鎌倉時代の京都でオーロラが見えた!古文書から解き明かす太陽活動
国立極地研究所などの研究グループは、百人一首で知られる鎌倉時代の歌人、藤原定家が残した日記などを手掛かりに、1200年代の京都で「赤いオーロラ」が出現した事実を突き止め、平安時代から鎌倉時代にかけて300年間に及ぶ太陽活動を解明した。
オーロラは、太陽から吹き出すプラズマ粒子が、オゾン層よりも上空の電離圏で、大気中の粒子と衝突して発光する現象だと考えられており、発生メカニズムには謎も多い。
太陽は約11年の周期で黒点の数や爆発現象(フレア)などの太陽活動のピークを迎えるが、太陽活動が激しくなると、磁気嵐が発生してオーロラが観測されるばかりか、人工衛星の故障を引き起こし、地上では大規模な停電や通信障害などのトラブルを招くケースがあることから、米航空宇宙局(NASA)など各国の研究機関で、太陽フレアの監視を続けている。
国立極地研究所の片岡龍峰准教授や国文学研究資料館などの研究グループは、藤原定家が残した日記『明月記』に着目。そのなかには「建仁四年正月十九日(1204年2月21日)、京都の夜空に “赤気”が現れて恐ろしい」とあり、二日後にも「山向こうで起きた火事のような赤気が出現」と記述されている。
現存する日本の文献では最古の「オーロラ」の記録にあたり、ほかにも国宝『御室相承記(おむろそうしょうき)』に、同月21日〜23日にかけて三日連続で「赤気」が現れたという記述があるという。
グループはさらに中国の歴史書『宋史』に「1204年2月21日に太陽の黒点が大きかった」という記述を発見。過去2000年間の地球の磁場について解析した結果、1200年ごろは、地磁気の方向から見て、日本でオーロラが最も観測しやすい時期だったことを突き止めた。
宋史をさかのぼって調べたところ、900年代から1200年代までの300年間で、オーロラが見られた記録を十数例ほど特定。太陽活動の周期とも一致したという。
片岡准教授は、「自然科学と人文科学という異分野の研究者が協力することで、過去の宇宙環境を調べる手がかりが800年前にも存在することがわかった」と述べて、今回の研究成果を将来の「宇宙災害」への具体的な対策に役立てたいとしている。
なおこの研究成果は、米地球物理学会の学術誌『スペース・ウェザー』電子版に掲載された。