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【社会】

時津風部屋 無断で火葬準備 遺族「隠ぺい」批判

2007年9月27日 12時14分

死亡した斉藤俊さん

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 大相撲の時津風部屋の力士だった時太山(ときたいざん)=本名斉藤俊(たかし)さん、当時(17)=が愛知県犬山市でけいこ後に急死した問題。時津風親方(57)=同山本順一さん=は瓶で殴打したことを県警の事情聴取に認めたとされ、兄弟子たちの暴行には金属バットも使用されたという。新潟県に住む遺族は息子の死後の部屋の対応にも疑念を膨らませた。暴行か、国技としての厳しいけいこなのか。波紋が広がる中、日本相撲協会幹部らは「警察の捜査を待つしかない」と口をそろえた。 

 斉藤さんが急死した直後の6月26日夕、時津風部屋が遺族に無断で斉藤さんを火葬する準備をしていたことが分かった。遺族の同意を得ずに火葬することは異例で、新潟県に住む遺族からは「暴行の痕跡を隠そうとしたのではないか」と批判の声が上がっている。

 遺族によると、同月26日午後4時ごろ、愛知県の葬儀業者から斉藤さんの実家に電話があり「現地で火葬して新潟へ届けたい」などと言われたという。遺族が抗議したため、火葬は見送られた。時津風親方が翌27日に、斉藤さんの実家を訪れた際は「(火葬の手配は)隠すわけでやったのではない」と、暴行問題の隠ぺいについては否定していた。

 愛知県警の調べでは、時津風部屋の兄弟子らは名古屋場所前の26日午前11時ごろ、犬山市に設けたけいこ場で、斉藤さんに暴行を加えた疑いが持たれている。前日の25日には時津風親方もビール瓶で殴ったことを認めているとされる。

 斉藤さんは同日午後2時10分ごろ、搬送先の病院で死亡した。

 大相撲序ノ口力士の斉藤俊さんが死亡した問題で、師匠の時津風親方や兄弟子が死亡前日に暴行したと認めたことについて、日本相撲協会の幹部は26日、愛知県警の捜査を見守る姿勢を強調した。

 北の湖理事長(元横綱北の湖)は「警察が捜査中だから、間違ったことは言えない」とし、27日に開かれる親方が集まる師匠会にも「私から『(時津風親方に)来い』とは言わない」と語った。

 また、生活指導部長の伊勢ノ海理事(元関脇藤ノ川)は「53の相撲部屋には各師匠の指導方針はあるが、行き過ぎがあってはいけない。警察の捜査を待つしかない」と話した。

◆母後悔「逃げろと言えば…」

 新潟県に住む斉藤さんの両親は26日、「兄弟子たちが『俊を鍛える』と言うので頼もしかったのに」と悔しがった。

 亡くなる5日ほど前に斉藤さんに会った父親の正人さん(50)は「いい体になってきたな」と感じ、「相撲道の心を鍛えてほしかった。横綱や大関になれとは言わない。今頑張ればどんな社会でも通用するんだぞ」と、何度も逃げ帰ってくる息子に、心の中ではエールを送り続けていた。

 しかし、死亡翌日の6月27日に自宅に運ばれてきた遺体には、全身にあざや切り傷、足にはやけどのようなあとが数カ所にあり、顔は原形をとどめないほど変わり果てていた。

 当時、母親(42)も「入門して時太山というしこ名をもらったとき『僕名前もらったよ』って喜んで…。亡くなる前日に電話が来たとき『逃げろ』って言えばよかった…」と涙を流した。

 これに対し、謝罪と事情説明に自宅を訪れた時津風親方は「けいこをやれ、やれとばかり言えない。『もういいよ、やめ』とわたしは言うんですよ」と釈明していたという。

 「放っておいたらうやむやになる」と感じた正人さんらは、自ら行政解剖を依頼。愛知県警による真相解明が動きだす端緒となった。

 <時津風部屋> 時津風一門のトップで、角界屈指の名門。史上最多69連勝の不滅の記録をつくり「角聖」と呼ばれた第35代横綱双葉山が現役時代の1941年、「双葉山相撲道場」として設立。引退後、年寄「時津風」を襲名した。元大関豊山の跡を継ぎ、2002年8月から現親方の元小結双津竜が4代目として部屋を率いている。

 第42代横綱鏡里のほか、大内山、北葉山、豊山らの大関を輩出した。現在は時天空、豊ノ島、時津海が幕内で活躍するなど、力士15人を抱えている。

(東京新聞)

 

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