなく、社会に対しても責任を持って
いるのではないだろうか〜とも考えています。
キャンディを読みたい〜という読者に
おふたりが今後どう応えていくかを
見守りたいと考えます。
そして、京都精華大学が、再度、名木田先生を
ゲストにフォーラムを開く〜といったことがあれば
ぼくも参加させていただきたいとも思います。
(参考サイトは拝見せず書きました。ご了解下さい。)』
イソノ武威 『*>「わたしが電話しても、弁護士までが
一方的に電話を切り、話し合いに応じない」
つまり、シンポの主催者側はいがらし氏の言葉を鵜呑みにして、誰一人として水木氏に実際に電話をかけて確認することをしなかったのですね?
*>「講談社さん、ここはお二人の利益、マンガの愛読者の
ために、メンドウみてくれませんか」
安藤氏のルポにある通り、講談社は既に両者の仲裁のために尽力し、いがらし氏に「水木氏に対する侵害行為を止め、謝罪するように」と申し入れておりますが?いがらし氏はその講談社の尽力に唾をするような態度をとっているのですが、その事をどうお考えですか。
*>マンガ・ネームを進行し作品制作を
進められるいがらし先生に、はっきりクレームを付け、
その原作仕事を降りる!と堂々宣言できる立場だった
と考えます。
『児童文芸』1980年陽春臨時増刊号初出、『マンガ批評大系4マンガ家は語る(1989年平凡社)』再録の、名木田恵子(水木杏子)氏のエッセイ「我が友、キャンディ」には、まさしく原作の展開に関して作画者からクレームが来た際、何度か「原作を降りる」とゴネて脅して(無論これはユーモアとしての表現ですが)、自分の作家性を通した、という裏話が書かれています。
このエッセイは、裁判で証拠品の一つとして提出されました。
また、連載後半に作画者に無断で原作を改変された際、物語の進行に支障をきたす様な改変の場合は、厳しく抗議して単行本収録の際には原作どおりに描き改めさせたそうです。その証拠品も裁判に提出され、担当編集者も水木氏の証言を裏付ける陳述をしています。
*講談社は裁判において、「水木氏がいがらし氏の言うなりになって脚本を書かされていた」といういがらし氏の申し立ては「事実ではない」、という内容の陳述書を提出しています。
にもかかわらず貴方が公の場でその陳述に反する事を「事件の真相」として繰り返し発言するということは、貴方が「講談社の陳述は虚偽である」と主張していると受け取られても致し方ないと思いますが。どこに「誤解」の余地があるのでしょうか。
*長谷さん及び漫画学会の本裁判への見解は、「最高裁で水木氏に原著作者の地位が与えられたのは、漫画製作の実情に即さない残念な結果である」というものと理解しております。
しかし、この判決は「漫画の連載当時から講談社編集部が水木氏を原著作者に位置づけていた事」を、再確認したものに過ぎません。
この最高裁判決が理不尽なものであるなら、そもそもの講談社の漫画作画者に対する待遇自体が理不尽なものと言えましょう。
漫画学会及び長谷さんは、この「漫画作画者に対して理不尽な待遇を強いる」講談社に対して、今後待遇改善要求や抗議等をしていく意思はありますか。
*これは非常に重要な点なので、明快な回答をいただきたいのですが、2005-03-22 発言中の
>ところが、講談社は裁判時に<原作>が、決して水木
さん1だけで作られたものではない「マンガ編集界の
事情」説明に証人台に立たなかったのである。
これが、ちょっとどうか!とぼくは怒ったのだが、
商品化が動きだしたとき、いがらし側が講談社ヌキで
行っていた〜という事情がからんでいたらしい。
は、「講談社が自分達に逆らって単独でキャラクタービジネスをしようとしたいがらし氏に対する制裁のために原作者の肩を持った」
という主旨の発言と受け取ってよろしいでしょうか。
事実無根であるならば、講談社から名誉毀損で訴訟を起こされる程の重大な発言ですが、この「事情」とやらは、どのようなソースで耳にされましたか。
以上、よろしくご回答お願いします。』
nagatani 『>最高裁判決は
すでに出ております。そして、現状ではこの考え方にそって
いがらしさん側は対応すべきと考えています。
「マンガ制作」と「マンガ原作」の関係の特殊事情があるとも
考えられるので、これは最高裁裁判とは別途に考えていくこと
も必要ではないか〜マンガ界が、この件にどのような統一見解
を出せるのか?
