愛犬を家族として正式に認め、ペットロス休暇を取らせるべき
回数的な限度を設けるのは必要だが、毎年発生する訳でもない『愛犬の死』の機会には、会社の配慮で忌引き休暇を与えても良いのではないか。
この僕も現在、ダックスフンド(15歳)を飼っているため、お別れの日がいつ訪れてもおかしくない。
犬や猫など、比較的寿命の長い生物を飼ったことがある人であれば、ペットは人間と等価の存在であるという気持ちを持ったことがあるはずだ。
最愛のペットとの別れで『ペットロス*1』を引き起こし、精神的な狂いを起こして博打に手を出し、多額の借金とともに転落人生を送る者も数多くいる。
愛犬は特別な存在であり、時として人間の価値を超える
月並みな表現になるが、ペットは家族の一員なのだ。
同僚の結婚式や上司の葬儀に参列している暇があれば、命の炎が残り少ない愛犬と『絆』を深めたい。
そこまで極端に考えさせられるほどに、愛犬は飼い主にとって強固な心の支えなのである。
ゆえに会社の福利厚生として、『忌引き休暇』は必須であり、出来ればエサ代、治療代なども補助金として出して頂きたい。
禁煙手当てや、ダイエット手当を出す会社も増えているのだから、ペットロス対策としての施策をもっと考えた方が良い。
このペットロス問題というのは、会社におけるメンタルヘルス・マネジメントの一つとして真剣に検討・対策すべき課題である。
破壊的社畜の「割り切れ」という言語的暴力 傷だらけの愛犬家
世間の一部の人たちは、冷酷非道な心を持って生きている。
◼4人に1人はペットの死で休むのに厳しい目
(全国10代~50代男女361名に調査)
・ 社会人として、ペットを理由に会社を休むのはどうかと思う。ほかの人に迷惑がかかることを考えてほしい(40代男性)
・ 辛い気持ちもわかるが、仕事は仕事と割り切って出てくるべき(30代男性)
「割り切る」という冷たいワードによって、破壊的社畜は愛犬家を追い込もうとする。
一体全体、「割り切る」とはなんなのか?
「皿が割れたら廃棄処分して、代用品を入手しろ」と命令してくるかのような、その憎らしい言い様。
割り切れ……割り切れ……割り切れ……。
「人の心を腐らせ、冷め切ったマシンのように仕事をしろ」と洗脳を施してくる。
人はなぜ働くのか? 金のためか? 地位のためか? 名声のためか?
割り切るという言葉の砲弾によって、人類としての『幸福』が砕け散ってしまう。
幸せを願うな売り上げ達成を願え、幸せに浸るな仕事に浸れ、幸せに酔うな上司が注ぐ酒に酔え。
これが現代社会における、僕たち労働者(捨て駒・捨て石・消耗品)に課せられた、『不幸労働』というものなのだ。
前科も悪意もなく、ただ一生懸命生きて来たのに、『愛犬との最期の時間』すら満足に享受出来ない人々が大勢いる事実。
会社のために食え、会社のために寝ろ、会社のために起きろ、会社のために生きろ。
これだけ文明が発達したにも関わらず、僕らのような労働者は、不幸電車に乗り、不幸出勤し、不幸勤務し、不幸業務をこなし、不幸残業を命じられ、不幸退勤し、不幸に不幸を重ねて出来上がった不幸の螺旋階段を駆け上がり、不幸にも最期を遂げる。
これは異常性のある主張なんかではない。
日本人の4人に1人もの人間が、怜悧な目つきで、そうした不幸を押し付けてきているも同じだからだ。
持ちうる愛情の全てを注ぎ込んで育成した、究極の家族であり、究極の親友でもある愛犬。
たった一度きりの出会い、たった一度きりの別れ。
これほどに崇高で貴重で深刻な『愛犬との物語』を、「割り切る」という安い言葉で穢して良いはずがない。
上司より愛犬に愛を。
*1:ペットとの別れが原因で飼い主に生じる心理的な打撃。大辞林