ちょっとそこまで、京都まで、の続きです。
「戦国時代展」。
ほんとのことを言うと、「戦国時代展」なんて、まったく期待していなかったのです。
だって、日本各地で戦禍が入り乱れていた時代。
どこの地方にもそれぞれの悲劇や事情があったのですもの、それをただ、ひとつの時代でちょん、と輪切りにして見せられても、なんだか薄っぺらい内容になるんじゃないかな、と思って。
でも、結果から言うと、展示内容には大満足でした。楽しめましたよ。
京都での開催だけれど、京都由来のものばかりではなく、日本各地から集められた膨大な資料の数々。
戦国時代、地方の各大名がそれぞれに権勢を競い合ったことで、それまで京都や畿内に偏っていた文化や富が、列島のあちこちに広がったことが実感できました。
各資料の貸し出し元の美術館や博物館の名前を見るのも楽しかったです。
京都だけでなく、静岡、山口、山形、群馬・・・あまりにもたくさんの施設の名前があって、この「戦国時代展」に関わった人の多さに驚きました。
展示物の写真は撮影できませんでしたが、1枚だけ。
美術館内部ではなく、中庭のようなところに小さな石仏群が。
織田信長がお城などを建築する際、建築資材として使用されたものが発掘調査で発見されたものだそうです。
山から掘り出され、仏さまとなって人から拝まれ、ある日を境に今度はお城の階段なんかに利用されて、人から踏まれ、また時代が下ると今度は博物館の資料として大事にされる・・石として、なんとも波乱万丈な「一生」ではありませんか。
石仏をお城の階段や石垣などに利用したのは信長だけではなかったと思いますが、それでも信長の、神仏をも畏れない性格を現すエピソードとして、こういった展示物は説得力があるのでしょう。
信長のそんな性格、個人的には嫌いではありません。
「石材が足りひん?そこにあるやん。使えるやん。
は?仏さまの格好してる?元はただの石やで?今も単なる石やで!
今すぐ俺に首刎ねられるのと、ただの石ころとどっちがコワい?
俺を拝んどった方がご利益あるで!」
なんて言ったかどうかは知りませんけど、些細なことで人が簡単に命を落とした時代に、迷信や俗信をあっさりと捨て去るのは、今よりずっと難しいことだったでしょう。
つくづく、信長という人の合理的精神は見上げたものだなと思います。
また、満足な顕微鏡もない時代に、ここまで合理的精神を保てる人間がいたというのに、現代に至ってもまだ、迷信に振り回される人がいるということは、なかなか興味深いことのように思います。
時代や科学の進歩と、人間の精神の円熟度とは、単純には比例しないものなのかもしれません。
同時に、石仏を建築資材に流用した信長の判断について、
「有りかな。めっちゃ合理的。」
と好意的に捉えられるのに対して、例えばタリバンによるバーミヤン石仏の破壊や、ISISによるシリア遺跡群の破壊については、どうにも嫌悪感しか感じられず、「野蛮」としか思えないのは、自分でも説明がしにくい問題です。
建設のための「利用」なら理解できても、「破壊のための破壊」には嫌悪感があるのかな。
それとも「異教を認めない」その不寛容さに辟易する部分があるのでしょうか。
博物館の中庭で、寡黙にただそこにあるだけのこの石仏を見ていると、なんだかとても不思議な気がしました。
ちなみに、この、「日本の」戦国時代展なのに、余計なことをたくさん考えさせられる展覧会、京都での開催はすでに終了しています。
次は山形・米沢で4月29日から開催予定なんですって。
刀剣、旗、甲冑、肖像画、それから夥しい数の書類や手紙。
とっても楽しめますので、お近くの方はぜひ。
おまけ。
先日、山菜さまのブログを読んでいて・・・
「これ、桜なの?」のお花の写真に目が釘付けになりました。
私も、おそらくおんなじお花を見て「これって桜?なんていう花?」ってずっと気になっていたから。
このお花ね。
山菜さま、このお花ですよね?おんなじでしょう?
ご近所で、ソメイヨシノから少し遅れて咲いていたのですが、まだ小さい灌木で(これから大きくなるのかも・・・わかんないけど)、でも真っ白な八重の花びらがとても目を引くお花でした。
なんていう名前なのか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけるとうれしいです。
おまけのおまけ。
今、この記事の下書きを読んだ娘から、「石仏を見て、ISISのことを考えるなんて、発想が飛躍しすぎ。唐突すぎ。」ってダメ出しをくらいました。むか。