時間の掛かることだと思います。しかし例えば「日本漫画家協会」などから、統一見解が出せれば、今後の著作権契約や
トラブルに関し、有効な手立てに<なるやも知れません>。
裁判官がどう考えるようになるかは、当方の予測を超える
ものです。
>講談社がいがらし氏に対する制裁〜
そのような事実があったなどとは、全く関知しませんし、
肩を持ったなどとも考えておりませんよ!
<和解>の労をとっていただけたら、いいなあ〜〜との
願いを持っているだけです。
その願いをぼくが<個人>として、社に具申するなど、
具体的な行動を取るということはありません。
ひとつの「案」ですよ。
>いがらし側が講談社ヌキで
どうも、そのような雰囲気が濃厚のようですね。
ただ、ぼくはそれが事実とかウソとかいう権利も
情報も持っておりません。
ですから水木先生のお話しも聞くフォーラムが開催できたら
いいな〜と申し上げています。
ただマンガ学会がそう考えているのか〜とかいうことになり
ますと、現状では<考えていない>のではないでしょうか。
著作権部会では、裁判についての話をしているようですが
ぼくは参加しておりません。
精華大学のフォーラムのみです。
ぼくの考え方とマンガ学会の考え方〜をゴッチャにしないで
下さい。ぼくは学会理事ですが、学会の統一見解はまだ無い!
と認識しております。
やたら騒ぎを大きくするような言動で、小生の発言を歪曲
されませんようにお願い致します。
「明快な回答」が出せない、複雑な事情が何年も継続して
いるわけですよね。
ぼくは、フォーラムの前夜・当日の2日間のみでしか
関わっていないのです。
ですから、核心に触れることも困難です。
比較的に一般論的見地から考えを述べさせていたいています。
講談社から、なぜぼくが名誉毀損で訴えられる??????
全く理解できません!!!!
揚げ足取りゴッコは、キャンディの将来に対して無意味と
考えます。貴兄はどうお考えなのですか。
どうも良く理解出来ません。ぼくの発言の中には、無知から
くる誤解などあるやも知れませんが、いずれにしろ、最高裁
判決をしっかり認めたうえで、いがらしさんも行動していただき
たいし、水木さんには<封印>を解く手立てを、今後とも
お考えいただきたいな、と、この二つのことだけを願って
おります。
それ以外の考え方を、ぼくが書いてしまっていたら
それはぼくの誤りです。お詫びしたいと考えます。
この点に関しましては「明快」です。』
イソノ武威 『>講談社から、なぜぼくが名誉毀損で訴えられる??????
全く理解できません!!!!
どうも、話がかみ合いませんね。再度確認します。
>やはり裁判官がマンガ家〜原作者の関係
をのみ重要視して、判決文が書かれてしまった
という理不尽さである。
>当時、圧倒的にいがらしサンのペースで仕切られていた
ことに対する、怨念が<封印>というかたちで噴出したのかも。
>他社へ著作権を移し
そこから新たに別バージョンのシリーズを刊行していたので、
講談社は裁判のときに、証言しなかったとぼくは聞きました。
>講談社は裁判時に<原作>が、決して水木
さん1だけで作られたものではない「マンガ編集界の
事情」説明に証人台に立たなかったのである。
>少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは
当初言われるままに書かされてきた
今までのやり取りで、貴兄のこれらの発言が「事実誤認」であるという事はご納得いただけましたか。
そしてこれらの「事実誤認」は、貴兄が「講談社(作品の企画段階から第三部終了までを担当していた編集者及び版権管理部門責任者)が、裁判でいがらし氏の申し立てが事実ではない、水木氏は連載当時から原著作者に位置づけられていた、という内容の陳述書を提出した」という事実を知らずに発言したことが原因と考えられますが、いかがでしょうか。
仮にその事実を知った上で、意図的にその事実を隠して「情報操作」を目的としてこれらの発言を公にしたというのならば、講談社及び水木氏に対する誹謗中傷であり、事によっては名誉毀損の訴訟にまで発展するレベルのものです(「講談社が裁判で証言しなかった」事自体が虚偽である以上、その理由として単なる憶測で「いがらし側が講談社ヌキで」ウンヌンという事を言い立てるのは、虚偽に虚偽を重ねた発言ですね)。
貴兄に悪意がなく、本当に事情を知らなかったとした場合、判決の重要な決め手となった講談社の陳述書に関して、そして講談社が仲裁の為にいがらし氏を諌めた事について、シンポの席上及びいがらし氏との私的なお付き合いの間で、まったく話題に上らなかったというのは、ごく素直に考えても非常に不自然ですね。
