どうも、Glocal Lifeです。
今回の記事では、自衛隊を保有する対価について考えてみました。
軍隊は厄介者の若者の「ごみ捨て場」?
最近自衛隊関連の漫画が嫌に目につくが、
アメリカでは軍隊が、
厄介者の若者を投げ込む「ごみ捨て場」の役割も果たしていることを
日本ではきちんと認識されているんだろうか?
犯罪を犯した若者が、刑務所に入るか、軍隊に入るかの二択を迫られることがある。
判決の直後に、軍隊入隊の手続きが取れるように、
裁判所には、軍の出先機関も設置されている。
今現在の日本の自衛隊がそういう状況だとは思わないけど、
未来の方向性としては十分ありえる。
日本人は戦前の軍隊に夢を見すぎだと思う。
軍隊を健全に保つ唯一の道は完全徴兵制度
ベトナム戦争時のアメリカ軍の民間人の大虐殺の心理を研究した精神科医のペック博士は
「軍隊を健全に保つ唯一の道は、完全徴兵制度(国民全員が否応なしに兵士になる)ことである」と論じた。
重要な指摘だと思う。
軍隊を必要とするなら、社会の構成員全員が対価を払わなければいけない。
日本人はその痛みに耐えられるだろうのか?
通り魔を恐れるか?殺し屋になるか?
私は自分が人を殺すのも、誰かに殺されるのも嫌だ。
だから自衛隊の存続に反対する。
それで万が一自国が侵略されて殺されるなら仕方ないと思っている。
それは通り魔を恐れるあまり、自分自身が殺し屋になることだからだ。
私は殺し屋にはなりたくない。
通り魔に遭遇するのも嫌だけど、確率は低いだろう。
万が一通り魔に殺されて死ぬなら、交通事故で死んだのと同じく仕方がないと諦める。
常備軍を持たない国は実在する
中米の小国コスタリカは、
1949年に常備軍を廃止する憲法を成立させ、
常備軍を持たない国になっている。
政情の安定しない中米で可能なんだから、
いくら北朝鮮や中国の脅威があったとしても、
日本で軍隊を撤廃するのが不可能だとは思わない。
軍隊を持つことで利益を得る人間がいるから、
都合の悪い情報が、一般市民には伏せられているだけだ。
軍備より外交に税金を使え
そもそもいくら北朝鮮や中国が特殊な国だと言っても、
国際世論を全く無視して、日本に一方的に侵略するとは考えられない。
そんなことをしたら、
国連をはじめとした国際機関が、制裁を下すことは避けられないことは、
北朝鮮や中国だって、十分に理解しているはずだ。
確かに付き合うのに難しい国ではあるけれども、
日本の軍備の増強に税金を使うよりも、
平和的な共存関係を模索する外交的努力に税金を使ってもらった方が
私は価値的だと思う。
子供たちから見た視点
軍備の増強には、とにかくお金がかかる。
大金を払って、最新兵器を購入しても、すぐに古くなる。
逆に、外交的努力は、すぐには結果は目に見えないかもしれないが、
信頼関係構築のための行動は無駄にはならない。
子供たちは、軍備と外交のどちらに税金を使ってほしいと思うか、
私たち大人は、真摯に考えるべきだ。
この世界は、いずれ若者や子供たちのものになるのだから、
彼らのためにできる限り素晴らしい世界を残してあげる努力をするのが、
世代間の平等のために不可欠だ。
この社会は、今生きている大人たちが、
自分の私利私欲を満たすために、
好き放題していい場所ではない。
自衛隊は法的な根拠が薄弱
最後に自衛隊は、日本国憲法で認められた存在なのかどうか、
法的な根拠が薄弱なのが気に入らない。
国民全体できちんと議論した上で、
憲法を改正するなり、憲法に注釈を加えるなりで、
自衛隊の存在を合法化するのならいいが、
今の状況のように既成事実を元になしくずしで、
武力の保持を正当化しているプロセスには納得できない。
法治国家の根幹を揺るがす
憲法を守ることが、法治国家の根幹である。
自衛隊のような法的な根拠が薄弱な前例を許すことは、
法治国家の根幹を揺るがすことであり、
大変に危険な兆候だと思う。
一度曖昧さを許容すると、社会は堕落する。
法的な根拠が薄弱な自衛隊を曖昧に許し続けたら、
日本は「超えてはならない一線」を気がつかぬまま超えているような
「タガの外れた社会」になるのではないかと危惧している。
ブッダのことば
最後に紹介したいのは、この釈尊の言葉だ。
「殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである」
(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)
民主主義社会のきちんとしたプロセスを踏んで、
自衛隊の存在を合法化するのなら、私はその選択を受け入れる。
しかし、武力を持つという選択をした瞬間から、
「自分より強大な武力を持つ敵が現れるのではないか」という恐怖に
取り憑かれることを覚悟しなければいけない。
武力は単なる気休めの玩具?
