現在位置:asahi.com>ニュース特集>ミャンマー情勢> 記事 母親「狙い撃ちなのか」 現地入り断念 邦人記者死亡2007年09月28日15時43分 軍事政権への抗議デモが続くミャンマー(ビルマ)で取材中のカメラマン長井健司さん(50)が銃弾で死亡したことを受け、長井さんと契約していたAPF通信社の山路徹代表は28日午前、愛媛県今治市に住む長井さんの両親を訪ねた。「遺体を引き取りに行ってやらんとかわいそう」。年老いた母親はミャンマー入りを望んだが、「政情が不安定」と説得された。
愛媛県今治市内にある長井さんの実家では28日午前、父秀夫さん(82)と母道子さん(75)が報道陣の取材に応じた。道子さんは「昨夜は一睡もしていない。息子のことを色々と考えていたら全然眠れなかった。涙も出なかった」と訃報(ふほう)から一夜が明けた心境を語った。 両親は、長井さんの仕事がら、いつも紛争地のニュースに気を配っていた。アフガニスタンやイラクなどでの紛争の様子がテレビで放映されるたびに「心配だね」と話していたという。電話がかかってくると、「何かあったのではないか」と気をもんだ。 秀夫さんは、今回のような事態は「覚悟していた。自分が選んだ道だから仕方がない」と話した。 道子さんによると、27日夜、外務省などから知らせを受けた後、2人でテレビを見た。「倒れている息子に兵士が2発も銃弾を撃っているのがわかった」という。道子さんは「かわいそう。悔しいねえ」と下を向いた。 長井さんの海外での活動について、秀夫さんは「賛成ではなかった」という。しかし「弱い人たちのために力を尽くしていたのは、良かった」とも。道子さんは最後に「会いたい」とひと言だけ、つぶやいた。 一方、長井さんと契約していたAPF通信社の山路代表は28日午前10時すぎ、長井さんの実家を訪れた。 山路代表によると、秀夫さん、道子さんと親族の計4人が応対した。遺族側はミャンマーに遺体を引き取りに行くことを希望したが、現地の状況が不安定で政変の可能性もあることを説明。代わりに山路代表が現地へ入る方がよいと説得、遺族も了承したという。 この間、道子さんは「何でなの。何でなの。軍がねらい撃ちしたの」と訴えた。長井さんの妹(48)は終始、ハンカチで目頭を押さえていたという。 山路代表は「遺族は本当はミャンマーに行きたかった。その気持ちを我慢して、今回は残ることにした」と話した。山路代表はミャンマー入りするため、29日にもタイへ向かいたいとしている。
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