この「不自然さ」をどう受け止めておられますか。
安藤氏の著書で報告された内容と、貴兄がいがらし氏から聞いた「実情」の間には、大きな隔たりがあると思われますが、その「隔たり」は何故生まれたのだとお考えですか。
まだお若い安藤氏が、長い時間をかけ貯金を食いつぶし、髪の毛が抜けるほどのストレスを重ねながら、愚直なまでに地道な取材を重ね、一つ一つの事実の裏をとり本を書き上げた姿勢を見て、裁判資料を一つも読まず、いがらし氏の言葉を鵜呑みにし、憶測と思い込みを元に、事件被害者である水木氏に対するセカンドレイプに等しい発言を公の場で繰り返し、今もって何の反省もない御自分と引き比べて、何も感じるところはないのですか。
水木氏がHPで書かれた
>事件の検証もせず、一方的に水木を貶めることがいっそう作品の再生を阻んでいることにさえ気がつかないような人々
とは、まさに貴兄のような姿勢の人物を指している、という自覚はお持ちではないのですか。
>揚げ足取りゴッコは、キャンディの将来に対して無意味と
考えます。貴兄はどうお考えなのですか。
私の考えを知りたいのならば、以下のURLのブログを一読下さい。
http://blog.goo.ne.jp/lilac_sakura/e/0545612abd96fff8ab77da2067f0058f
コメントには水木氏ご本人も参加していらっしゃいます。水木氏に確認したい事、おっしゃりたい事があるのなら、遠慮なくどうぞ。「お詫びしたいと考えます」と言うのなら、私にではなく、まず水木氏に詫びるべきでしょう。
(ちなみに私は法曹資格は持ちませんが、大学で法学を修めた三十代の女性です)
また、これもぜひ確認しておきたいのですか、
>水木さんは、講談社本に関してだけOK〜ということなんでしょうかね?フォーラムのときには、いがらしサンからはそのようなお話しは
出ませんでしたので驚いております。
との事ですが、いがらし氏は講談社本絶版に関して、貴兄にどのような説明をしたのでしょう。水木氏側の事情説明は、公式サイト掲示場ログの
KCコミックスの<契約解除>について ◆ 水木杏子 2001-12-16 (Sun) 18:28:58
http://www.k-nagi.com/nagisys1204.html
KCコミックス<休眠>のお知らせ ◆ 水木杏子 2001-11-25 (Sun) 21:48:45
http://www.k-nagi.com/nagisys1126.html
・・・にあります(「なぜか過去ログにも見られない」とのコメントがあったので、リンクを書き込んでおきます)。
>「マンガ制作」と「マンガ原作」の関係の特殊事情があるとも
考えられるので、
その件に関する水木氏の考えも、公式サイト上に公表されております。次回シンポジウムのご参考にご一読ください。
http://www.k-nagi.com/komado/mado2001_haru.htm』
nagatani 『繰り返し申し上げます。
小生は、水木・いがらし両氏を誹謗する意思は全く
持っておりません。
講談社においておや!です。
お二人の和解がいつか成立しますように願っています。
お二人のトラブルには介入する積もりはありません!
マンガ製作者とマンガ原作者との関係を
編集サイドを交え、キャンディ裁判とは
別途に論議し、トラブルを未然に防ぐ
方途を考えたらいいかと思います。
あなたと噛み合わないのは、あなたが
ぼくを何故か陥れたいからでしょうね。
サッパリ分かりません。
事実認定が間違っていたらお詫びしますとも
申し上げました。これ以上、論議を複雑にすると
またまたムダな時間が増えるだけですよ。
小生はライターの安藤さんの誠実な取材には
感心して、また尊敬もしております。
彼からのお電話には、ぼくなりのご返事を
しております。でもキャンディの件では
知ることが少ないぼくです。
何もお役に立てませんでした。
「封印」を解除する方向でが見えるよう
いがらしさんが、水木さんに、より誠実に
対処なさるように願っております。
美術館の方から、原画を展示し、また水木さんから
訴えられた〜というメールを頂き、それはあまりにも
非常識ではないかという趣旨のご返事も差し上げました。
内部事情を知らない方のご意見として伺った〜という
リメールが来ましたが…。
古傷を関係者が引っ掻く愚行とも考えています。
以上、全て、ぼく個人の考えです。
マンガ学会とは無関係ですので、また揚げ足取りは
なさらないように。これ以上、ぼくから言うことは
無く、繰り返しになります。
フレームアップはもう沢山ですので。』