平和が確立していない世界で、武力を持たない選択をすることは、恐怖である。
しかし、武力を持ったところで、その恐怖に終わりはない。
いくら強大な武力を持ったところで
「絶対に自分は殺されない」という100%の保証はないのだから。
結局は、武力というものは「自分は殺されるかもしれない」から
目をそらすための単なる気休めの玩具に過ぎないのかもしれない。
恐怖と向き合えない臆病な弱さ
私だったら、そんな玩具に大金を払うよりも、
「もしかしたら自分は殺されるかもしれない」という恐怖を受け入れることを選ぶ。
武力を持つことで「絶対に自分は殺されない」という100%の保証が得られるならいいが、
それが現実的に不可能なことを知っているからだ。
どうしても逃れられない恐怖は、目を背けるよりも、受け入れた方が価値的だ。
恐怖と真正面から向き合えない臆病な弱さが、更なる問題を生むからだ。
自衛隊のメリットとデメリット
という訳で、今回の記事では、
自衛隊を保有する対価について考えてみました。
結論として、私は日本が自衛隊を持ち続けることに関しては、
①自衛隊を保持することによるメリット
②自衛隊を保持するよるデメリット
の2点を公平に比較検討して、国民全体で議論して決定すべきだと思う。
自衛隊を保持することによるメリットは「武力による自国の防衛」という点で明らかだが、
自衛隊を保持するよるデメリットに関しての議論をあまり見かけないように感じたので、
私個人の意見をまとめてみた。
自衛隊のデメリットの方が大きい?
自衛隊を保持することによるメリットは享受したいが、
デメリットは受け持ちたくないという子供のようなワガママは通用しない。
自衛隊を保持することを決めたのなら、
そのデメリットも受け持たなければいかない。
私個人に関しては、
自衛隊を保持することによるメリットは十分に理解できるが、
私にとっては、自衛隊を保持するよるデメリットの方が大きいので、
自衛隊は保持したくないという意見だ。
自衛隊の存在は憲法違反
ただ民主主義社会に生きている一員として、
国民全体の議論で、自衛隊保持を決めて、
憲法を改正するなら、それに従うつもりだ。
しかし現在の段階では、自衛隊の存在は憲法違反であるので、私は支持できないし、
存在自体が憲法違反なものを堂々と漫画などのメディアに登場させる感覚も理解できない。
「非公式な」国旗や国歌
国旗や国歌の問題も、同じような理由で私は支持していない。
「日の丸」や「君が代」を正式な国旗や国歌にしたいのなら、
国民全体を巻き込んだ正式な議論の手続きを踏んでほしい。
憲法に明記されていない限り、
「非公式な」国旗や国歌にすぎない。
正式な議論の手続きを踏まずに、恣意的な既成事実を積み重ねるだけで、
国民全体の議論を避けようとする日本政府の卑劣で不正直なやり方を、私は嫌悪している。
多様な意見の一つとして、
少しでも皆様のご参考になれば嬉しいです。
これからもGlocal Lifeをよろしくお願いします。