1993年、埼玉県大里郡で起きた「埼玉愛犬家連続殺人事件」。
ペットショップ「アフリカケンネル」を経営していた関根元と風間博子夫妻(1993年に離婚)が、80年代から90年代にかけて金銭トラブルなどから多くの人の命を奪ったとされる事件だ。
夫妻が殺人と死体遺棄の疑いで逮捕されたのは95年1月だが、それ以前から夫妻の周辺で行方不明事件が相次いでいるとの噂が広まり、テレビのワイドショーなどで「疑惑の夫婦」として連日報道されていた。
4人の殺害容疑で逮捕起訴された関根元・風間博子夫妻は09年に死刑が確定しているが、被害者の一人である遠藤安旦(やすのぶ)さんが現役のヤクザだったことも当時は注目された。犯人逮捕から20年余りを経た今、遠藤さんの親分だった髙田燿山氏が事件を振り返った著書『仁義の報復 元ヤクザの親分が語る埼玉愛犬家殺人事件の真実』が刊行、増刷もされ話題になっている。
◆被害者は30人以上?
「30人以上の生命を奪った」 しばしば関根はこう側近にうそぶいたといわれたが、実際に立件されたのは遠藤さんとその運転手、県内の会社役員と主婦の4人だけだった。いずれも犬や猫の殺処分に使われる硝酸ストリキニーネを入れたドリンク剤を飲ませて殺し、バラバラにした遺体を焼却することで証拠隠滅を続けていた。
「遠藤の遺骨は今も見つかっていませんが、まだ遺体も見つかっていない犠牲者はたくさんいるでしょう。被害者が4人でも30人でも死刑以上の刑罰はありませんから、警察が捜査から手を引いてしまったのです」
遠藤さんが生前所属していた髙田組(現在は二代目髙田一家)の元組長だった髙田氏は、怒りを隠さない。
当時の報道では、関根夫妻は県内の主婦やスナックのママ、トラック運転手など少なくとも7人の失踪への関与が取り沙汰されてもいた。
「関根が生まれ育った秩父でも勤務先のラーメン店主やヤクザなどを手にかけたという噂がありました。おそらく事実でしょうね。古い事件なので物証がなく、立件できなかっただけです」
殺した後に遺体をバラバラにして焼却し、灰を川に捨てることで、証拠はほとんど残らなかった。川の周辺で見つかった遠藤さんらと見られる骨片も高温で焼かれていたために、人物が特定できていない。
「川の周辺からは遠藤の自宅の鍵や私が贈ったライターなどは見つかっていますが、遺骨は誰のものかわかりませんでした。関根らは、ほぼ完璧な証拠隠滅を図っていたのです。ただしバラバラにして焼くのも手間がかかりますから、すべて焼いていたとは考えていません。何体かは関根の豪邸の庭に今も埋められているはずです」
物的証拠がほとんどない本件の「解決」には、元側近の証言があった。
「元側近が証言したのは自分だけが助かりたかったからでしょう。実際にこの側近は刑も軽く済んでいます。警察は、もっと丁寧に捜査すべきでした」
◆「最初から関根が怪しいと思った。直感のほうが正しいこともある」
なぜ、遠藤さんは殺害されたのか。
「関根は経営していたペットショップの客との金銭トラブルを多く抱えており、遠藤はその相談を受けていたと聞いていました。そうしたことで揉めたのかもしれません。関根はカタギなので、遠藤も油断していたのかとも思います」
だが、遠藤さんが行方不明になった時に、髙田氏は真っ先に関根を疑った。
「老子の言葉に『不出戸知天下』(戸を出でずして天下を知る)とありますが、外に出ていろいろな情報に振り回されないほうが、真実がわかることもあるのです」
直感でひらめいた「関根による犯行」を裏付けるために、髙田氏は関根と側近との電話を盗聴し、地元で有名な「拝み屋」に鑑定を依頼するなどして独自に調査を続けた。
「関根を自宅に呼びつけて、別室で待たせておいて拝み屋に話を聞いたんです。私はインチキだとわかっていましたが、関根は非常にビビっていました。簡単に人を殺すくせに、インチキな霊媒師のような者には弱い男なのです。その怖がり方を見ても、やはり関根が犯人だと確信しました」
その後に、組員たちと「関根が逮捕される前にトって(殺して)しまおう」と謀議を繰り返すことになるが、既に報道陣が関根の店や自宅に押しかけ、警察も警戒態勢に入っていた。
「いま問題になっている『共謀罪』があったら大変でしたけど(笑)、最終的には捜査に協力する形になりました。本書でもふれていますが、私が初代を務めた髙田組と髙田一家は、人を殺さないことを徹底し、子分にも指を詰めさせたこともありません。遠藤の仇を取れなかったことは今でも悔やまれますし、渡世から見れば情けないことかもしれません。いろいろな評価をされていますが、結果としてはよかったのだと思います」
組長としての責任の取り方も考えた。
「もちろん私がしっかりしていなければなりません。でも、ヤクザは人を殺すことの恐ろしさをよくわかっていますから、実はめったに殺すことはないんですよ。最近の殺人事件も、ほとんどが親族や顔見知りによるものですね」
◆「死刑執行の前にすべてを話してほしい」
アブない話も満載の本書だが、執筆は熟慮の末だった。
「私も不良として生きてきて、この件以外にも墓場まで持って行かなくてはならないことはたくさんあります。でも、癌を何度か患って余命を考えるようになり、遠藤のことだけはきちんと記しておかなくてはならないと思いました。まあ流行りの言葉で言えば『終活』であり、被害者へのレクイエム(鎮魂歌)でもあります」
髙田氏は穏やかに微笑むが、この事件における警察や検察への捜査への怒りは今もある。
「最近のヤクザは任侠道なんか忘れているようですが、関根はヤクザよりひどい存在ですよ。私利私欲のためだけに何人も殺してきたのです。2人には刑が執行されるまでにすべてを明かしてほしいですが、期待できないですね。私は、引退はしても任侠の道まで外れたつもりはありません。やはり弱きを助け、強きをくじくという『任侠道』が大切だと思っています」
すべての事件が明らかにならなければ、被害者の魂は浮かばれない。だが、果たしてその日は来るのか。
【たかだ・ようざん】
1945年、埼玉県生まれ。稲川会直参・初代髙田一家元総長。高校生の頃から愚連隊として名を馳せる。「猛者ぞろい」で知られる松本少年刑務所や府中刑務所に収監され、71年に26歳で稼業入り。90年に稲川裕紘三代目会長から盃を受けて直参となり、会長秘書も務め上げた。11年に初代髙田一家を立ち上げて総長に就任し、14年引退。著書に『稲川会系元総長の波乱の回顧録 ヤクザとシノギ』(双葉社、15年)など。
※文中一部敬称略
取材/三島瑤
日刊SPA!
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